ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 第二章 成長する脅威 五、油断ならぬ昼夜
その日の朝食時も、レンは新たな事件の報道を聞いた。こことは森を隔てて離れた村の空き家周辺で、銃撃騒動があったらしい。ピーチェと思しき女が乱射した後、家の中にいた者と撃ち合いになったという。近隣住民の負傷者も出ており、薬物所持の件もあってピーチェへの疑いが深まっている――そんな町の声も取り上げられていた。
どうも最近、物騒なことが多い。ピーチェなる人物も怪しい上に、そもそもレン自身が追い込まれてはいる。シヴァの姿は見掛けないが、いつ襲ってくるのか分からないのだ。それを思い出すと心臓が騒ぎ、食事を前にしても手が進まない。
「レン、今日は調子悪い?」
テーブルの向かいにいる父に問われ、レンは首を振る。手に持っていたままだったスプーンで炒り卵をすくい、何も問題がないように振る舞った。柔らかな卵の舌触りもこしょうの辛味も、普段に比べれば印象が薄く感じてしまったが。気付けばニュースの内容は切り替わり、まだ早い春に向けた衣服のおすすめを紹介していた。
「……ねぇ、大乱の前ってどんな感じだった? さっきみたいな事件はなかった?」
「あったよ、今と変わらないくらい。どんな時代や場所でも、人の諍いは起きるものさ」
父はさらりと言って、湯気の少なくなってきたカップに口を付ける。つまり誰もが武器を持っていようがなかろうが、騒ぎからは逃れられないのか。
インディの寂しげな眼差しが、レンに浮かんだ。彼が望んだ世界は、彼の行動によって遠ざかってしまった。争いをなくそうとした大乱の後に武器の所持は義務付けられ、その原因になったとしてインディは批判されている。その本心を知る者が、この世界にどれほどいるだろう。
不意に左肩が温かくなり、レンは隣に座る母が手を載せてきたのだと知る。父と同じく、彼女もレンより先に朝食の多くを食べ進めていた。
「あなた、外交官になりたいって言った時の意気込みを忘れたの? あなたが動いているのを見て、変わろうと思う人も出るかもしれないわよ。何はともあれ、あなたが欲しい平和のために動くことが大事なんじゃないの?」
「……二人は、わたしが外交官になれるって思っている?」
娘の問いに、両親は揃って吹き出した。何がおかしいのか分からないレンへ、母が続ける。
「そう信じなければ、高いお金も払って娘を応援できないわよ。あんなに気合を入れているの、初めて見ちゃった。ええ、少しかっこよかったわ」
その「少し」という語に引っ掛かりを覚えるも、レンは身近に背を押している者がいると見直す。食事の皿も空にし、鞄を持って家を出、立ち寄ったマンションからはリリが出てきた。
町に入るまでの森は、所々に家が建つ他は木が生えるばかりだ。それらも多くが葉を落とし、冬の間は物寂しい。それでも同じく近隣に住む生徒たちが歩いていくので賑やかではあった。群れから少し離れた位置を進み、レンは先方に見える町へまっすぐ向かおうとした。急に腕をリリに掴まれ、彼女の方へ引き寄せられる。レンが友へもたれ掛かるようになった視線の先に、小さなものが飛んだ。
周囲にいた少年少女たちが騒ぎ始める。誰かが撃ったのかと叫び、出どころを探す者もいた。レンも後ろを探ったが、銃を持つ姿は見当たらない。
「危ないなぁ! 他の人に当たったらどうする!」
「それより、レンちゃんのほうが危なかったんだよ?」
リリに言われて、彼女が動いてくれなかったら自分が間違いなく撃たれていたと思い出す。やはり昔からの友は信用できる。彼女へ感謝を伝え、なるべく早めに学校へ到着できるよう急いだ。
