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ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 第二章 成長する脅威 八、花を摘む

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「あんた、異常のせいで悩んできたんだろう? 周りとは違う、真っ当な人間じゃない。そう思ってきたんじゃないか?」
 桃の花の指摘を、シュインはただじっと聞く。こちらからは何も言っていないのに、向こうは心を確実に当ててくる。知らない人、もとい花と話してはいけない。兄の言い付けを思い出していたシュインは、続く言葉に警戒を解いていた。
「自分を変えてみたくはないか? 今までとは違う自分になりたくないか?」
 自分が異常者だと知るまでは、周りも皆が首の先に花が生えているように見えていると、当たり前に思っていた。五歳くらいの時だったか、道端に倒れていた「花」を摘み取ろうとして、野原にあるそれと感触が違うと気付いた。指先にぐにゃりとしたものが触れ、羽虫が近寄るそれに自分の「花」を近付ければ嫌な臭いがした。あれは明らかに花ではない、だとしたら何だったのだろう。帰ってから兄たちに「花」が見えるか聞いてみたが、否定された。
 以降、自然の花と町にある「花」は違うのだと知った。自分の見えている世界は普通ではない。そう思い知らされるから、「花」の多い学校は嫌いだ。いじめてくる花たちは花びらの先が枯れていて、気味の悪い色をしている。
 対してシュインの前に佇んでいるのは、可愛らしい桃の花だった。明るい色が夕方近い日差しに映え、ここが薄暗い森の中だと忘れてしまう。きっとこの花は、良い花に違いない。
「変わることができたら……わたしは、学校でいじめられなくなる?」
「ああ、もちろんさ。あんたに敵う奴はいなくなる。私の隠れ家まで来るか?」
 シュインが迷わず頷くと、桃の花は袖を引いて木々の間を軽々と進んでいった。整備された道を離れた先に、自分の家に似た小さな家があった。トタンの屋根は傾き、壁は所々表面が剥がれている。案内する桃の花が押し開ける扉が床と擦れ合う、心地悪い音がした。部屋は一つしかないらしく、畳まれていない布団といった最低限の調度の先に別の花が座っている。
「チェンの妹ですか? ここに連れて来るとは、一体どういう?」
 灰色のエリンジウムが兄を知っていることに、シュインは戸惑った。背もたれがない椅子から立ち上がって問い詰めようとする彼女を、桃の花が手を挙げて止める。
「静かにしろ。今はこいつを楽にしてやりたいんだ」
「まさか彼女も同志に加えるつもりですか? そうやって私をのけ者にするんですか、同志ばっかり増やして!」
「そんなつもりはない。あんたも大事に使わせてやるって。とりあえずここを出ろ、シヴァ。あんたにも魔法の影響があっちゃいけない」
 あからさまに不機嫌そうに息を漏らして、シヴァと呼ばれた花は乱暴に戸を開け閉めした。二人しかいなくなった部屋で、シュインは桃の花と向き合う。まず彼女自身を知っているか聞かれたが、全く覚えがなかった。元橙の大魔法使いと言われてもぴんと来ない。
「もしこの先も私のことを覚えてくれていたら、同志に加えてやるよ。その前に、私の目を見てくれ」
「目って、何? どこ?」
「とりあえず、まっすぐ前を見るんだ。それで、私の顔を触ってごらん?」
 じっと視点を正面に定め、シュインは促されるまま花に手を伸ばす。今朝の自分と変わらないひだや凹凸があり、明らかに花の見た目と合わない。少し手触りのぶよぶよしている点が、シュインの表面とは違った。
 今度は桃の花にその手を下ろされ、これから言うことをしっかり聞くよう念押しされる。
「良いかい、今から人の首から上は花になる。どんな人でも例外はない。名実共に、本当の花になる」
