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その課題の「現時点での解決方法」を理解しているか

こんにちは、白石と申します。

新規事業の立ち上げには、キャリアの殆ど全ての時間で関わってきました。

昨日、7年前に自分が書いた企画書を読み返した話を書きました。100枚以上あって、5カ年の売上計画はひどいものでしたが、課題設定そのものは今読んでも悪くなかった。粗いのは数字のほうであって、問題の立て方ではなかった、という話です。

書き終えた後で、一つ引っかかりが残りました。「筋が悪くない」と、私は何を見てそう判断したのだろう、ということです。思い返してみると、5カ年計画のページを何分も眺めた訳ではありません。最初の数枚を開いた時点で、ここは悪くないほうだと思っている。判断そのものは数秒で終わっていました。

同じことが、人の起案を見る時にも起きています。起案を見せてもらう機会は年に何十回かあって、最初の数分でだいたいの見当がついてしまう。速いのは経験があるからだと言われることがありますが、実際のところは少し違います。速いのではなく、見ている場所が少ないのです。

今日は、その少ない場所の話を書きます。

資料の前半だけ見る3分間

誤解のないように先に書いておくと、3分で良し悪しが決まる訳ではありません。3分で決まるのは、どこを聞くかのほうです。

起案の場に出ると、最初の数分でその日の質問の方向が決まります。ここを深掘りすれば話が進むなと思うか、前提のところから聞き直さないといけないなと思うか。この二つは全く違う時間の使い方になるので、早いうちに決めておく必要があります。そして、その判断のために見ているのは資料の前半だけです。表紙、目次、課題のページ。だいたい3枚か4枚で足ります。市場規模の推計にも、5年分の売上計画にも、殆どの場合たどり着きません。

意地悪をしている訳ではないのです。理由は単純で、数字は後から直せるからです。前提が変わったら計算し直せばいい。係数が甘ければ、詳しい人に見てもらえば直ります。直すのに時間はかかりますが、直ることは分かっている。

ところが、問いのほうは直せません。誰のどの課題を解くのかがずれていた場合、その後ろに積み上げた全部が動きます。市場の切り方も、競合の置き方も、売り方も、全部です。直すというより、作り直しになる。

「3分で分かってしまうなら、資料は要らないのでは」と言われたことがあります。逆だと思っています。3分で分かってもらえる前半を作るために、残りの枚数が要るのです。前半で信じてもらえた人だけが、後半をゆっくり読んでくれます。

では、その前半のどこを見ているのか。

課題の欄に必要な五つの項目

起案書の課題のページには、必要な項目が五つあると考えています。

一つ、課題は何か。二つ、その課題を持っているのは誰か。三つ、その課題はどんな状態の時に、何をきっかけとして起こるのか。四つ、その人は今どんな方法でその課題を解消しているのか。五つ、どういう状態になったら解決されたと言えるのか。

この五つが埋まっていれば、課題のページとしては十分です。逆にどれかが空いていると、その先の議論が必ず一度ここへ戻ってきます。

課題そのものと、それを持っている人。この二つは、たいていの起案書に書いてあります。書きやすいからです。困りごとを一文で言い切って、それを持っている人を属性で置く。ここまでは資料を集めれば形になります。

課題が起こるきっかけのところから、少し様子が変わります。どんな状態の時に、何をきっかけとして起こるのか。これは頻度と条件の話で、ここが書けていると、その課題が年に1度のものなのか毎週起きるものなのかが見えます。毎週起きることと年に1度のことでは、払ってもらえる金額が変わります。同じ課題に見えて、事業の形はまるで別物になる。きっかけが空いている案は、この分岐をまだ通っていません。

解決された状態がどういうものか、という項目も、意外と抜けます。どうなったら解決なのか。ここが決まっていないと、次のフェーズへ進めなくなります。解決された状態が描けていなければ、ではどうやってそこへ持っていくのかという、ソリューションの仮説が立てられないからです。課題の欄で止まっているつもりが、実際には解決策の側が止まっている。

