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7年前の100枚の事業企画書は、今なら20枚で書けてしまう

こんにちは、白石と申します。

新規事業の立ち上げには、キャリアの殆ど全ての時間で関わってきました。

少し前に、AIで新規事業案が10本作れた日の話を書きました。作れる量は増えたのに、決まる数のほうは変わっていない。綺麗に整った資料からは、その人がこの事業をどう見ているのかが伝わってこない。そういう話です。

書き終えた後で、少し落ち着かない気持ちが残りました。人の資料に温度がないと言うのなら、では自分の書いたものは何処にあるのか、という話になるからです。

「あなたの資料には温度がありますか」と聞かれて、すぐに頷ける自信はありませんでした。

ちょうどその頃、Googleドライブの整理をしていました。使っていないフォルダを片端から開いては消していく、あの作業です。

そこで、7年前の企画書が出てきました。

整理のつもりが発掘になってしまった、というのが正直な感覚です。

ドライブの整理で出てきた100枚の資料

自分の会社を立ち上げた時に作っていた事業案でした。資料は100枚以上あります。更新日付は7年前で止まったままでした。

当時の私は、30代のうちにFIREするぞと考えていました。スタートアップ的に伸びていく会社と事業を、自分の手で作るんだと躍起になっていた時期です。

人生で最も根拠のない自信を持っていた頃だと思います。

30代のうちにFIREするというのは、当時それなりに流行っていた言い方でもありました。今になって思うのは、事業を作りたかったのか、それとも早く自由になりたかったのか、自分でも整理がついていなかっただろうということです。企画書の何処にも、その整理は書かれていません。書かれていないことのほうが、読み返すと目につきます。

「根拠のない自信」というのは、後から振り返るとみっともない言葉に聞こえます。ただ、あの時期の私を説明するのに、これ以上正確な言葉が見つかりません。根拠がないことに気づいていなかったのではなく、根拠が必要だということ自体をまだ知らなかった、という順番です。

ファイルを開く前に、少し身構えました。懐かしさは勿論ありました。ただ、昔の自分の仕事を見返すのは、大抵の場合あまり気持ちの良いものではありません。当時は精一杯だったはずのものが、今の目で見ると粗ばかり目についてしまう。成長したということなので悪い話ではないのですが、進んで見たいものでもない。

まさしくパンドラの箱を開ける感覚でした。

当時の起業ピッチのための資料

粗だらけなのに恥ずかしくない

粗は、実際にありました。

いちばんひどいのは5カ年の売上計画です。読んでいる途中で「こんなに上手くいく訳がないだろう」と、思わず声が出ました。数字の根拠が薄いというより、根拠という概念がまだ手元になかった、という水準です。

右肩上がりの線が、5年のあいだ一度も折れていませんでした。実際の事業は必ず何処かで踊り場に入ります。当時の私は、その踊り場を線の上に置けませんでした。折れた線を見せると弱く見える、と思っていたのだと思います。

一方で、課題設定のほうは今読んでも筋が悪くありませんでした。

当時の私はM&Aの領域で仕事をしていました。そこで日々見ていたのは、会社の「出口」が広がっていく光景です。上場する、事業を譲渡する、会社ごと売る、あるいは畳む。会社を終わらせたり手放したりする選択肢は年々増えて、その周辺は盛り上がってもいました。

ところが「入り口」のほうを見ると、様子が違いました。

当時はフリーランスから一人で起業する流れが来ていて、起業の数そのものは横ばいでした。それでも、会社を作って人を雇って大きくしていく側の人口は、確実に減っていたのです。出口は広がっているのに、入り口だけが細くなっていく。この形は何処かおかしいだろう、と思っていました。

同じことが、個人のキャリアでも起きていると感じていました。今の会社で頑張って上に上がるか、それとも転職するか。当時も今も、相談を受ける時に出てくる選択肢は大抵この二択です。

そこに「第三の選択肢」として起業を置けないか、と考えていました。

企業理念は「起業という名のインフラを作る」でした。起業家を増やす、しかもハードルを低くして増やす。中身は起業家のパーソナルトレーニング事業です。一人ひとりに伴走して、事業を立ち上げるところまで持っていく。今の言葉で言えば、起業の個別指導のようなものを考えていました。

7年経って、働き方は当時よりずっと多様になりました。副業も伸びました。あのまま続けていれば、それなりの規模になっていた可能性はあると思います。

ただ、そんなものは後からどうとでも言えることです。

やらなかった事業が上手くいったかどうかは、誰にも分かりません。当てたことにできる分、外したことにもできる。私が言えるのは、あの100枚を読み返した時、そこに確かに熱が残っていた、ということだけです。

粗だらけなのに、恥ずかしくありませんでした。

背伸びしていたことが今なら見える

とはいえ、良い気持ちだけで読み終えた訳ではありません。

読み進めるうちに、当時の自分が随分と背伸びをして、無理をしていたことが分かってきました。これは今だからこそ分かるものです。

知らないことだらけでした。「リーンキャンバス」も、市場調査のやり方やフォーマットも、売上計画に使う係数も、当時の私は知りません。特に、新規事業や起業で事業を立ち上げていく時の「フェーズ」というものの解像度が、今と比べて圧倒的に低かった。

はっきり言えば、めちゃめちゃな立ち上げ方をしようとしています。

検証する前に組織図が描いてあったり、最初の顧客が決まる前に採用計画が並んでいたりする。順番が違うのですが、当時はその順番があること自体を知りませんでした。

今なら、最初にやるのは100枚を作ることではありません。困っている人を何人か見つけて、話を聞きに行くところからです。当時の私は、話を聞きに行く前に答えを書き終えていました。