初めに疑ったのは、シヴァだった。しかし彼女は人の多い場を嫌うとルネイに聞いている。今はリリと共にいた上に、登校中の生徒たちもいた。彼らの一部は、今回のことを教師に伝えてもおかしくない。そうなればシヴァはより窮地に追いやられる――不利になるはずだ。抜け目ないような彼女が、わざわざ危険を冒すとは考えにくい。
学校の門をくぐっても、二年生の教室を覗いてみても、シュインはいなかった。彼女が自分より遅れて来ることはよくある。故にこの日も気にせず、レンはさらに上階にある自らの教室に入った。また学校へ行く気持ちがなくなってしまったという事態になっていなければ良いが。
そんな心配をよそに、シュインとは昼休みにカフェテリアで会うことが出来た。長椅子に横並びで座り、いつものように昼食を始める。今日はレンとリリに挟まれていたシュインが、膝に紙袋を置いたまま動きを止めていた。レンが声を掛けようとして顔を向けると、視線の先にいた少女の顔色はひどくなっていた。血の気がないとはこのことか、少し色が濃かったはずの肌は青く、唇も赤みがなく震えている。部屋全体には空調が行き届いているはずなのに、全く恩恵を受けているように見えなかった。
「どうした? 何か嫌なことでもあった?」
レンが尋ねても、シュインは首を振るだけだった。そこに食事をしていたリリが手を止め、少女の腰辺りを指で示す。
「シュインちゃん、拳銃を使っているんだね。授業でもあった?」
こちらからは気付けなかった角度にある武器を、レンは頭を持ち上げて確かめる。確かにシュインの腰には茶色のホルダーが巻かれ、拳銃の持ち手が飛び出していた。今までに彼女が武器を帯びているのを見た経験はないが、同じものを持っていることに親近感が湧く。いつの間にかレンの両手が、シュインの小さな手を包んでいた。
「仲間がいるなんて、嬉しいや! 使い方は分かる? 何なら教えようか? わたしと同じ部活入る? 普段は週二日くらい、夕方までには――」
「部活には行きたくありません。学校に長くいたくないので」
シュインはそっとレンの手を払い、大人しく紙袋の上に置く。それにしては、指導のために放課後残っていることが奇妙だが。
「ハスの花さんと一緒なら、平気なんです。日日草さんも」
「部活で帰りが遅いってのなら、親御さんもまぁ認めてくれるだろうけど。他のことでそうなら、心配されない?」
レンがそう問うた直後、シュインは俯いた。それから肩を震わせて嗚咽を漏らす。聞くべきでないことを聞いてしまったか焦るレンを前に、少女は呟いた。
「両親なんていない……アマランスも。上のお兄ちゃんも殺された」
無責任な発言を、レンは心の中で悔いた。自分も一般的な家庭とは少し違うのに、思いやることも忘れていたのか。シュインは一人で暮らしているのかと思ったが、下の兄は健在だと聞いた。
「でも、怖い人なんです。いつも難しい言葉を使って命令してきて。学校へ行くのも命令だし、買い物とか家の手伝いもやれって言ってくる。アマランスも上のお兄ちゃんも、やりたくなかったらやらなくていいって言ってたのに」
妹の嫌がる気持ちも考えず指図するその兄へ、レンはすぐにも一言言ってやりたくなった。それでもリリの方は冷静で、彼のおかげでシュインの不登校が改善されつつあると指摘する。なら下の兄も、悪いことだけをしているわけではないのか。
他に兄から強いられているものはないかレンは尋ねたが、答えは来なかった。無理には聞き出さず、泣きやむのをじっと待つ。昼休みが終わる間際になっても、シュインは紙袋の中に手を入れなかった。
授業が全て終わった後も、レンはシュインの様子を探りに行った。しかし教室にも廊下にも、あの姿はない。彼女が先に帰ったのなら、自らもまた早めに帰宅することにした。シュインの面倒を見るだけでなく、こちらも修了試験へ勉強を進めなければならないのだ。既に教室を去ったリリを呼び止められなかったことが惜しい。仕方なく一人で帰る間、人通りの目立つ道を行くよう心掛ける。
