まとめ:日本のロールプレイングゲーム受容史
この長い連載もそろそろ終わりにさせていただきと思います。特に「なぜ新和版赤箱「D&D」は初年度10万本も売れたのか」に対して頂いた回答を前半に、後半は、今までの連載でまとめた内容を年表的に網羅し総括したいと思います。
本当に初期のユーザーはPCゲームからの流入が多かったのか?
時系列の錯誤と、経験による錯誤
繰り返すが、日本で最初に日本語版赤箱D&Dに飛びついた人はPCゲーマーが主だった、というのが私の結論である(言い換えれば、PCゲームユーザーがいなければ=PCでRPGが普及していなければ、あそこまでの売上は記録出来なかっただろう、という事である)。
頂いたご異論で、やはり一番多かったのは「自分が見てきた世界とは違う」という同時代の方々のご意見であった。
これについては2つの錯誤が含まれている、一つは、時系列の間違い。たとえば、「ファイティングファンタジー」からD&Dへステップアップした(人が多かった)という意見があったが、この発売は85年12月であり赤箱より後である。それ以外にも後年の事象を発売タイミングと誤認していた方が何人かいらっしゃった。
もう一つは、イノベンター、アーリーアダプターの方々の勘違いである。これら先進的なユーザー、特に英語版からユーザーを育ててきた方やサークルの方からすると、異ジャンルからのユーザーがマジョリティを持ったという事には感覚的に同意できないだろうことは強く理解するが、残念ながら数字はそうは示していない。
安田均氏のコメント
このあと添付した年表を見ていただければわかる通り、初期RPG文化を醸成したのはほぼ安田氏一人の功績といっても過言ではないだろう。これは、氏が文筆家として既に、多くのメディアへのチャネルをもっていたこともあるが、RPGを日本に普及させたいという強い意志を持たれていたことも多いにあると思われる。

上記が安田氏のコメントだが、おっしゃることは分かる。3万箱(も)売れたトラベラーがあったからD&Dのヒットにつながったということだろう。もちろんその要素はあったと思う。
だが、後年の立場からすると、「トラベラー」はタクテクスであれだけ大量の記事を掲載して、初回3万本だったのである。これはもちろん少ない数字ではない。おそらくは1984年当時のどのウォーゲームよりも売れたパッケージだと思うが、D&Dと比較するとかなり少ない数字である。「トラベラー」に商品力がなかったわけではない。むしろ日本のユーザーには、中世を舞台としたファンタジーよりもSFのほうが親和性は高かったように思う。即ちこれは、ボードゲーム系雑誌での宣伝の限界を意味しているのである。
日本語版D&Dは、ボードゲーム系の雑誌ではほとんど宣伝されていなかった。実際、当時どこで売っているのか分からなかったという意見も貰ったし、(ロードス島以後の話だが)コンプティーク誌に販売店を問い合わせした読者もいるぐらいである。新和の流通網やプロモーションはそれほど劣悪だったわけである。にもかかわらず、D&Dは10万本(も)売れた。
知られていないものは売れないという厳然たる事実
イノベンターの方からすれば(そして、現在のTRPGプレイヤーからすれば)、あらゆるTRPGの元祖であるD&Dの存在は、プレイ経験がなくても知っていて当然だという認識だろう。だが、当時も一般ユーザーが同じ認識だったかは、もう一度おちついて考えるべきである。82年末に公開された映画E.T.でプレイされたゲームがD&Dによく似たTRPGだと気付いた日本人はほとんどいなかったという。その後も、ボードゲーム専門誌でD&Dはほとんど触れられないままだった。だが、PCゲーム雑誌では(一部SF雑誌でも)、特に1983年を中心に、コンピュータRPGの元祖として頻繁に取り上げられていたのである。
マーケティングの基本として、知られていないものは売れない、ということは分かると思うが、現代人が見落としがちな視点として、インターネットが発達する以前では、その「知られる」ようにすることへの難易度が圧倒的に高く高コストだったという点にある。テレビや新聞、定期刊行誌の影響力は現在と比較して圧倒的であり、逆にそれ以外にマスに告知する手段はなかった。今回の連載で、私が各誌の広告までつぶさに確認しているのはそのためである。
カール大公氏からのご意見
