広茂線
| 広茂線 | |
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東風4B型機関車が牽引する旅客列車 (2007年3月) | |
| 基本情報 | |
| 国 |
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| 起点 | 街辺駅 |
| 終点 | 茂名西駅 |
| 開業 | 1903年10月5日(広州-三水駅間) |
| 路線諸元 | |
| 路線距離 | 372 km |
| 軌間 | 1,435 mm |
| 線路数 | 単線 |
| 電化方式 | 非電化 |
| 最高速度 | 120 km/h |
広茂線(こうもせん、中国語: 广茂铁路)は、中華人民共和国広東省仏山市南海区の街辺駅を起点に、肇慶市、雲浮市、陽春市などを経由し、同省茂名市茂南区の茂名西駅に至る、中国国鉄の鉄道路線である。当路線は珠江デルタから広東省南西部および雷州半島へと通じる主要路線である。Ⅰ級単線鉄道に指定されており、広東鉄路有限公司が管理・運営を行っている。広茂線は三水駅東側の獅山西線路所(旧・走馬営駅付近)にて連絡線を通じて広珠線と接続しており、茂名では河茂線、益湛線に接続して湛江市、広西、湖南方面へと通じている。
広茂線は2004年2月29日に、旧・広三線と三茂線が合併して形成された。このうち広三線は1903年に建設され、もともとは広州の石囲塘駅を起点、旧・三水駅を終点とする全長48.86 kmの広東省で最も早くに完成した鉄道であったが、後に経路変更がなされ東は広州駅、西は移転された三水駅に至る形となった。一方、三茂線は三水-腰古間、腰古-茂名間の2区間に分けてそれぞれ1987年7月10日、1991年5月3日に営業を開始した全長357 kmの路線であり、中国で初めて地方の資金調達によって建設された幹線鉄道である[1]。
2023年10月11日より、広茂線の広州駅-街辺駅間が広湛高速鉄道へと編入され、当路線の起点が街辺駅に変更されたことで、路線名に「広」を冠しながらも広州市内を通らない路線となった[2][3]。これに伴い、街辺駅より東側の区間を経由していた在来線の列車は他の路線へ迂回運転を行うこととなった。
歴史
[編集]広三線の建設
[編集]広州から三水に至る鉄道路線は、1902年から1904年にかけてアメリカ支那開発会社(英語: American China Development Company)によって建設された。広州の石囲塘駅を起終点兼車両基地とするこの路線は、粤漢線(広州—漢口)の支線として計画され、本線よりも先に建設された区間となった。石囲塘から仏山までの区間は1903年末に開通し、三水までの残りの区間は1904年9月23日に開通した[4][5]。
資金調達と測量
[編集]この鉄道の起源は、日清戦争で日本に敗北して著しく弱体化した清朝政府から鉄道敷設権を搾取しようと西洋列強が互いに争った、1898年利権獲得合戦にまでさかのぼる。この争いに遅れをとることを望まなかったアメリカの有力シンジケートであるアメリカ支那開発会社は、金融家カルビン・ブライス(Calvin Brice)の後援のもと1898年4月に設立され、全長1,210 kmに及ぶ粤漢線の敷設権を獲得した。1898年秋、技師長ウィリアム・バークレー・パーソンズ(William Barclay Parsons)率いるアメリカ人技師チームが測量のために中国へ派遣された。パーソンズは、アメリカ帰国後の1900年に出版した自著『An American in China』の中で、この測量中に直面した数々の困難について記述している[6]。
建設の遅延
[編集]アメリカのシンジケートは間もなく幾多の困難に直面した。米西戦争の開戦により資金不足が生じたことに加え、計画の推進役であったブライス上院議員が死去したことで、熱心で裕福な投資家を失うこととなった。株式を所有していた多くのアメリカ人は幻滅し、鉄道事業の主導権争いが続く中で徐々に仏ベルギー系の資本へ株式を売却していった。建設をさらに遅らせる次の出来事となったのが、1900年の義和団の乱である。しかし最終的に1902年秋、パーソンズが社長に就任したアメリカ・シンジケートのもと、広三線の建設が開始された。支線建設のために派遣されたアメリカ人技師チームは、技師長C.W.ミード(C.W. Mead)が率いた[5]。
広州~仏山間
[編集]石囲塘から仏山までの最初の区間は、34kgレールを使用した標準軌の複線で建設された。資金不足のため、アメリカから中古機材を購入することでコスト削減が図られている。機材には1885〜1886年に製造された後退走行(キャブ先頭走行)設計の旧マンハッタン高架鉄道用「フォーニー」型タンク機関車8両の整備済み中古車両が含まれていた。沿線の駅のほとんどは当初、簡易的な茅葺き小屋であり、路線の開通までに建設された唯一の恒設駅舎は仏山に位置していた。この区間は1903年末に営業運転を開始した[7]。
仏山~三水間
[編集]続いて仏山から三水までの区間の建設が進められ、1904年9月22日、鉄道幹部や多くの招待客が参列する中で全線完成を意味する「最後の犬釘打ち」の式典が催された[8]。この時までに、運営側は1903年にピッツバーグのアメリカン・ロコモティブ社で製造された、客車牽引用のテンダー式蒸気機関車(軸配置4-4-0)2両を初めて受領していた。後年、ボールドウィン社およびリマ社の両機関車メーカーからも同種の機関車を購入している[9]。
