【INFJの作品かも】人の心を緻密に描くのに、かなり残酷?INFJの作品の特徴
はじめに
前回「同じMBTIっぽい作者の作品は、なぜか心に刺さりやすいのでは?」という話で、作品の中にある心理機能からその作品のMBTIを予測する記事を書きました。
今回はそのINFJ編です。
私が作品を見ていて、
「この作者、INFJ的な思考をしているのでは?」
と感じる作品について考えてみます。
今回取り上げるのは、
諌山創『進撃の巨人』
高畑勲作品
是枝裕和作品
です。
ちょっと『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴さんも入れようか迷いましたが、多く取り上げすぎるととっちらかるので、今回は抜きました。
ここで話すのは、もちろん、
作者本人のMBTIを断定するものではありません。
あくまで、
「作品に現れている思考の癖を、心理機能というレンズで分析してみたらどうなるか」
という仮説です。
この3者。並べてみると、ジャンルはまったく違います。
巨人が人間を食べる漫画。
戦争や環境問題などをテーマに作られるアニメーション。
現代社会の片隅にいる家族を描く実写映画。
ところが、作品の奥にある「ものの見方」を見ていくと、妙に似ています。
そして私は、この共通点にかなりINFJらしさを感じます。
INFJの心理機能とは
INFJの心理機能は、
Ni(内向的直観)
…物事の奥にある意味や構造を捉え、一つの方向へ収束させていく。
Fe(外向的感情)
…他者の感情や人間関係を捉え、人と人との間にあるものを見る。
Ti(内向的思考)
…物事を自分の中で分析し、筋が通っているか、矛盾がないかを考える。
Se(外向的感覚)
…今ここに存在する現実を、五感を通して捉える。
という並びになっています。
これを作品に当てはめてみると、INFJっぽい作品にはかなり特徴的な構造が見えてきます。
1 物語全体が「一つの大きな問い」に向かっている【Ni】
まず目立つのが、
作品全体を貫く、大きな問いがあること。
INFJとINTJは、どちらもNiを主機能に持っています。
そのため、目の前で次々と事件が起きること自体より、
「結局、この物語は何を意味しているのか」
というところへ意識が向かいやすいのではないかと思います。
『進撃の巨人』なら、
「自由とは何なのか」
「敵とは誰なのか」
「人間はなぜ争うのか」
という問い。
高畑勲作品にも、
「人間はどう生きるのか」
「文明の発展によって、私たちは何を得て、何を失ったのか」
という大きなテーマが流れています。
是枝裕和作品なら、
「家族とは何なのか」
「親とは何なのか」
「血のつながりと、一緒に生きた時間のどちらが家族を作るのか」
といった問い。
目の前の出来事を、目の前の出来事だけとして描かない。
その背後にある意味を探し続ける。
ここにはNi的な世界の捉え方がかなり現れているように思います。
2 誰か一人の視点だけでは終わらない【Fe】
そしてINFJらしさが強く出るのが、Feです。
INFJっぽい作品は、
「主人公がどう感じたか」だけでは物語が終わりません。
主人公には主人公の事情がある。
でも敵にも事情がある。
親には親の事情があり、
子どもには子どもの事情があり、
社会には社会の事情がある。
とにかく、いろんな人間の側へ視点が移っていきます。
『進撃の巨人』は、その最たるものだと思います。
最初は、「巨人に家族を殺された人間」の視点から始まります。
当然、巨人を倒すことが正義に見えます。ところが物語が進むと、敵だと思っていた側にも生活がある。家族がいる。歴史がある。恐怖がある。
彼らから見れば、こちら側こそが敵だったりする。
視聴者が気持ちよく誰かを憎もうとすると、
「いや、この人にも事情がありますよ」
と見せてくる。
是枝作品もそうです。
「悪い親」「かわいそうな子ども」「正しい社会」
という単純な構図にはしてくれません。
一人ひとりを見ていくと、それぞれに事情がある。
INFJ的な作品では、
人間は一人では存在していない。
という視点が強いように思います。
人は家族の中にいて、共同体の中にいて、社会の中にいて、
誰かとの関係によって傷つき、救われ、選択していく。
その「人と人との間」にあるものまで含めて、人間を描こうとします。
3 全員の気持ちを理解したうえで、容赦なく答えを出す【Ti】
ここが、INFJ作品の一番怖いところかもしれません。
Feで、みんなの事情を拾う。
ところが、「みんなそれぞれ大変なんだね」では終わらない。
INFJには第3機能としてTiがあります。
Tiが求めるのは、
「私はこう感じる」という感情的な納得ではなく、
「筋を通して考えたら、どうなるのか」
という論理的な整合性です。
だからINFJ的な作品では、
「この人がかわいそうだから、この人が正しい」
とはなりにくい。
むしろ、この人にはこの事情がある。こちらにも事情がある。社会にはこういう構造がある。過去にはこういう出来事があった。
では、その条件を全部認めたうえで考えたら、
結局どうなる?
と問い続けます。
『進撃の巨人』は、このTiが非常にわかりやすい作品だと思います。
誰か一人が悪いわけではない。どちら側にも家族がいる。どちら側にも歴史がある。どちら側にも、「自分たちは生きたい」という願いがある。
では、
全員が自分たちの自由を求めたら?
自分たちの家族を守ろうとしたら?
憎しみが次の世代へ受け継がれたら?
話し合いでは解決できないところまで対立が進んだら?