カール大公氏はさっそく自身のブログでまとめていただいたので上記にリンクする。氏の主張は、私がいうPCユーザーが大多数だったというのは言い過ぎで、初期TRPGユーザーやゲームブックユーザーなどが集まってのブームだったという意見である。これは、要旨については深く同意するものであるが、その内訳、バランス、つまり数の問題だと思う。論を繰り返さないが、1985年だけでもホビーパソコンは78万台を出荷しており、直近の台数も加えれば既に100万人以上のPCゲームユーザーが存在したことを紹介しておきたい(この数字は、PC-9801などの16Bit機を含んでいない。なお、ちょうど85年頃はコピーツールとレンタルソフト店が蔓延しており、ソフトの販売数の数倍のユーザーがいた可能性がある。明確にこれが違法とされるのは86年以後である)
それから、これらのユーザーが混然一体となっていた(ボードゲームユーザーはPCも嗜んでいた等)ことについてはカール大公氏のご指摘のとおりである。雑誌においても、PCゲームに特化していたのはログインぐらいで、テクノポリス、コンプティークは(コンシューマやアーケードを含む)ゲーム全般を中心にアニメや音楽も網羅的に扱っていた。ただこのあたりの混在性は統計上もはや把握できないためご容赦頂きたい。
日本におけるミニチュアウォーゲーム文化の欠如
これは異論というよりご指摘頂いた点である。日本のTRPG文化において、ミニチュアウォーゲムの影響が「全くなかった」ことが、TRPGの普及を遅らせた一因ではという意見である。 ご指摘通り、欧米では100年以上の歴史を持つミニチュアウォーゲームは、日本で試行されたのはわずかだった。1970年代前半にホビージャパンが(プラモデルやフィギュアの販促の一環として)流行らせようとしたものの、すぐにボードウォーゲームに駆逐され、またその当時のプレイも、戦車や軍艦が主でファンタジーに至ることはなかった。であるから、この一過性ブームがTRPGに与えた影響は全く無かったといって差し支えないと思う(無論超古参ゲーマの方はいらっしゃったかも知れないが、その方々が強く影響を及ぼしたとは思えない)。SFコンベンションでライブRPGが試みられたりしたのも上陸後の話である。
TRPGはイメージのゲームであるから、ジオラマやミニチュアはあった方が良いが、それらの文化的な背景も、商品流通も過去の日本にはほとんどなかった(新和が1983年以後に細々と輸入していたのは確認している)。グラフィックでダンジョンやモンスターを描画するPCが、それらミニチュアの代替として機能した可能性もあり機会があれば検証していきたい。
1985年当時のPCユーザーとTRPGの親和性
最後にもう一つ。本文中に書けなかった考察を挙げておきたい。
現在の感覚とはかなり違うことの一つに、初期のパソコンはソフトを購入して利用するのではなく、自分でプログラムして利用するものだった。もちろん当時からユーザーリテラシーの差はあり、BASICや機械語を誰でも使えるわけではなかったが、その場合雑誌掲載のプログラムを打ち込み、又は一部を修正し利用するようなケースも多かったのである。
初期のコンピュータRPGの中には、職業プログラマ以外が作成したものが多かったことは既に述べた通りである(プログラムコンテストなどで入賞)。当時のユーザーは、受け売りのコンピュータRPGのシナリオに飽き足らず、自分で作成し遊びたい/遊ばせたいというニーズが一定あったことが、BASICマガジン誌の投稿などにも見て取れる。だが、それにはプログラム言語の習得が必須であり、多くのユーザーには敷居が高かった。だが、TRPGであれば、自分でGM(DM)となりゲーム世界を構築することが可能となる。これが、当時のPCユーザーの受け皿としてTRPGが機能した一因ではないかと思っている。
なお、雑誌へのプログラム掲載は1986年を境にほとんどの雑誌で廃止される。肥大化する市販ソフトとの差が著しくなったこともあるが、この時期に、ソフトは作るものから買って使うものへと意識が変化したのだろう。
長い論述の終わりに
以下に、ここまで長々と述べてきたRPG受容の歴史を年代別のリストにしてみた。今まで別々に語られてきたTRPGとコンピュータRPGの歴史を融合し、年月を特定し、その影響範囲を図ることで、日本でのRPGの受容史を特定する意図である
もう一度言う。
1970年代末からの先駆者の取り組みがあるものの、RPGが明確に国内で認識されるようになったのは1982年であり、TRPGとコンピュータRPGはほぼ同時に上陸した