そして、特に見ているのは、その人が今どんな方法で課題を解消しているか、という項目です。

今の解消方法が、本当の意味での負

今どんな方法で解消しているか。私はこれが、本当の意味での「負」だと思っています。

負というのは、口で困っていると言っている状態のことではありません。そこに実際、お金か時間か手間が払われている状態のことです。困っていると言うだけなら誰にでも言えます。けれど毎週3時間を払っているなら、それは本物です。払われているものがあるから、代わりに引き受ける事業が成り立ちます。

そして本物の課題には、必ず今の解消方法がついてきます。人は困ったまま止まっていられないので、何かしらの形で不便なまま回してしまうからです。Excelに手で打ち直しているとか、電話で聞いてしまったほうが早いからそうしているとか、担当者が個人の手帳で管理しているとか。あるいは、諦めて我慢している。我慢も立派な解消方法です。

むしろ我慢は、いちばん見つけにくい解消方法だと思います。Excelも電話も目に見えますが、諦めた人は何もしていないので、外からは困っているように見えません。課題が深いほど、人は静かに諦めていることがあります。「不便だけれど、まあこれで回っている」という状態が、必ず何処かにあります。

この項目が特別なのは、五つの中でここだけが机の上では埋まらないからです。

課題そのものも、それを持つ人も、起こるきっかけも、調べれば書けます。業界のレポートにも、白書にも、他社の事例にも載っています。解決された状態も決めの問題なので、座って考えれば形になる。ところが今の解消方法だけは、誰かの手元を見るか、話を聞きに行くかしないと出てきません。ネットと資料のリサーチでは足りず、足を使って生の声を持ち帰るしかない項目です。

例えば、こういう1行が資料にあるとします。

金曜の夕方に、担当者が3時間ほどかけて手で転記している。

この1行があるだけで、資料の見え方は変わります。3時間という長さも、金曜の夕方という時間帯も、机の上では出てきません。しかも金曜の夕方という一語からは、その作業が週次の締めに間に合わせるためのものだということまで透けてしまう。つまり今の解消方法は、課題を説明する情報であると同時に、この人が現場へ行ったかどうかの証拠にもなっています。

だから起案の場でよく口にするのは「その作業は、いま誰がやっていますか」という一言です。返ってくる答えは、だいたい二通りに分かれます。一つは「そこはまだ聞けていません」。もう一つは「3人に聞きましたが、2人は困っていると言って、1人は特に困っていないと言いました」。

後者を言える人は強いです。話が食い違ったことまで持ち帰っているからで、その食い違いこそが誰の課題なのかを絞る材料になります。困っていないと言った1人がいたという事実は、資料の見栄えとしてはむしろ邪魔です。それでも情報としては、いちばん濃い。前者が駄目だという話ではありません。まだ行っていないだけなので、行けば済みます。3分の判断が変わるのは、聞きに行った次の週です。

少し前に、AIで新規事業案を10本作れた日の話を書きました。作れる量は増えたのに、決まる数のほうは変わっていない、という話です。

あの時に感じていた物足りなさの正体が、今なら言葉にできます。AIは今の解消方法を埋められません。見に行っていないからです。学習しているのは既に文章になったものですが、誰かの金曜の夕方はまだ何処にも書かれていないので、拾いようがない。だから出てくる案は、課題の設定としては綺麗に整うのに、負の在処だけが空いたままになります。

試しにその欄をAIに埋めさせてみたことがあります。返ってきたのは「Excelでの手作業による管理が一般的です」といった文でした。間違ってはいません。ただ、それは誰の金曜の夕方でもない。一般的です、という言い方になった時点で、それは解消方法ではなく解消方法の平均値です。平均値には、誰も時間を払っていません。

これは欠点というより、境界線だと思っています。構造を整理させる、抜けを指摘させる、言い換えを出させる。この辺りは任せたほうが速い。一方で負の在処を埋めるところは、こちらが足を使って持ち帰るしかない。分担がはっきりしているだけで、使えないという話ではありません。そしてこの分担は、起案を見る側にとって都合が良くもあります。解消方法の欄が空いている案は、どれだけ整っていても見分けがついてしまうからです。

