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農業はやってはいけない

数十年前、私は本当にそう書きました。

農業を始めて数年が経った頃、県が発行する農業関係者向けの月刊誌から原稿の依頼が来ました。
改良普及員が技術を紹介し、ベテラン農家が長年培った栽培の工夫を語る。
そんな誌面の一角に、「農家の言葉」を紹介するページがありました。
私が依頼を受けたのは、そのページへの寄稿でした。

なぜ自分に声がかかったのか、その理由は今でも分かりません。
毎号、新規就農者やベテラン農家が、原稿用紙一、二枚ほどに農業への思いや体験を書いていました。

私はしばらく考えた末、作文ではなく、一篇の詩を書くことにしました。
題名は、「農業はやってはいけない。」でした。
少し過激な題名です。
けれど、驚かせたかったわけではありません。
本当に伝えたかったのは、「それだけの覚悟がいる仕事なのだ」ということでした。

詩の細かな言葉までは思い出せませんが、書いたことは今でもおおよそ覚えています。

農業を始めるには、まず国語力がいる。
技術書を読めなければ、何も始まらない。
数学ができなければ、収支計算で行き詰まる。
作物を理解するには生物学がいる。
農薬や肥料の原理を知るには化学がいる。
流通の仕組みを自分のものにしようと思えば、社会のことを学ばなければならない。
海外の文献に手を伸ばすなら、英語も避けて通れない。

そして何より難しいのは、地域の中で生きていくことでした。
近所の人との付き合い。
先輩農家から学ぶ姿勢。
地域の行事や共同作業。
農業は畑だけでは完結しません。
人とのつながりの中で続いていく仕事です。

だから、農業はやってはいけない。

もちろん逆説です。
軽い気持ちで始めるなら、やめた方がいい。
それでも「やりたい」と思う人だけが、農業を始めればいい。
そんな思いを込めた詩でした。

あの頃は、農業のことだけを書いているつもりでした。
ところが数十年が過ぎ、別の現場に立つようになって、同じことを考えている自分に気づきました。

保育士の資格を取るために勉強したのは、発達心理学、栄養学、法律、医学などでした。
試験範囲は決まっています。勉強すれば合格できる資格です。

けれど、資格が証明してくれないものが一つあります。
目の前の子どもが、今、何を必要としているのか。
答えを急がず、見続ける力です。
その力は、試験では測れません。

そして、それは農業でも同じでした。
本に書かれていることを知るだけでは足りない。
今日の天気を見て、葉の色を見て、土の湿り気を見て、「今、この作物は何を求めているのか」を考え続ける。

結局、学ぶことは入口でしかありません。
その先も続くのです。
私は、そのことを農業から教わりました。

今でも、ときどきあの月刊誌のことを思い出します。
県立図書館か、農業関係の機関に問い合わせれば、バックナンバーが残っているかもしれません。
もし見つかったら、当時の自分がどんな言葉を選び、どんなリズムで詩を書いたのか、もう一度読んでみたいと思っています。
書き直すことがあっても、題名だけは変えないでしょう。

「農業はやってはいけない。」

あの頃の私は、農業を否定したかったのではありません。
覚悟のいる仕事ほど、軽く勧めてはいけない。
そのことを、あの頃の私は、精一杯の言葉で伝えたかったのだと思います。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

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この連載の自己紹介はこちらです。
「いくつもの道を、歩いてきました。」

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