日本で先にジャンルとして確定したのはコンピュータRPGである。これはTRPGの影響をほとんど受けず米国の先行するコンピュータRPGを模倣することにより発展した。これは1984年より最初の黄金期を迎え、のちのJRPGと呼ばれるジャンルの礎となる。
TRPGは、ツクダの一連の作品や、84年のトラベラー、85年のD&Dにより明確に日本に定着した。だがそのユーザーは、先にジャンルとして確定したPCユーザーからの流入によるものだった。
この後の年表を見て欲しい、1984年以後、PC上(一部アーケードゲーム)のコンピュータRPGが飽和的に発売されているにもかかわらず、TRPGは指で数えられる程度である。これが、すべてを物語っていると思う。
日本のRPG受容史総覧
以下、1970年代末から、D&D赤箱日本語版発売までの歴史を振り返る。日本語で発表されたものに限る。PCゲームについては国内ハードにて動作したものに限る。
1983年までは雑誌掲載記事も含めて掲載、84年以後は発売された作品のみ掲載。自称又は明らかにRPGでない作品は除いたが、極めて重要なものについては注釈付きで残した。全て敬称略。
(なお、欠落した情報があればご教授いただきたい)
1981年以前
1970年代末
早ければ77年、遅くとも78年には、都内を中心とした輸入模型店で並行輸入されたTRPGが販売され始める。同時に、個人輸入を含め、それらを入手したごく一部の先進的な人々、ボードゲームサークルによりプレイされ始める
1980年
SF宝石81年1月号に「海外情報・ウォーゲームから派生したSFゲームが米で大流行」(マルコ・飯田=安田均と大野万紀の共同変名)が掲載。国内メディアで最初のロールプレイイングゲームの紹介(「ロール・プレイ・ゲーム」と表記)。D&Dを「地下牢と竜」とした最初の表記
1982年
2月
タクテクス2号に「キャンパスライフ」慶應HQ/村樫裕康(「ロールプレイタイプ」と表記)の紹介を掲載。発表は1981年か?
3月
S-Fマガジン 82年 4月号に「安田均のアメリカSF情報④」掲載。「ファンタジイ・ロール・プレイ」と表記。D&Dを「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」とした最初の表記
SFアドベンチャー29号に「パソコン特集・パソコンゲーム奮戦記」掲載。安田均。"Ultima 1"のリプレイ。ファンタジーゲームとのみ記載されRPGの記載なし
4月
S-Fマガジン 82年 5月号に「安田均のアメリカSF情報⑤」掲載。ほぼTRPGの情報で占められる
タクテクス3号に「冒険のシミュレーション・シミュレーションの冒険」(高梨俊一ら)掲載。国内で最初の網羅的な記事とプレイ例
同号にドンキーコマンド掲載(坂本忠司)
同号のモデルエースの広告にD&Dが掲載(確認できた限り初)
月刊I/O 82年5月号のコンピュータランド立川(日本ファルコム)の広告にて、初めて”Akalabeth”、"Ultima"が掲載。以後他社含め継続して掲載が続けられる(広告だけでいえば1981年5月のIO誌にESDラボラトリが”Beneath Apple Manar”の文字広告を出している)
8月
ASCII別冊 季刊ログイン 2号のSOFTLOG From USAにて”Wizardry”の簡単な解説。PCゲームで「ロールプレイングゲーム」と明確に記載された最初の例。
第21回日本SF大会(TOKON8)にて、SPI"Universe"等のデモプレイ
9月
旧シミュレイター創刊号の”War Game Information Observation Post #2”にて、D&DなどのRPGの海外事情について解説(中野雅晴)
10月
光栄マイコンシステム「ドラゴン&プリンセス」発売(シブサワ・コウ)。ファンタジーアドベンチャーと記載。RPGの記載はないが日本で最初のコンピュータRPG
11月
バンダイ「スペースコブラ・最終兵器」発売(高梨)。ロールプレイタイプと記載。商業的に販売された日本で最初のTRPG
映画「E.T.」日本公開(拙記事参照)
12月
テクノポリスVol.6 83年1月号にて「究極のアドベンチャー・ウィザードリー」を掲載(多摩豊)。国内初の包括的なコンピュータRPGの記事でD&Dにも触れる
ポニー「スパイ大作戦」発売(高橋義信)。パッケージに「ロールプレイング」と記載した日本で最初のコンピュータゲーム(実際はRPGではない)
1983年
1月
テクノポリスVol.7 83年2月号のスタークラフトの広告にて"Wizardry"をロールプレイングゲームと表記。この後PCゲーム雑誌では記事・広告ともロールプレイングゲームの表記でほぼ統一される