 同じような言葉が繰り返され、シュインはだんだんと眠くなっていった。時々気を取り直しては、少し前の記憶を思い出せずにいる。やがて眠りに引きずられそうになったところを、手の叩く音が揺り戻した。
「はい! これが私の魔法だ! どうだ、変わった感じはあるか? 試しにもう一回、触ってみるんだ」
 初めは自覚のなかった変化が、桃の花への接触で一気に現実だと理解させられた。花びらに見えるものが、本当に花びらの感触として手の中にある。すべすべとしたものもその薄さも、間違いなく花だ。自分の顔も触ってみると、鏡で見た通りの形が確かにあった。これでやっと、周りと同じになったのだ。その場で軽く飛び跳ねるシュインへ、桃の花が甘い声を放った。
「嬉しいだろう、楽しいだろう? 自分が好きになったかい?」
「……少し。でも、桃の花さんもきれい」
「良いことを言ってくれるねぇ。他に気に入ったものがあったら、摘み取ってみてくれ。綺麗に飾ると、より楽しくなるわよ?」
 話す中に笑いを滲ませる桃の花は、シュインの背を押して外へと出した。まず元いた通りへ戻り、家への方向とは逆を進む。町の花々は、夕方の日を受けて赤っぽく染まっていた。その視線を気にする心配もない。だが桃の花が言ったような満足いく花は見当たらなかった。がっかりしたものを覚えて、とぼとぼと帰路を行く。
 家に着いた時は、空が青黒くなっていた。窓の先は明かりが灯っており、戸を開けてすぐに兄――レンギョウが腕組みをして待ち構えていた。
「遅いぞ、シュイン! 学校の鞄が部屋にあったが、忘れていったのか? またレンに勉学を教授されていたのか? ……一応尋ねるが、役目は果たせたんだろうな?」
 普段なら恐ろしい兄の言葉も、今は音を聞く部分をすり抜けていく。ただ正面の花に、シュインは心を奪われている。小さな黄色い花が枝に連なっているのは、面白くて綺麗だ。向こうが何かを言っているが、その内容は分からない。花をどうしても摘み取りたい。桃の花が言った通りに飾りたい。
「聞いているのか、シュイン! 頷きくらいしろ! どうしてお前は、いつも役割を果たさないんだ!」
 シュインの襟に手が伸ばされ、閉じた扉へ叩き付けられた背に衝撃が走る。一気にレンギョウが距離を詰め、間近で見る花はより美しいのだと思い知る。
「学生は学業が本分だ! 故に通学しなければならぬ! 加えてお前には、レンを殺害するという指示もあっただろう! 頼みに答えなければ社会では生きられない! お前には将来、困ることなく生きていてほしいんだ!」
「……勉強が大事なら、どうしてレンギョウさんは学校をやめたの?」
 花の先端がわずかに揺れる。レンギョウは自分が帰る前には備えていたのか、腰に下げていた短刀を鞘から出して振り上げた。
「これからのシュインを支えていくためだ! もう窃盗に頼りたくはない! シュインには大学にも進学させてやりたい、だから金が欲しいんだ! 真っ当な方法で得た金銭がな!」
「……学校なんて、嫌いだよ」
 呟いたシュインの両手が、レンギョウの肩をぐっと掴んだ。彼の途切れ途切れな声も構わず、相手を廊下の壁へ押しやっていく。短刀を左手で奪うと構え、刃先を空中で動かしていく。どの枝を切ろうか悩ましい。
「何をする気だ、シュイン! 武器を離せ!」
 向こうの喚きも理解できない。向かって右に伸びる枝に見入ったシュインは、真ん中から分かれるそれの根元へそっと刃を入れた。
「やめろ、シュイン! やめろおぉっ!」
 枝を切り落とすと同時に、花が絶叫を上げた。断面から溢れた赤い樹液を、シュインは口を付けて吸う。甘いかと思っていたが、少し苦いのは予想を外れていた。床では樹液の流れる部分を押さえながら、レンギョウがのたうち回っている。それを置いてシュインは自らの部屋へ入り、机の上にある空の花瓶に枝を差す。花には水が必要だと思い出して、台所の流しへ走る。花瓶に入った水は赤く染まり、天井の照明にきらきらと輝いていた。

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