朝に襲われかけたこともあったので、気を引き締めていく必要がある。レンは細心の注意を払っていたが、どうも後を付けられている気配が抜けなかった。度々振り返るが、町に怪しい人影はおらず、森に入っても怪しい様子は感じられなかった。
「カルマなら、関わらないって言ってきたのに」
別の可能性が頭をよぎり、レンは呆れを堪え切れなかった。以前も背に寒気を感じて、店の陰からカルマが飛び出してきたことがあったものだ。やっと落ち着けると思ったのに、今の狙われている状況は全く心を休ませてくれない。
無事に自宅へ着き、寝室で過ごしているうちに夜を迎えていた。夕食の後には父が喫茶店の空間を利用したバーを開きに行き、母は一階でシャワーを浴びる。二階の部屋に戻っていたレンは、ノートにペンを走らせている中で呼び鈴の音を聞いた。自分以外は誰も応答できない状況で、階段を駆け下りる。
玄関の戸を開けると、見知らぬ男がその先に立っていた。ざっと十七歳くらいで、シュインと同じ藍色の髪をかなり短く切り揃えている。長く濃い眉とその下にある赤い瞳が威圧感を放ち、レンは軽く後ずさりしながらもどこかシュインに近いものを覚えていた。
果たしてその男は、シュインの兄を名乗ってきた。学校で妹がどうしているか聞いてくる。彼女の話に出てきた命令する兄か、レンは警戒を崩さない。
「シュインちゃんは、毎日ちゃんと学校に来ていますよ。勉強を教えたら覚えてくるし、特に花に関することは得意みたいです。あと、同級生からの扱いが良くないみたいで」
「なるほど。それは彼女自身が真摯に対峙して解決すべき問題だ。長期間不登校だったが故に、関わり方を覚えていないだけだ。そのうち親しい者でも出来て、問題は解決するだろう」
確かに男の言い方は堅苦しい。聞いているだけで不快が募っていく。早く部屋へ戻りたい思いを抱えていると、男が目を鋭く光らせた。
「それで妹は、ただあなたと暇を持て余しているだけなのですか?」
「暇がどうというより、色々教えているんですよ。最初は弟子になりたいとか言っていて――」
話す最中に、男の後ろでものの動く気配を勘付いた。レンは視線を上げ、立ち並ぶ木々の奥を探る。その辺りに誰かがいるのか――集中はまた別の音で移る。
すぐ近くでした金具の音を、レンは聞き逃さなかった。目を落とし、男が鞘から引き抜いた刃物を認識する。すかさず彼を突き飛ばし、逃げるように家を飛び出した。先ほど気にしていた辺りでは発砲の音も響いていた。後ろに迫る足音から、レンは必死に避けていく。
広い間隔を置いてわずかな街灯しかない夜の中で、レンは奥歯を食い縛る。せめてインディから貰った明かりを持ってくれば良かった。どこへ行くとも知れず走るレンの耳に、また新たな銃声が届く。直後に上がった悲鳴が、覚えのあるものだった。確かイホノ湖の畔で、人々を前にその願いを聞き入れようとしていた女がいた。
追っていた者は、レンの遠く背後で足を止めていた。これを幸いにレンは悲鳴のあった方向へ急ぎ、木のそばに座り込む二人組を見つける。長い髪をまとめずにいる女が血の流れる腹部を手で押さえ、隣にいる桃色の髪の女が負傷者を支えていた。
「セレスト、しっかりしろ! ちょっと待ってくれ!」
介抱する女――フュシャが自らの肩にセレストを寄り掛からせるようにすると、片手で細長い布を錬成する。それを傷付いた腹部に巻き付けて止血を行っていた。なぜ二人がここにいるのか、呆然とするレンのもとに小さな足音が近付く。
はっとして振り返った先にいたのは、拳銃を持ったシュインだった。彼女は傷付いているセレストを見るなり銃を落とし、言葉にならない声を上げて後ろへ下がると、尻餅を突く。やがて目から次々と涙が零れ始めていた。
