【ENFJの作品かも】~人とのつながりの意味を描き、「今を生きる」に帰ってくる~
これまで、INTJ、INFJ、ISFPっぽい作品について、心理機能から考えてきました。
今回は、ENFJっぽい作品について考えてみます。
もちろん、作者本人のMBTIを断定するものではありません。
あくまで、「作品には、作者が普段使っている心理機能の癖が現れるのではないか?」という私なりの仮説から、作品を眺めてみるシリーズです。
私の今の仮説は、こんな感じです。
第1機能=作品全体に流れる、表のテーマ
作者が自然に見てしまう世界。作品全体の価値観として現れる。
第2機能=物語を支える機能
第1機能で描かれた世界に、理由や構造を与える。
第3機能=物語の帰結。あるいは裏のテーマ
物語を通して主人公が最終的にたどり着く、大切なもの。
第4機能=物語が行き詰まったとき、意識して使われる機能
主人公にとって簡単には扱えず、だからこそ葛藤や成長として描かれやすい。
この仮説をENFJに当てはめると、かなり特徴的な物語の形が見えてきます。
ENFJの心理機能は以下のとおり。
Fe(外向的感情)
Ni(内向的直感)
Se(外向的感覚)
Ti(内向的思考)
では、この4つが作品に現れるとしたら、どんな物語になるのでしょうか。
第1機能:表のテーマFeーー「人と人とのつながり」
ENFJの主機能は、Fe(外向的感情)です。
Feが捉えるのは、自分一人の感情というよりも、人と人との間に生まれる感情や関係性です。
誰かが誰かを思いやる。
孤独だった人が、誰かと出会う。
一人ではできなかったことを、誰かと力を合わせることで乗り越える。
家族ではなかった人たちが、いつしか家族のような関係になっていく。
対立していた人たちが、互いの事情を知ることで少しずつ理解し合っていく。
ENFJ的な作品では、こうした「人は人とつながりながら生きていく」という価値観が、作品全体を流れる表のテーマとして現れるのではないでしょうか。
重要なのは、単に「優しい人がたくさん登場する」ということではありません。
むしろ人間同士だからこそ、
すれ違うし、傷つけ合う。それでも誰かと関わる。
切れてしまった関係を、もう一度結び直す。
誰かから受け取ったものを、別の誰かへ渡していく。
そんな人と人との間に生まれるものそのものに、大きな価値が置かれます。
第2機能:作品を支えるNi――「なぜ、この人たちは出会ったのか」
Feを支えるのが、第2機能Ni(内向的直感)です。
Niは、バラバラに見える出来事の奥にあるつながりを見つけ、一つの意味へ収束させていく機能です。
そのためENFJ的な作品では、
「なぜ、この人とこの人は出会ったのか」
という部分が丁寧に描かれやすいのではないでしょうか。
偶然出会ったように見えた人。
最初はまったく理解できなかった相手。
過去に自分を傷つけた人。
自分を助けてくれた人。
そして、その人との出会いによって変わった現在の自分。
それぞれの人間関係が単発のエピソードでは終わらず、物語が進むにつれて一本の線になっていく。
「あの人と出会ったから、今の自分がいる」という意味が生まれてくる。
Feが人と人をつなぐのだとすれば、Niは、そのつながりに意味を与える機能なのかもしれません。
第3機能:裏のテーマSe――物語の最後に待っているのは「今を生きること」
そしてENFJの第3機能は、Se(外向的感覚)です。
私は第3機能を、そのタイプにとっての物語の帰結、あるいは作品の奥に隠れている裏テーマとして見ています。
Seが大切にするのは、
今、ここに実際に存在しているもの。
目の前にいる人。
一緒に食べるご飯。
何気ない会話。
見える景色。
触れること。
味わうこと。
今日という一日を実際に経験すること。
ENFJ的な物語では、Fe-Niによって、「人はなぜ出会うのか」「人と人とのつながりには、どんな意味があるのか」というかなり大きなテーマまで話が広がります。
ところが、最後にたどり着く場所は意外と現実的です。
「だから、今を生きよう」
遠い未来の理想だけを見るのではなく、目の前にいる人と話す。一緒にご飯を食べる。仕事をする。遊ぶ。笑う。泣く。