意味が分からないまま使っていた言葉も、恐らくあったはずです。何処かで見て格好が良いと思った語を、そのまま自分の資料に置いている。読み返すと、その部分だけ手触りが違います。自分で選んだ言葉と、借りてきた言葉は、7年経つと見分けがつくものだと知りました。

見分け方は単純です。借りてきた言葉には、その言葉を選んだ理由が書かれていません。自分で選んだ語なら、何故その語なのかを前後の文が支えています。借りてきた語のほうは、支えのないまま一枚の真ん中に大きく置かれている。当時は格好が良いと思っていたのですが、今読むとそこだけ音が響いていません。

それでも、頭ですごく考えて、なんとか数字に落とし込もうとした形跡はしっかり残っていました。分からないなりに、分からないまま止まってはいなかった。そこは今の私が褒めてやりたいところです。

ここで気づいたことがあります。

「背伸びしていた」と分かるのは、この7年で自分がそれなりに経験を積んで、成長できたということです。当時の私には、自分が背伸びしていると気づくための目盛りがありませんでした。だから背伸びのまま突っ走れた。

見えるようになったこと自体が、成長の証だったわけです。

これは少し意外でした。昔の資料を開く時、私たちは「どれだけ下手だったか」を見に行くつもりでいます。実際に見えるのは「どれだけ背伸びしていたか」のほうで、そちらは下手さとは全く別の情報です。

ページ数と図解で埋めた背伸びの跡

もう一つ、はっきりと見えたものがあります。

今の私なら、あの100枚の内容を20枚程度に圧縮できると思います。同じことを言うのに、5分の1で足りる。

では、残りの80枚は何だったのか。

では、その20枚には何が残るのか。誰のどの困りごとを解くのか。それが今どう処理されていて、何故その処理では足りないのか。自分たちに何ができて、何ができないのか。最初の顧客は誰で、その人がお金を払う理由は何処にあるのか。数えてみると、本当に要るのはこのあたりでした。

残りの80枚は、この4つを補強するための材料だったことになります。

読み返して感じたのは、あれは不安と不足を埋めるための枚数だった、ということです。事業としても完璧ではない。自分自身のスキルとしても完璧ではない。その足りない部分を、ページ数と図解で補おうとしていた。

言葉で説明しきれないところに図を置き、自信のないところにページを足す。市場規模の図が3枚続いていたり、同じ構造をベン図と四象限とピラミッドで3回説明していたりする。一度で伝わらないと思っているから、手を変えて繰り返しているわけです。

その痕跡が、100枚のあちこちに残っていました。

私はこれを"背伸びの跡"と呼ぶことにしました。

面白いのは、この背伸びの跡が、粗さとは全く別のものだということです。5カ年計画のひどさは、単に知らなかっただけの話で、読んでいても腹は立ちません。ところが背伸びの跡のほうは、見つけるたびに少しだけ気恥ずかしい。

知らなかったことは恥ずかしくないのに、知らないことを隠そうとした形跡だけが恥ずかしい。この差は何なのだろうと考えていて、当時のことを一つ思い出しました。

資金調達の話でVCの方々に会っていた頃、こう言われた記憶が何度もあります。

「事業内容はこれからたくさんブラッシュアップしていけば良い。それより白石君に投資したい」

当時はよく分かっていませんでした。事業を見に来ているはずの人が、事業ではないところを見て判断している。褒められているのか、それとも事業のほうは評価されていないのか、判断がつかなかったのを覚えています。

正直に書くと、少し照れ隠しのように受け取っていた気もします。事業が弱いから人を褒めるしかなかったのだろう、と。

今は違う読み方をしています。あの100枚の中で、いちばん情報量が多かったのは、書いた人間の輪郭のほうだったのだと思います。

今なら分かります。

あの100枚は、事業を説明しきれてはいませんでした。数字は甘く、フェーズの踏み方も間違っている。それでも、作った人間の姿だけは資料越しに伝わっていた。何処が分かっていて何処が分かっていないか、何を怖がって枚数を足したのか。全部写っていたわけです。

綺麗な資料には温度がないと私が書いたのは、その裏返しでした。粗い資料には、消し忘れた温度が残っている。

7年後に見える今の背伸びの跡

ここまで書いて、少し怖くなりました。

今の私が作っている資料も、7年後の私がどこかのフォルダから発掘します。その時に見えるのは、粗さではありません。粗さは減っているはずです。見えるのは、背伸びの跡のほうです。

そして、それが見えるということは、7年後の私がまた成長しているということでもあります。

7年前の私は、100枚を作れば伝わると思っていました。今の私は、20枚で足りると知っています。ただ、20枚で足りると知っていることと、その20枚に温度があることは、全く別の話です。

枚数を削る技術は、この7年で身につきました。削った先に何を残すかは、いまも毎回迷っています。

だとすると、背伸びの跡が一つも見つからない資料のほうが、よほど怖い。それは7年間、目盛りが一つも増えなかったということになります。

過去の自分に会いに行く話は、以前にも一度書きました。

そもそも新規事業をキャリアとして選んだきっかけについては、こちらにまとめています。

もし今、手元にしばらく開いていない古いフォルダがあるなら、一度だけ開けてみてください。粗さを笑うためではありません。何処で背伸びをしていたかが見えたら、そのぶんだけ進んだということです。

一つだけ、まだ整理のついていないことを書いておきます。

今の私は、あの100枚を20枚にすることができます。

ただ、あの100枚を書くことは、もうできません。

新規事業をキャリアに選んでから考えてきたことは、こちらのマガジンにまとめています。

いかがだったでしょうか。 貴方の中に少しでも気づきを与えられていたら嬉しいです。 それでは。

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