創作大賞中間発表、そして来年に向けて
創作大賞の中間選考の発表がそろそろだ。
noteで検索したら、今週中に発表があるということ。
note公式さんがそのように発表したそうだ。
わたしは創作大賞には締め切りギリギリで2本を出して、翌日にはこのようなことを書いた。
「自分ごときが賞に引っかかるなんて思わないから、また来年もがんばるよ」みたいなことだ。
1ミリも期待しちゃいない、と。
その気持ちはやっぱり今でも変わらない。
であるのに、発表が近づきはじめたら、0.5ミリくらいの期待が首をもたげはじめたのである。
たぶんこれは、あるある。
子どもの頃、『なかよし』や『りぼん』の懸賞に、自分は絶対に当たるんだと毎回なぜかすごい自信と期待と悲壮感で応募していた記憶がある。
そう、わくわくとした希望だけではなくて、なぜかそこには悲壮感があった。
「どうかわたしに幸運を」
「だって毎日つらいんです」
みたいな悲壮感である。
それと今回の0.5ミリに漂っているものはなんだか似ている。
ぶっちゃけわたしは今の仕事を2年くらいで辞めたい。働きはじめたばかりなのに。
仕事が決まったときはあんなにうれしくありがたかったのに。
もちろん、ありがたいのは今も変わらない。
でも2年のうちにいろんなことがいろんな展開を見せないと、とてもじゃないけれど辞めるなんてできないだろう。
わたしみたいなでたらめな経歴での転職のむずかしさは、今の仕事が決まるまでにいやというほど身に染みた。
障害者雇用は平均倍率が40倍という話も聞いた。でも一般雇用だって大変さはおなじだろう。
だから、いろんなことがいろんな展開を見せないときっとどうにもならなくて、
「創作大賞に引っかかってくれたらいいのに」
「中間選考だけでもいいから」
と心のどこかで願うわたしが首をもたげているのである。
みなさんそうだと思うけれど、わたしは創作大賞には、そのとき持てる力をすべて出したと思っている。
1本はたいして読まれていなくて、
もう1本はわたしにしては読んでいただいている。
どちらも、そのときの自分なりに本当によくやった。
でも自分がよくやったこととそれが人に評価されることはまったく別問題で、それはどうしようもない。
どれだけよくやっても一生日の目を見ない人だっている。自分もそうかもしれない。
でもそうだとしても書きつづけると、今のところは決めているから書きつづける。
そしてそうもいかない日もあるけれど、書く以上は自他にとって得るもの、実りあるものを書けるといいなと思っている。
創作大賞の応募を締め切りギリギリにしたあと、わたしは今の仕事をしはじめ、心が暗黒期に入った。
仕事は精神科病棟の看護助手なのだが、そこはかつて自分が精神疾患で入院した病院でもあり、人としてゆるせないことがあまりにも多すぎた。
あまりにも精神の状態が悪くなり、1ヶ月以上めちゃくちゃな投稿をつづけていたと思う。
創作大賞の選考には応募作以外の記事も加味されると読んだので、もしわたしの応募作が選考対象に引っかかっていたとしても、当時のめちゃくちゃな記事を読まれていたらアウトだろう。
だからやっぱり、土台無理なのだ。
自分が作品を選ぶ側だと想像してもそうだ。
不安定な記事を量産している人、ネガティブな内容や言葉遣いのものを書いている人を選びたくはならないから。
ポジティブがいいという話ではない。
でも無名の人間が世の中に受け入れられるかたちとして、「明るさ」というものは、たとえその人の書くものが「暗い」「昏い」としても、必須のものであると思う。
もう名前が売れている人は、好きな言葉遣いで好きなことを書いたらいいと思う。
もちろん、売れているからこそそうはいかない部分もあるだろうけれど、それでもその人を支持する人たちのいくらかが、理解して受け入れてくれることだろうと思う。
でも、無名の人間がそれをやっては、ただの愚痴であり、垂れ流しであり、昔の言葉で言えば「チラ裏」(?って言葉ありましたよね……?)でしかないように思う。
わたしはもう、そこからあたまひとつもふたつも抜け出たい。
来年の創作大賞に向けて。
わたしは、本気だ。
文章で仕事がしたいとはじめて思ったのはもう20年も前のこと。
この人生でわたしが残りあと望むことは、そんなに数多くない。
というか、文章のことと、好きな人のことくらい。それだけだ。
でも最近は正直に言えばもう、こうして毎日書く場所があるだけでいいかなと思っていて、それはじゅうぶんに幸せなことだと思っていて、それは好きな人にかんしてもおなじだ。
生きていてくれて、わたしとかかわってくれるだけできっと本当は、本当にありがたいことで、それ以上のものを望んではならないのだ。
……と書くと涙が生まれ出てくるので、「望んでなにが悪い」と思うわたしがやっぱり本当のわたしなのかもしれない。
望むことは、こわいことだ。
それが叶わなかったときの落胆の大きさを、わたしはこの人生でもう、いやというほど味わっている。
だからこそ、0.5ミリの期待にとどめているのだとも思う。
だけれども、たとえ0.5ミリでも、案の定だめなら、案の定落ち込むのだろうな。
それくらい、出し尽くしたし、でもそれくらい、わかっている。
応募作が多いことなんてべつに関係なくて、選ばれる人はどれだけ数が多かろうが選ばれるに決まっているのだから。
それくらい、光るものを書きたい。
その程度に光るものを書けたかというと、やっぱり足らないのだろうなとはわかっているから。
来年の創作大賞に向かって、今週からできることをはじめていきます。
