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家族関係の仕切り直し | 老後の暮らしを整える

知人からの紹介で、あるお稽古ごとに通うようになった。先生も生徒さんも、私より、10歳、20歳ほど年上の方ばかり、アットホームな雰囲気の教室だった。

私が加わるまで、もう何年も同じメンバーでやっていた様子で、みな気心が知れている雰囲気だった。

私が通うようになって数ヶ月が経つと、お稽古中のおしゃべりも、だんだん遠慮のない内容になっていった。お稽古にまったく関係のないおしゃべりが盛り上がっても、先生が諌めることもない。なんなら一緒に盛り上がっている。

話題は、新しくできたお店にいってきたとか、季節限定のお菓子がいまいちだったとか、そのうちに、ご主人の愚痴大会も繰り広げられるようになってきた。

ある日、ご主人の行動に対して腹がたった、という話を皮切りに、みなの愚痴がどんどんエスカレートしていった。その勢いで、

「あんなやつ、早く死ねばいいのに」

という言葉が飛び出した。

お稽古中のせりふとしては、さすがに過激すぎないか?と、私は思わず息を呑んだ。はっとした表情をしたひともいたが、

「ほんとそう。わかるわー」

と同意しているひともいて、もう、このお稽古を続けるのは無理だな、と思った。

60代、70代のお母さんたちが、長年、どれほどのがまんを強いられてきたのかを考えれば、彼女たちの言い分も、まぁ理解できる。気の置けない仲間内で発散したい気持ちも、まぁわかる。

一方で、決して口にはだせない疑問が、どうしても浮かんできてしまう。

ご主人のふるまいに不満があるのなら、お稽古中に愚痴るより、まずは当事者間で話し合うべきでは?
そんなにひどいご主人と、どうして一緒に暮らしているの?どうして離婚しないの?離婚しなくても、別居くらいしてもいいのでは?
早く死んでほしいと思うひとと一緒に暮らしていること自体、自分の人生の無駄づかいでは?
そもそも、奥さんから、早く死ねばいいのに、って思われているご主人って、いったいどんな気持ちで暮らしているんだろう?

コロナ禍で、教室に集まるのがしばらくお休みになったのをきっかけに、私は、自宅でのお稽古、というかたちに切り替えさせていただいた。すばらしい作品を仕上げる先輩方と、共に学ぶほうが、自分の成長にもつながることはわかっている。けれど、お稽古中のおしゃべりが気になってしまい、どうにも集中できない。やむをえない。

とりあえず、お稽古に集中できない問題が解決したところで、家族関係の難しさについて、考えてみる。

長年の夫婦関係において、心穏やかではいられないことは、誰しも経験があることと思う。

けれど、老後の暮らしというのは、年齢を重ねるにつれて、家の中での生活の割合が増えていく。家族関係の良し悪しは、QOL(Quality of Life:生活の質)に大きな影響を与える。

殺伐とした夫婦関係のまま、老後の暮らしを続けていく、というのは、かなりハードな修行、なんなら苦行、になってしまうだろう。

熟年離婚というのも、現実的な解決策のひとつだと思う。

ひとり暮らしよりも、ふたり暮らしのほうが経済的なメリットは多いとは思うものの、年金分割という制度もあり、長年専業主婦だったから離婚できない、と決めつける必要もないと思う。

そこまで踏み切れないのなら、家族関係、夫婦関係の仕切り直し、をする、というのも一案だと思う。

家族関係、夫婦関係の仕切り直し、といっても、無理に家族関係を良好にする必要もないし、いまさら夫婦関係をラブラブにする必要もないと思う。

殺伐としてさえなければ上出来、くらいの気持ちでいいと思う。
ビジネスライクにつきあう、でも、ぜんぜん問題ない、と思う。

人生の後半戦を、自分らしく走り切るために、共同戦線を張る、というイメージで、とらえることができないだろうか。

理想のパートナー像はいったん脇によけて、好きとか嫌いとかの感情論も、いったん脇によけてみよう。(感情についての優先順位が高いひとは、申し訳ないけれど、この先の話を読んでも、まったく響かないと思う。)

とにかく、お互いが自分らしく生きていくために、お互いに協力していけるのか?どう考えてもムリなのか?を、落ち着いて整理してみよう。

お互いに協力していける可能性もあるかも?と思えるのなら、具体的に、どう協力していけるのか?を考えてみよう。

家事の分担や、コミュニケーションのとりかたなど、共同生活のルールを、ゼロから再構築していくのだ。

ゴールは、仲良し家族、ラブラブ夫婦になること、ではない。

共同戦線によって、人生の後半戦を、自分らしく走り切るという、共通の目標を達成することだ。

私の母が認知症の診断を受けた後、私も驚くくらいに、母が荒れた。長年がまんしてきたことが、堰を切ったように噴出しているように見えた。

そんな母に対して、父は、母の気持ちに寄り添うどころか、母が直面している現実から目を背けるような態度をとった。

父としても、自分の気持ちの整理ができなかったのだと思う。母はその父の態度にも、失望していた。

激しい言い争いを続ける父と母に向かって、私は、

「お父さん、お母さんが、もう協力していけないのなら、離婚すればいい。離婚手続きも手伝うし、今後も、別々にサポートするから」

といった。

父も、母も、それぞれに、自分なりの答えをだした。
本意じゃない部分も多いけれど、一緒にやっていく。

あの騒動から、8年、9年が経つ。
父も、母も、だいぶ老い、身体も小さくなった。

仲良し家族でもないし、ラブラブ夫婦でもないけれど、老夫婦が、なんとかかんとか協力して、毎日必死モードな状態ながら、日常を紡いでいる。

母は家事ができなくなり、父が支えている。父の不安定になりがちなメンタルを、母ががっちりと支えている。

両親だけでなく、年老いたご夫婦をみていると、夫婦というのは、人生最後の数年間、十数年間を支え合うために、それまでの長い人生を共にするのかな?とも思う。

そこには、理想のパートナー像も、好き嫌いの感情論も超えた、人間同士ががちで協力しあう、壮絶な関係性が垣間見える。

夫婦喧嘩すら、平和に見えるような、凄みのある景色が見える。





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