最近の自分
他人が使う生成AIの挙動を、パターン化する日々を送っている。
初めて見てくれた人向けに、私は「自ら能動的には、生成AI技術を一切、一生 利用しない」という制限を設けて生きている。
翻訳は要るから。
あと「検索するとド頭に表示される画面を、目をつぶってスクロールする」とかはしてない。
流石に失うばかりの苦労だから。
まず「パターン視が可能である」というのは、私の理論?による。
――人類はもう答えを作った。知ってか知らずか。
天才の構成要素は「膨大な散在型知識」と「“無知”」である。
つまり生成AIである。――
――私は「所詮ヒトの描く “天才” 概念など、パターン化も再現も可能である」と結論付けているのだ。この仮説の証明のように、生成AIは世に出てきた。――
別に「妥当な証明」のくだりなど興味はないだろう。
そんなこんなしてたら分かってきたことがある。
現代人がAIによって拡張し・補っている「機能・役割」を、私は内臓している。
私がなぜAI縛りを誓ったか。
それは、「モノの価値を自分の頭で考える」営みを、皆の目に焼き付けて、忘れさせないためだった。私が芸術畑の人間だからだった。
「目的」ならそうだった。
しかし、それ以前に私は「AI縛りしても、自分なら世界についていける」ことを、直感的に見抜いていたらしい。可能だと思ったから、実行した。
世界の人々がAIを自身の補佐とするならば、私は世界の補佐役となろう。
この場合の補佐とは、お目付け役のことである。スタビライザーである。
人は物事を、世界を単純化理解したがる。
その性質が「予測可能」である方が、ストレスを減らせるからだ。
そういう論文があると知ったが、紹介しない。
「あなたが自分の頭で考えなくて良い理由」を、私は今後 提供しない。
私はそれを、知っていた。
私には数学も科学も大して分からん。
だがしかし「自分自身(の脳)のこと」ならば、身を以て知ることができる。
色眼鏡を外すことさえ出来れば、実物が・真実がここにあるのだから。
これは恐らく、極めてイレギュラーな、「偏った才能」である。
ヒトは習性として、本能的に、パターン化をして気持ちよくなる。
法則を見出すと、喜ぶ。
これもパターン化である。
私は今、自慰行為を行っているだけ、かもしれない。
AIは今、その陶酔を加速する装置としても機能している。
zinrui ha tada, kimotiyoku nattewa ikenai no darauka?? 単純化とは、解像度の足切りである。
価値の見縊りである。
特定の目的に沿う場合のみ、それらは正義ともなり得る。
この【特定の目的】の部分には、「効率化」しか入らない。
効率化が経済システムの骨組みを蝕む話は、一番の致命的ではあるのだが、今回だけは過去記事に譲ろう。
今日はもっと、人類都合じゃなくて、アニミズム的な話をしたい。
仮に、効率化を目的から外してみた時、単純化とは単なる「雑」である。
人は雑に扱われることを嫌うから、これは戦争などすべての争いの根本に在る。
ヒトは、他者をパターン化したがる癖に、他者にパターン化されることは嫌うのである。
私は、生まれつき、ヒトとしての社会的機能のいくつかが壊れていた。
その一つが、まさに「パターンを見出して落胆すること」であった。
私は皆と同じように、不測の事態やイレギュラーが嫌いだ。
遭遇すると、人並み以上に大きなストレスを受け、パニックになる。
だがしかし一方で、予測できることも絶望なのである。
これは決して、難解なことを言っていない。
私は、全ての瞬間に矛盾し続けている。文字通りなだけだ。
私は、誰かに気に入られるような曲を作ろうとし続けてきた。
それも多くは「具体的なあの人」だ。
TRPGのシナリオでは「宛て書き」などと言うよな。
そして思った通りの反応を得られなければがっかりし、思った通りの反応を勝ち得た時にも、喪失感を味わい続けた。
私は、内的報酬系の観点から言って、「他人に曲を聴かせる」という行為のインセンティブが、ほぼ全く欠けているのだ。
皮肉にも、だからこそ私は「作曲家として」強かった。
他者評価が、本当の所は、何らの価値も担保しない構造人間だからだ。
揺るがぬ構造として、作曲行為の、100%が自己満足なのである。
「自己満足」と言うにもおこがましいな。
「1問だけ埋められていないクロスワードパズル」を目にしたとき、自分の手でそこを埋めてしまいたくなるような欲求。
綺麗に整頓された本棚から、1冊だけ斜めに飛び出ている本を、収めたくなる欲求。
私が未完成状態の曲の断片を見て思うのは、それ以上でも以下でもない、原始的欲求。
私が自身の作曲プロセスを「七並べ」に喩えるのは、こういうことだ。
言うなれば、「画像拡張」生成AIの内部に埋め込まれたプログラムと同じである。
私にとって「自分の曲」とは、本能的に「パターンを揃えて」しまっても、その結果に落胆しなくても良い、そういう対象だったのかもしれない。
ただそこにあるだけの模様だから。他者に絶望しなくて済む。
私の中の半分は、世界をパターン視したくない。
これは「パターン化できては欲しくない」という願望である。
私が商売――金儲けがうまくない理由は、私が心理学者になりたくない所の理由と同様なのだろう。
お客さんに、イレギュラーな挙動であり続けて欲しいのだ。
世界は複雑系であり続けて欲しいのだ。