敷設権の失効
[編集]本線である粤漢線の建設事業が停滞していた一方で、ベルギー陣営は京漢線の建設を着実に進めていた。そうした中、フランスとベルギーがアメリカ支那開発会社の過半数の株式を購入していたことが判明し、外交問題に発展した。これは、2つの異なる国に敷設権を授与することで単一の外国勢力が北京-広州間の鉄道を支配するのを防ぐという、中国側の決定に反するものだった。鉄道の外国所有に対する反対意見の高まりを受け、中国政府は1904年12月にアメリカの敷設権を取消し、広三線を中国側の手に取り戻した。なお、京漢線に関するベルギーの敷設権も1909年に償還されることとなった[10]。
石囲塘基地と客車製造工場
[編集]1909年までに広州の石囲塘整備基地は拡張され、全長18 mの鋼製客車を自社製造できる機械工場および客車工場が整備された[11]。
敷設権失効後
[編集]中華民国による統治期、日中戦争及び国共内戦による荒廃を経て、1960年10月には珠江大橋が開通し、広州駅と石囲塘駅の間が繋がった[12]。
- 石囲塘-仏山間の開通式典の様子 (1903年)
- 石囲塘-仏山間開通初日の一番列車
- 電化前の珠江大橋 (2023年12月)
三茂線の建設
[編集]1982年、当時の鉄道部と化学工業部、広東省政府の共同投資により、三茂線の第1期工事として三水-腰古-雲浮間の路線が建設された[13]。
1987年1月、鉄道部と広東省当局の協力の下、腰古-茂名間の建設も開始された。路線は腰古を起点とし、新興、天堂、春湾、陽春、石録、那霍を経由して茂名に至る全長231 kmのルートである。同年5月28日、広東省三茂鉄路総公司が設立された。同社は省政府の指導を受け、広州鉄路局に管理を委託する形で、広東省の特殊政策のもと自主的に経営を行う管理体制をとった。同社は三茂線の三水-腰古間および雲浮硫鉄鉱支線の経営管理を担うとともに、腰古—茂名間の建設資金の調達を継続した[13][14]。
1991年5月4日、三茂線が全線開通した。三茂線は、中国で初めて地方の資金調達により建設された幹線鉄道となった[15]。
- 陽春市内の区間 (1991年開通)
- 三水駅付近を走行する深圳東-靖西間のK949次列車 (手前)
広三線と三茂線の合併
[編集]2004年2月29日、広州鉄路局は、従来羊城鉄路総公司が管轄していた広三線を三茂鉄路公司の管轄へと変更し、広三線と三茂線は正式に合併して広茂線となった。同時に鉄道部は、広茂線の路線等級を「Ⅱ級」から「Ⅰ級」へと引き上げた[16]。
もともと全線が非電化であったが、2010年代に南広線、貴広旅客専用線、広肇都市間鉄道を広州駅へ乗り入れさせるため、現在は広湛高速鉄道に編入されている広州-三眼橋間の電化工事が行われた。2015年12月14日0時より送電が開始されたが[17]、非電化区間を走る旅客列車や貨物列車は引き続きディーゼル機関車による牽引を必要とした。2017年、国務院の承認により全線の電化改修計画が策定された[18]。
2021年6月30日、広東鉄路有限公司が旧・広東三茂鉄路股份有限公司などの資産および業務を吸収合併し[19]、広茂線は広東鉄路有限公司の管轄となった。
広湛高速鉄道への改築
[編集]広湛高速鉄道の建設に伴い、広茂線の広州-街辺間は運行を停止し、広湛高速鉄道の本線へと改築されることとなった。これに伴い、街辺-上柏間の一部の線路も移設が必要となった[20]。
2023年7月、広茂線の旅客列車が使用するための江大連絡線が江村操車場に接続した[21]。9月4日には沙獅連絡線が開通し、広茂線の貨物列車は三水駅を経由したのち、この連絡線と広珠線を通って江村駅へ入線する運用へと切り替えられた[22]。10月11日には江大連絡線が開通した。広肇都市間鉄道が一時的に仏山西駅止めに短縮されたのを除き、広茂線のその他の旅客列車も沙獅連絡線、広珠線、江大連絡線を経由して京広線の江村駅へ入線し、広州駅または広州白雲駅へ至るルートに変更された。これにより、広州-街辺間の広湛高速鉄道本線への改築工事が正式に開始された[23]。同日より、仏山駅は正式に営業を休止し、改築工事に入った[24]。
沙獅連絡線は広茂線の三水-走馬営間に位置する獅山西線路所を起点とし、広珠線の官窯駅-丹灶間に位置する沙頭東線路所を終点とする。江大連絡線は広珠線大田駅の上り線から分岐し、江村駅にて京広線の下り線に接続している[25]。
2024年7月20日、新設街辺駅の構内設備の供用開始および上柏駅の廃止に伴い、広湛高速鉄道が広茂線のルートを介して広州市中心部へ乗り入れる改修工事が完了し、街辺駅が正式に広茂線の東端の終着駅となった[2][3]。
- 当路線と広珠線を接続する連絡線
- 旧広茂線の区間を走行する広湛高速鉄道の列車
接続路線
[編集]出典
[編集]- ↑ “廣茂鐵路聯為一體鐵道部對三茂鐵路實現控股”. 2020年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月22日閲覧。
- 1 2 “广茂线街边站信号改造施工顺利开通!”. 中国铁路广州局集团 (2024年7月19日). 2024年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月20日閲覧。