数字を先に見ると、問いの間違いを見落とす

ここで、数字の話に戻ります。

数字を後回しにする理由は、直せるからだと先に書きました。もう一つ、実務的な理由があります。数字を先に見ると、問いの間違いに気づけなくなるのです。

売上計画のページを開くと、そこには具体的な数値が並んでいます。人はそれを見ると検算を始めてしまう。単価が高すぎないか、この成長率は現実的か、獲得コストはどう置いたのか。全部まっとうな質問です。そして、まっとうな質問をしているうちに時間が終わります。1時間の打ち合わせで数字の話を40分やると、課題の五つの項目に戻る余裕はもうありません。しかも困ったことに、数字の議論は前へ進んでいる感触があります。数値が動くので、何かを詰めた気持ちになるのです。

聞き方を変えると、この違いははっきり出ます。「この数字の根拠は何ですか」と聞けば、たいてい何かしらの答えが返ってきます。ところが「この課題は、いま誰がどうやって解消していますか」と聞くと、止まることがある。止まったほうが大事な質問です。

昨日の記事に書いた7年前の5カ年計画も、当時これで随分と時間を使いました。右肩上がりの線が5年のあいだ一度も折れていない、という話を書きましたが、あの線を直すことに意味があったかというと、あまりなかったと思います。折れた線に直したところで、その下にある五つの項目は何も埋まりません。

数字は、五つの項目が埋まってから初めて意味を持ちます。誰のどの課題を、いまのどの解消方法の代わりに引き受けるのか。そこが決まると、単価の置き方も市場の数え方も自動的に決まってきます。逆に、そこが決まっていない状態で作った数字は、根拠ではなく飾りになる。順番を守れば、数字を作る時間そのものも短くなります。数える対象が絞れるからです。問いが曖昧なまま数え始めると、何を数えても不安が消えず、資料だけが厚くなっていきます。

7年前の私は、飾りのほうを厚くしていました。顧客をどう定めるかについては、以前にも書いたことがあります。

自分の起案書に課題の解消方法を書き足す

ここまで、見る側の話として書いてきました。ただ、この話がいちばん効くのは見られる側に立った時だと思っています。

明日できることを一つだけ書きます。いま手元にある自分の起案書を開いて、今どう解消しているかが何行書いてあるかを数えてみてください。誰が、いつ、どのくらいの時間をかけて、その課題を今どう凌いでいるか。その記述が何行あるか。長さは要りません。1行あれば足ります。

もし0行だったら、それは資料の問題ではありません。まだ聞きに行っていない、というだけの話です。厚さを足すのではなく、1人に会いに行くほうが速い。

書き忘れるのはよくあることだと思います。起案書を書いていると、構造を整えるほうに気持ちが向いてしまうからです。負の在処を書いた1行は、構造の美しさには何も足しません。むしろ生々しくて、整った資料の中では浮きます。それでも浮いていて構わないのだと思います。浮いている1行だけが、机の外から持ち帰ったものだからです。しかも1行を足しても、資料の見た目は殆ど変わりません。100枚が101枚になるだけです。それでも読む側の姿勢は変わります。

これは自分への戒めでもあります。7年前の私の企画書には、今どう解消しているかが1行も書かれていませんでした。100枚のうち1行もです。起業家を増やしたいと書きながら、起業を諦めた人が今その気持ちをどう処理しているのかを、私は一度も聞きに行っていませんでした。足りなかったのは枚数でも数字でもなく、1行でした。

3分で見られてしまうというのは、恐ろしい話に聞こえるかもしれません。けれど裏を返せば、3分で伝わるということでもあります。前半の数枚に負の在処が1行あれば、その先はゆっくり聞いてもらえる。逆にそこが空いていると、残りの97枚は読まれないまま終わります。

新規事業をキャリアに選んでから考えてきたことは、こちらのマガジンにまとめています。

いかがだったでしょうか。 貴方の中に少しでも気づきを与えられていたら嬉しいです。 それでは。

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