今日をちゃんと経験する。
壮大な意味を探した末に、「結局、大切なのは今ここにある暮らしなのだ」と帰ってくる。
これがENFJ作品の、表からは少し見えにくい裏テーマなのではないでしょうか。
第4機能:苦難を乗り越えるTi――「じゃあ、自分はどうする?」ともがく
ENFJの第4機能は、Ti(内向的思考)です。
第4機能は普段から自然に使われるというよりも、いつものやり方ではどうにもならなくなったとき、意識して使おうとする機能として物語に現れやすいのではないかと思います。
ENFJ的な主人公は、人との関係を大切にします。
誰かを助けたい。みんなを守りたい。誰かを傷つけたくない。
できれば、みんなが幸せになれる方法を探したい。
でも、物語が進めば、それでは答えの出ない場面がやってきます。
全員を救うことはできない。
誰かを選べば、誰かが傷つく。
周囲が望んでいることと、自分が正しいと思うことが一致しない。
そんなとき、
「じゃあ、自分自身はどうしたいのか」
「自分の中で筋の通った答えは何なのか」
というTi的な問いが現れます。
最初から揺るぎない答えを持っているわけではありません。
むしろ、人の気持ちを考えれば考えるほど分からなくなる。
それでも最後には、
「みんながそう言っているから」でも、
「この人に嫌われたくないから」でもなく、
「自分はこうする」
という一本の筋を見つけなければならない。
ENFJ作品では、このTiとの格闘が主人公の大きな葛藤として現れるのかもしれません。
作品紹介① 有川ひろの作品
有川ひろさんの作品は、ENFJ的な特徴がかなり分かりやすく現れているように思います。
『阪急電車』『植物図鑑』『図書館戦争』など、作品のジャンルや設定は違います。
しかし、その中心には一貫して人と人との関係があります。
特に『阪急電車』は象徴的です。
同じ電車に偶然乗り合わせただけの人たち。
本来なら、そのまますれ違って終わるはずだった他人同士が、ほんの少し言葉を交わす。
その小さな関わりが、誰かの背中を押し、その人の人生を少しだけ変えていく。
まさにFe的な世界です。
そしてNiによって、
「あのとき、あの人と出会ったことには意味があった」というところまで描かれる。
一方、『植物図鑑』ではSeも非常に分かりやすく現れます。
道端の植物を見つける。歩く。料理する。
食べる。季節を感じる。誰かと一緒に暮らす。
人との出会いの意味を描きながら、最終的に価値が置かれるのは、その人と実際に過ごす日々そのものです。
大きな理想へ向かうというより、「この人と、この生活を生きていこう」へ帰ってくる。
有川作品には、Fe-NiからSeへ向かうENFJ的な流れがかなり素直に現れているように感じます。
作品紹介② 『バニラな毎日』
賀十つばささんの小説『バニラな毎日』も、ENFJ的な心理機能が非常に分かりやすい作品だと思います。NHKでドラマ化もしていました。
物語の中心にあるのは、お菓子作り。
でも本当に描かれているのは、お菓子を通してつながっていく人たちです。
それぞれ違った事情を抱えた人たちが集まり、一緒にお菓子を作る。
その中で少しずつ相手のことを知り、自分自身とも向き合っていく。
まずFeによって、人と人がつながります。
そしてNiによって、
「なぜこの人はここへ来たのか」
「この人はこれまで何を抱えて生きてきたのか」
という、その人の人生そのものへ話が深まっていく。
また、人との関係だけでは答えを出せず、
「自分はこれからどう生きるのか」
と自分なりの答えを探そうとする場面には、Ti的な葛藤も見えてきます。
そして面白いのが、やはりSeです。
混ぜる。こねる。焼く。香りを感じる。
食べる。味わう。誰かと同じものを食べる。
抽象的に「人生とは何か」を考えて終わるのではありません。
実際に手を動かして、作って、食べる。
その具体的な経験を通して、
「もう一度、自分の人生を生きてみよう」
と現実へ戻ってくる。
Feで人とつながり、Niでその出会いの意味を知り、最後にはSeによって今ここにある人生へ帰ってくる。
ENFJ作品の構造が、とても小さく、温かくまとまった作品なのではないかと思います。
作品紹介③ 『銀魂』