- 1 2 “广湛高铁利用广茂线通道引入广州中心城区营业线改造施工全面完成”. 中国基建报. 2024年7月27日. 2024年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ. 搜狐より2024年7月28日閲覧.
- ↑ "Railway Enterprise in China – An Account of its Origin and Development" by Percy Horace Kent, London 1907
- 1 2 The Far Eastern Review: January 1906
- ↑ "An American Engineer in China" by Wm. Barclay Parsons, New York 1900
- ↑ The Locomotive Magazine, April 1903
- ↑ The Far Eastern Review October 1904
- ↑ "Steam Locomotive Lists in China" by Mitsuhiro Katsurawa, Stephenson Locomotive Society
- ↑ Lee, En-han (1977). China's Quest for Railway Autonomy, 1904–1911: A Study of the Chinese Railway-Rights Recovery Movement. Singapore University Press
- ↑ The Far Eastern Review, November 1909
- ↑ “专记:珠江大桥”. 广州市志 卷四. 广州: 广州出版社. (2024-01-09). pp. 618. ISBN 7-80592-961-0 2024年1月9日閲覧。
- 1 2 陈豪光 (2022年8月22日). “【粤故事】三茂铁路建设”. 广东省人民政府地方志办公室. 2022年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月28日閲覧。
- ↑ 廖岩松 (1995). “"三茂线"上的企业文化”. 美术 (07): 85-86. doi:10.13864/j.cnki.cn11-1311/j.1995.07.022.
- ↑ 蔡湛 (2016年8月3日). “难忘的三茂铁路建设往事” (簡体中国語). 茂名日报. pp. B4. 2022年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2022年11月28日閲覧.
- ↑ “广茂铁路联为一体 铁道部对三茂铁路实现控股”. 2020年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月29日閲覧。
- ↑ “关于发布广茂铁路广州西站至三眼桥站区间和南广铁路三眼桥线路所联络线接触网送电公告的通知”. 广铁集团 (2015年12月10日). 2024年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月13日閲覧。 “本次接触网遇电时间和范围如下:自2015年12月14日00:00时起接触网送电;广茂线广州西站至三眼桥站区间K3+908~K9+111,广茂联路线三眼桥站至广州西站区间K9+104~K3+908,……”
- ↑ “广茂铁路电化改造列入国家交通基础建设项目” (2018年4月8日). 2018年4月8日閲覧。
- ↑ “省交协秘书处领导走访会员单位——广东铁路有限公司”. 广东省交通运输协会 (2021年9月29日). 2022年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月29日閲覧。
- ↑ 李志文 (2024年1月30日). “给2100米线路“搬家”!广湛高铁新年首次封锁施工完成”. 羊城晚报. 2024年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2024年7月28日閲覧.
- ↑ 许力夫 (2023年7月4日). “广湛高铁联络线成功接入华南地区最大编组站”. 新快报. 2023年7月5日閲覧。
- ↑ 黄庆 (2023年9月4日). “广湛高铁又一重要节点完成,沙狮联络线开通运营”. 广州日报. 2023年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2023年10月11日閲覧.
- ↑ 黄庆 (2023年10月11日). “江大联络线开通营运,广湛高铁建设再提速”. 广州日报. 2023年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2023年10月11日閲覧.
- ↑ 刘倩 (2023年10月10日). “广佛肇城际列车10月11日起将不进出广州站”. 南方日报. 2023年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2023年10月10日閲覧.
- ↑ “广珠线至广茂线间新建沙狮联络线贯通”. 人民网. 2022年12月29日閲覧。