亡くなった愛犬に、もう一度会いたいあなたへ。今も続いている、愛犬とのつながり
「もう一度、この子に会いたい」
愛犬を見送ったあと、
そんなふうに思う人もいらっしゃると思います。
愛犬だけでなく、
他のペットさんの飼い主さんも
きっと同じではないでしょうか。
もう一度、抱きしめたい。
もう一度、頭を撫でたい。
あの毛並みに触れたい。
声を聞きたい。
何年経っても、
ふとそんな気持ちになることがあります。
私も、そうです。
もう触れることのできない3匹の愛犬たちに、
今でも「会いたい」と思うことがあります。
でも、今の私の中にあるのは、
以前のような悲しみや苦しさではありません。
むしろ、
「あの子たちは、
今も私の中にいてくれる」
そんな安心感や、
あたたかさを感じることが増えました。
それは、
亡くなった愛犬が、
本当にそばにいることを証明できる
という話ではありません。
魂や生まれ変わりについても、
私には本当のことはわかりません。
ただ、
愛犬たちと過ごした時間を振り返るほど、
「この子たちとのつながりは、
触れられなくなったことで終わったわけでは
ないのかもしれない」
そんなふうに感じるようになりました。
もし今あなたが、
「亡くなった愛犬に、もう一度会いたい」
「もう触れられないことがつらい」
「この子とのつながりは、
もうなくなってしまったのかな」
そんな気持ちを抱えているなら。
この記事が、
あなたと愛犬が一緒に歩いた時間を、
もう一度やさしく見つめる
きっかけになればうれしいです。
4匹の愛犬たちが教えてくれたこと
私には、
これまで4匹の愛犬がいました。
最初の子が、コロ。
その10か月ほど後に、ポテト。
2匹を見送ったあとに、やまとを迎え、
そして今は、
すももと暮らしています。
コロとポテトは、
私がまだ幼い頃から一緒にいた子たち。
当時は、ただただ大好きで、
一緒にいることが当たり前で、
愛犬とのご縁について深く考えたことは
ありませんでした。
でも、2匹が旅立ってから、
少しずつわかってきたことがあります。
それは、
「愛犬との時間は、
そのときだけのものではなかった」
ということでした。
あの子たちが、私に残してくれたもの
コロとポテトが旅立ったあと、
私は、2匹の絵を描きました。
そして、そのとき、
「私、絵が好きだったんだ」
と、自分の中にあった「好き」を
思い出しました。
その後、
やまととの暮らしでは、
関わりに悩むことも多くありました。
どうしたらいいのか。
私は本当は何を感じているのか。
どうしたら、
この子も私も安心できるのか…
そんなことを考えるうちに、
自分自身の心と向き合うようになり、
レイキや瞑想、アロマなどにも、
より深く向き合うようになりました。
そして、やまとの高齢期。
毎日のようにレイキをする中で、
たくさんの経験や気づきを得ました。
そこから、
「この経験を誰かに届けたい」
「愛犬と飼い主さんが、もっと安心して
一緒に過ごせるようなものを届けたい」
そんな風に
これからの人生で大切にしたい方向が、
少しずつ見えてきました。
やまとが天に還ったあとも、
その思いは消えませんでした。
むしろ、今の私の活動や、
物事を選ぶときの価値観の中に、
愛犬たちとの時間がずっとつながっています。
そう考えると、
愛犬たちとの時間は、
旅立ったところで終わったわけでは
なかったんだなと思うのです。
「もういない」のに、こんなに近く感じる
私の家では、
今でも歴代の愛犬たちの話が
よく出てきます。
「コロ、こんなことしてたね」
「ポテトは、あのとき……」
「やまとって、
こういうところあったよね」
そんなふうに、
いろんなエピソードを話します。
すると、不思議なことに、
「もういない子の話をしている」
という感覚があまりないのです。
まるで、
今も家族の中にいるみたい。
もちろん、
触れることはできません。
一緒に散歩することもできない。
名前を呼んで走ってくることもない。
それでも、
一緒に過ごした時間や、
その子らしさは、
今も私たちの中にちゃんと残っています。
そして、
愛犬たちのことを話していると、
「ああ、あの子たちから、
こんなことを教えてもらっていたんだな」
「こんなことに
気づかせてもらっていたんだな」
と、今になって気づくこともあります。
迷ったとき、なぜかあの子を思い出す
そして、もうひとつ。
私は人生の中で、
何かを選択するときに迷ったり、
すごく悩んだり、
つらいことがあったりすると、
なぜか愛犬たちを思い出します。
すると、心がふっとゆるむ。
少し落ち着いて、
今まで見えていなかったものが
見えるようになる。
「こうしてみよう」
とアイディアが浮かぶこともあります。
「これでいいのかもしれない」
と、何となく感じることもあります。
ときには、
「大丈夫だよ」
と、やさしく見守られているような
感覚になることもあります。
もちろん、
それが本当に愛犬たちからの
メッセージなのかどうか、
私にはわかりません。
でも、
その瞬間に私の心が癒され、
前を向く力をもらえている。
それは、
私にとって確かなことです。
あの子がいたから、今の私がいる
愛犬たちとの時間を、
こうして何度も振り返っていると、
私はたくさんのものを
受け取ってきたんだな、
と感じます。
コロとポテトには、
子どもから大人に成長していく時間を、
寄り添い見守ってもらったような
感覚があります。
そして、
自分の中にあった「絵」という宝物を
思い出させてもらいました。
やまとからは、
自分の心と向き合うこと。
自分の持っているものを大切にすること。
そして、
自分がこれからどんな人生を
歩みたいのか。
たくさんのことを、
身をもって教えてもらったように
感じています。
そして今、
すももと暮らしながら、
歴代の愛犬たちから受け取ったものを、
少しずつ現実の中で育てている。
そんな感覚があります。
だから私は、
「あの子たちがいたから、
今の私がいる」
と思うことがあります。
そう思えることが、
とても幸せなのです。
「もう一度会いたい」と思っていい
もちろん、
「もう一度会いたい」
という気持ちは、今でもあります。
コロに会いたい。
ポテトに会いたい。
やまとに会いたい。
もう一度抱きしめたいし、
頭を撫でたい。
何年経っても、
そう思うことはあります。
でも、それは今では、
以前のような苦しさとは少し違います。
「会えないから、つらい」
ではなく、
「あの子たちと一緒に過ごせて、
本当によかった」
という感謝のほうが、
大きくなりました。
そして、
「あの子たちは今も、
私の中で生きている」
という、静かな安心があります。
愛犬とのつながりは、本当に消えるの?
亡くなった愛犬は、
本当にそばにいるのでしょうか。
魂はつながっているのでしょうか。
生まれ変わりはあるのでしょうか。
私は、わかりません。
だから、誰かに
「絶対にそばにいますよ」
と断言することもできません。
でも、
一緒に過ごした時間。
あの子からもらった愛。
関わりの中で生まれた気づき。
あの子がいたから見つけられた自分。
あの子が残してくれたもの。
それらは、
確かに今の自分の中にあります。
そして、
それが今の自分を
支えてくれることがあります。
だから私は、
「愛犬とのつながりは、
亡くなったことで全部消えるわけでは
ないのかもしれない」
と思っています。
形が変わるだけなのかもしれません。
触れられるつながりから、
心で感じるつながりへ。
一緒に暮らす時間から、
自分の中で生き続ける時間へ。
そんなふうに…
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
愛犬を看取った後、「もっとこうしていれば」が繰り返し浮かぶ方へ。
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