一つずつ条件を積み重ねていく。
すると最後には、
「こうしたい」ではなく、「こうなってしまう」
というところまで追い込まれていきます。
ひどい。実にひどい。
全員の気持ちを丁寧に描いておいて、
最後は、
「でも、この条件なら仕方ないよね」
と逃げ道を塞いでくる。
Feで人間を理解し、Tiで容赦なく筋を通す。
この組み合わせが、INFJ作品独特の優しさと冷酷さを同時に作っているのではないでしょうか。
4 善悪ではなく「構造」を見せる【Ni+Ti】
だからINFJっぽい作品は、勧善懲悪になりにくいように思います。
悪人を倒せば世界が平和になる。
悪い親を罰すれば子どもが幸せになる。
戦争を起こした人間を排除すれば争いがなくなる。
そんな単純な答えにはなかなかしてくれません。むしろ、
「この構造なら、誰がそこにいても似たようなことが起きるのでは?」
というところまで掘り下げていきます。
『進撃の巨人』の戦争もそう。
是枝作品の貧困や家族問題もそう。
高畑作品の戦争や近代化もそう。
「悪い人」を探すのではなく、
「なぜ、こうなった?」
を考える。
そして、その原因をさらに遡る。
すると個人の性格ではなく、
歴史。社会。家族。文化。人間そのもの。
という大きな構造へ行き着きます。
Niで全体を見渡し、Tiで因果をつなげていく。
その結果、
「これは、この人だけの問題ではない」
というところまで視点が広がっていく。
これもINFJ的な作品に共通する特徴だと思います。
6 抽象的なのに、現実描写がやたら生々しい【Se】
そしてもう一つ面白いのが、劣勢機能のSeです。
INFJはNi主機能なので、意識はどうしても、
意味。未来。構造。象徴。
といった抽象的なものへ向かいやすい。
ところが作品を見ると、その反対側にある、
「今ここに存在する現実」
が妙に強烈に描かれることがあります。
『進撃の巨人』なら、
血。死体。肉体。食われる人間。
高畑作品なら、
食べ物。自然。生活。季節。人間の身体。
是枝作品なら、
狭い部屋。散らかった生活用品。食卓。洗濯物。子どもの身体。
扱っているテーマは非常に抽象的なのに、画面は妙に具体的です。
思想だけの世界に逃げず、最後は生身の人間が存在する現実へ戻ってくる。
これもNi-Se軸を持つ作品の面白さなのかもしれません。
INTJ作品との違い―FiとTi―
そして、同じNi主機能であるINTJとの違いを考えてみます。
私は常に、第3機能こそ、人生のテーマ、理想を表す機能なのではないかという考えを述べてきました。
作品世界でも、第3機能は作品のテーマに強く影響すると考えています。
INTJの第3機能はFi。
INFJの第3機能はTi。
どちらもNiによって、「この物語には、結局どんな意味があるのか」を探していきます。
ところが最後にたどり着く場所が違います。
INTJのFiは「私はどうしたいのか」
Fiが重視するのは、個人の価値観や感情です。
だからINTJ的な作品では、
「私は何を大切にするのか」
「この人は何を守りたいのか」
「他人がどう言おうと、自分はどう生きるのか」
という、個人の内側にある価値が大きなテーマになりやすい。
世界の構造をどれだけ描いても、最後には一人の人間へ戻ってくる。
そして、「あなたはどうしたい?」と問いかけるような形で物語は終わっていきます。
INFJのTiは「筋を通せば、どうなるのか」
一方、INFJのTiは違います。「私はこうしたい」ではなく、
「この条件なら、どうするのが筋なのか」
を考えます。
自分の感情としては嫌でも、誰かが傷つくとしても、
すべての条件を並べて論理を通していくと、
「ここに行き着いてしまう」
という答えがある。
だからINFJ作品には、妙な諦観が漂うのです。
誰の気持ちもわかる。誰も完全な悪人ではない。みんな幸せになればいいと思う。
……でも。
それでも、この構造ならどうにもならない。
というところまで行ってしまう。
INTJがNiの先にFiを置いて、「それでも私は、これを大切にする」と個人の価値へ戻ってくるのに対して、
INFJはNiの先にTiを置いて、
「それでも考え続ければ、ここに行き着いてしまう」と道理へ戻ってくる。
この差は、かなり大きいのではないでしょうか。
INTJの私は、INFJのその冷酷さにいつも恐れおののいてしまいます…。
INFJ作品は、優しい。そして結構ひどい。
こうして考えてみると、INFJっぽい作品には、
Ni
「この出来事には、どんな意味がある?」
Fe
「でも、こちらにもあちらにも、それぞれ事情がある」
Ti
「では、それを全部認めたうえで筋を通したら、どうなる?」
Se
「その結果を、生身の人間が生きる現実として見せる」
という流れがあるように思います。
だから、とても人間に優しい。敵の事情まで描いてくれる。悪人にも過去がある。誰かを簡単に切り捨てない。
ところが、
全員を理解したからといって、全員を救ってくれるわけではない。
むしろ全員の事情を理解したうえで、
「それでも、この状況ならこうなるよね」と結論を置いてくる。
ひどい。
でも、その救いきれなさまで含めて、「人間とは何なのか」を考え続ける。
私はそこに、INFJっぽい世界の見方を感じます。
おわりに
もちろん、ここで書いたことは、作者本人のMBTIを断定するものではありません。
あくまで、作品に現れる思考パターンを心理機能というレンズで眺めた仮説です。
でも、
Niで意味を探し、Feで人間を理解し、Tiで道理を突き詰め、Seでその残酷な現実を見せる。
そう考えて改めて作品を見てみると、
INFJっぽい作品がなぜあんなにも優しく、そして、どうしようもなく容赦がないのか。少しだけ、その理由が見えてくる気がします。
ちなみに、INTJの私は、INFJらしい作品に感銘をうけがちです。Niは理解できるのに、Fe‐Tiで予想を裏切られ、ひどく動揺させられる。心を揺さぶられ、一度見ると忘れられない、心をえぐられる作品ばかりです。