2月
ツクダ「エンタープライズ」発売(3月かも:多摩)。明確にロールプレイングゲームと名乗って販売した最初のTRPG
3月
バンダイ 「イメージDoシリーズ」発売開始。全7作。イメージプレイゲームと名乗る
ツクダ「クラッシャージョウ」(4月かも:多摩)発売
旧シミュレイター3号 「BattleReport スペースコブラ最終兵器」(岡本和之)掲載。翌号まで。日本で最初の実ゲームによるリプレイ記事
4月
タクテクス9号に「トラベラー特集」掲載(高梨)。この後1986年までトラベラーの記事は継続して掲載(安田他)
月刊アスキー5月号にロールプレイングゲーム「アルフガルド」掲載
5月
月刊ログイン 83年 6月号「Wizardly:D&Dをコンピュータ化したロールプレイイングゲーム」と網羅的に紹介
光栄マイコンシステム「クフ王の秘密」発売。ロールプレイングゲームと広告・パッケージに記載するもオープニング画像では”Roll”と誤記
6月
月刊ログイン 83年 7月号「Wizardly:サーテック社訪問・ウッドヘッドインタビュー」
7月
S-Fマガジン 83年8月号 「SFゲームへの招待」連載開始(安田。85年まで)
大名マイコン学院 「ポイボスPart1 脱出編」発売。ロールプレイングゲームと記載(発売時期不明確・遅くとも11月までには流通)
8月
光栄マイコンシステム「剣と魔法」発売(福津浩)。ファンタジーロールプレイゲームと記載
9月
月刊I/O 10月号 「聖剣伝説」掲載。のち、コムパックプランドにてパッケージソフトとして発売
10月
月刊ログイン 83年 11月号 RPG特集として40ページにわたる網羅的な記事を掲載。安田によるTRPGからの系譜も掲載
同号にドンキーコマンドを原案とした「シークレットコマンダー絶体絶命」を掲載
11月
秀和トレーディング「ジ・アドベンチャー」発刊(テープ付き書籍)。6本セットのソフトのうち2本がRPG。FM7版。PC-88版は翌年1月発売
ツクダ「スペースフィールド(マクロスライフ付録)」発売(多摩)
12月
光栄マイコンシステム「ダンジョン」発売(シブサワ・コウ)
日本ファルコム「ぱのらま島」発売(土屋善男)
日本マイコン学院「バウンドット騎士編」「バウンドット地底世界編」発売
時期不明:この年より、株式会社新和が英語版D&D(AD&Dも)をTSRより正規輸入開始。
1984年
同年に発売したテーブルトークロールプレイングゲーム
ローズ・トゥ・ロード(ツクダ)、スタークエスト(ツクダ)、トラベラー(ホビージャパン/GDW)、
ゲームブック、火吹き山の魔法使い発売(社会思想社)
同年に発売したコンピュータロールプレイングゲーム
ザ・ブラックオニキス(BPS)、ファイヤークリスタル(BPS)、テレンガード(木屋通商/アバロンヒル)、ウィッチキング(木屋通商/アバロンヒル)、夢幻の心臓(クリスタルソフト)、グランドクロス(クリスタルソフト)、パラレルワールド(エニックス)、スーパーダンジョン(RAM)、アマゾン学術探検(スタークラフト/ペンギンソフト)、ドラゴンスレイヤー(日本ファルコム)、カレイジアスペルセウス(コスモス)、ボコスカウォーズ(アスキー)、LABYRINTH ニスの財宝(アスキー)、LABYRINTH II 白き魔術の書(アスキー)、サイキックシティ(HOT/B)、ハイドライド(T&S)、リザード(クリスタルソフト)、仮面ライダー(バンダイ/木屋通商?)、からくり屋敷の怪(エムアイエー)、桃太郎のロールプレイングゲーム(ヨシムラ)、ドルアーガの塔(ナムコ/アーケード)
1985年
同年6月までに発売したテーブルトークロールプレイングゲーム
グインワールド(ツクダ)、ダンジョンズ&ドラゴンズ(新和、TSR)
同年6月までに発売したコンピュータロールプレイングゲーム
アークスロード(ウィンキーソフト)、アリババ(スタークラフト/クオリティソフト)、ウルティマII(スタークラフト/オリジン)、上海(スタークラフト/SSI)、カレイドスコープ(ホット・ビイ)、ファンタジアン(クリスタルソフト)、デーモンクリスタル(電波新聞社)、クワルティルカ(アスキー)、ザ・スクリーマー(マジカルズゥ)、アクシオム(光栄)、ワイヤード2(ポリシー)、軽井沢誘拐案内(エニックス=ゲーム中のミニゲーム)、エプシロン3(BPS・7月かも)、ドラゴンバスター(ナムコ/アーケード)