そして三つ目。……『銀魂』です。
ここまで有川ひろ、『バニラな毎日』と来て、銀魂??となるかもしれません。
下ネタ。ギャグ。バトル。宇宙人。
一見「人と人との温かなつながり」を描く作品には見えません。
でも考えてみると、『銀魂』ほど人との縁をしつこいほど描き続けた作品も、なかなかありません。
銀時、新八、神楽の万事屋。
かぶき町の人々。
真選組。
攘夷時代の仲間。
師弟。
敵だった人間まで含めて、無数の関係がつながっていきます。
銀時は一人で生きているように見えて、実際にはものすごい数の人間との縁に支えられている。
そして銀時自身もまた、誰かを助けることで、その人の人生に影響を与えていきます。
作品全体を流れているのは、かなりFe的な世界です。
さらに『銀魂』では、人間関係がその場限りで終わりません。
ここにはNi的な特徴も見えてきます。
昔出会った人。失った人。守れなかった人。松陽との関係。攘夷時代の仲間。それらが長い物語の中で何度も現在へ戻ってきます。
そして、
「なぜ銀時は今、この人たちを守るのか」
という現在の行動の意味につながっていく。
過去と現在の人間関係が一本の線になり、現在の銀時という人間を作っている。
Feによって結ばれた縁を、Niが時間を超えて意味づけているように見えます。
そして銀時は、ただ「みんな仲良くしよう」と言う主人公ではありません。
どうやっても全員を救えない。
誰かを守るためには戦わなければならない。
過去に守れなかったものもある。
そんな状況になるほど銀時は、
「じゃあ、俺はどうする?」
という問いに向き合います。
そこで出てくるのが、銀時自身の「侍としての筋」です。
世間にとって何が正しいのか。誰から評価されるのか。
そんなことではなく、「自分は何を守ると決めたのか」という、自分なりの筋を通そうとする。
ここには、行き詰まったFeをTiによって立て直そうとするENFJ的な葛藤を見ることができます。
そして最後はSeによって日常に戻ります。
『銀魂』では、とんでもなく大きな話まで描かれます。
戦争。国家。宇宙。松陽。虚。
世界そのものを巻き込む戦い。
ところが、それだけ壮大な物語をやった末に、結局守りたいものは何だったのか。それは、
万事屋でくだらないことをしている日常。
かぶき町で、いつもの人たちと生きていること。
くだらないことで騒ぐ毎日。
つまり、今ここにある生活です。
壮大なFe-Niの物語を描きながら、最後にはSeへ帰ってくる。
そう考えると『銀魂』は、第一印象からは想像しにくいほど、
ENFJ的な物語構造を持った作品なのかもしれません。
まとめ――人とのつながりの意味を探して、「今」に帰ってくる
こうして全く違う3つの作品を並べてみると、意外と共通するものがあります。
有川ひろ作品。『バニラな毎日』。そして『銀魂』。
恋愛小説だったり、お菓子を作るドラマだったり、下ネタだらけのSF人情バトル漫画だったり。表面的には、まったく違う作品です。
それでも心理機能から眺めてみると、似た流れが見えてきます。
Fe――人と人とのつながりを描く。
Ni――なぜその人たちが出会い、つながったのか。その意味を描く。
そして人との関係だけでは答えが出なくなったとき、
Ti――「では、自分はどうするのか」という自分なりの筋を探す。
その長い物語の果てに待っているのが、
Se――今ここにある現実を生きること。
なのではないでしょうか。
人と出会う。誰かに影響される。自分も誰かに何かを残す。
そのつながりの意味を考える。
そして、いろいろ考えた末に、
「じゃあ、今日を生きよう」と現実へ帰ってくる。
今ある暮らしを、ちゃんと経験する。
人とのつながりの意味を描き続けた末に、「今ここにある人生の尊さ」へ帰ってくる。
それが、ENFJっぽい作品の一つの特徴なのかもしれません。
ちなみに筆者はINTJですが、ENFJっぽい作品、大好きです。
NiやSeという、自分にもある心理機能を別の順番で使われる感じが、心地いいのかもしれません。
持っている心理機能を違う角度から刺激される作品って、やっぱり心地いいのかもなあ……などと、また勝手に分析してふふふとやっています。
