昭和のお母さんたちの老後を思うと、どうしても心がざわついてしまう | 老後の暮らしを整える
認知症の母のサポートをしてきた父が、体調を崩すようになり、先日、自らの意思で入院した。
数ヶ月前から、父と母の暮らしは、もう限界にきていた。
が、父も、弟も、とにかく現状維持することにこだわり続け、私がなにをいっても、アクションを起こさなかった。アクションを起こすことができなかった。
体調が悪く、気力も落ちてきている父が、それでもがんばりたいのなら、父の好きにすればいい。けれど、すでに自分のことができなくなっている母が、そのしわ寄せをくらってしまう。
いわば父のわがままによって、母の生活、母の健康がないがしろにされていることが、とにかくつらかった。どうにか母を救えないかと、あれこれ考えては、悶々としていた。
父や弟の承諾なしには、さすがの私も、なにもできないのだ。
母自身も、彼女が例え認知症ではなかったとしても、父や弟の意向に反するような自分の身の振り方を、決断することはできなかっただろう。
結局、昭和のお母さんというのは、お父さんの、長男の所有物なのか、と私は絶望するしかなかった。
令和の時代、自分の意志で、自分の人生を決められるのに(なんなら、私は、母の意思をサポートすることも申し出ていたのに)、昭和のお母さんたちは、お父さんの、長男の意向を優先してしまう。
家族を、地域コミュニティを、ひとつと考える時代があり、その価値観を大切にしているひとがいることは、私も理解している。
が、現代は、個人の意思が尊重され、社会的な責任も、義務も、個人単位で負うことが前提となっている。
現代的な個人主義からすれば、家族を、地域コミュニティをひとつと捉える価値観は、一部のひとたちの意思が無視されることで成り立ってきたものだ、と思う。
家族のため、地域コミュニティのため、という御旗のもとに、お母さんたちの意思は無視され、ないがしろにされてきた、と思っている。
昭和のお母さんたちの怨みつらみが、社会の深く深くで、表には見えないところで、黒々と渦巻いている。
私自身は、割と自由に生きることができた世代だけれど、長年、昭和のお母さんたち世代の愚痴を聞いてきた(温泉などで、なにげなく話しかけられたおばあちゃんから、人生の恨み節を聞かされることは、今でも多々ある)。その怨みつらみの根深さは、底知れない。
そんな昭和のお母さんたちを救うことはできないけれど、彼女たちの怨みつらみを、なかったことにはしたくない、と強く思う。
医師の診断では自宅療養だったところを、むりくり入院させてもらっていた父の退院日が迫ってきた。
病院とケアマネさんで連携し、父が落ち着いて療養できるよう、1ヶ月ほど滞在できるショートステイを、準備してくれていた。退院の日も、父に負担のないよう、介護タクシーの手配なども進めてくれていた。
が、父がまた、退院したくない、とごね始めた。
直接、父から話を聞いている弟によると、自宅に戻るのは不安だけれど、介護サービスを受けることには抵抗があるという。
さすがに病院も、ケアマネさんも困り果て、なんとかならないか?と私に連絡が来た。
毎週末、弟が親のところに行き、父とも話をしているものの、さすがに弟もうんざりしてきている。
父については、私がどうにかできるわけでもない。
が、本当によくしてくださっている病院やケアマネさんからのリクエストについては、なんとかこたえたい。
父の入院のタイミングで、ショートステイにお世話になっている母のことも気になっていた。諸々やりくりをし、弾丸スケジュールながら、親たちに会いにいくことになった。
久しぶりに会う、ショートステイ先の母は、顔色もよく、とても元気そうだった。
認知症も進んでいるときいていたので、私のことも、もう、わからないかもしれない、と覚悟していた。が、私の姿をみた瞬間に、母の表情に笑顔が広がった。私が心配になるほどに、テンションが急上昇し、始終上機嫌だった。
母との会話は辻褄の合わないことも多かったものの、日常生活には、大きな不満もない様子だった。父と自宅にいたときよりも、のびのびとしているようにも見えた。認知症になる前の、快活な母を思い出すような雰囲気すらあった。
母は、弟(息子)や、叔母(母の妹)の話はうれしそうにしていたが、病院にいる父の様子については、ほとんど興味を示さなかった。
母に会ったあと、父の病院に行き、父と会った。
痩せて、小さくなった父は、私に謝りながら、あれこれ言い訳をしていた。
母の世話がたいへんだった、という話はしていたけれど、今、母がどうしているか?については、気が回らないようだった。
何十年も連れ添った夫婦も、本当に余裕がなくなってくると、こうなってしまうのか、と思った。
父も、母も、いったい、なににこだわっていたのだろう。
こんなことなら、母を、もっと早くに、プロのサポートが受けられる環境に任せたほうがよかったのでは?と思わずにはいられなかった。
いろいろがまんしてきた、昭和のお母さんたちが、人生の最終章を迎えている。
もう、がまんせずに、意地をはらずに、自分が楽に、のびのびとできる環境を選んでほしい。少しでもしんどさを感じているのなら、家のことなんて放り出していい。プロのサポートを受けながら、清潔で、安全な環境で、のんびりと過ごしてほしい。
母のいた施設には、大きなラブラドールがいた。
私が面会の受付をしていたら、白く、大きなかたまりが、ふわーと私の足元に近づいてきた。私から、犬の匂いがしたのだろう。私の後ろにぴったりとついて、離れない。
母は、あまり動物が好きではなかった。こどもの頃、私がいくら犬を飼いたいといっても、許してもらえなかった。
そんな母が、今、大きなラブラドールと一緒に暮らしている。
「ここにはね、大きな白い犬がいるのよ。気がつくと、すーっと寄ってきたりするの。背中を撫でてやったりするの。」
そう話す母は、おだやかな表情をしている。
高齢の親を、施設にお願いすることに、罪悪感を覚えるひとも多い。が、本当に、自宅にいることが、家族と暮らすことが、親にとって最善なのか?と、冷静に考えることも大事だと思う。
年齢を重ねて、日々の生活にしんどさを感じている親に対して、自分の価値観を押し付けていないだろうか。
今、母が、本当に幸せなのかどうかは、私も、正直わからない。
けれど、母は、健康状態もよく、精神的にも安定して、おだやかに暮らしている。
今、母の暮らす環境は、天国ではないかもしれなけれど、地獄ではないことは、間違いない。(犬好きな私にとっては、あんなにやさしげな、大きな白い犬と暮らせるなんて、かなり天国に近いように思える。)
父のことについては、私自身、消化しきれていないことも多いので、後日、また改めてまとめられたらと思っている。
