ニュートラルという、一番静かな幸せ
ニュートラルという、一番静かな幸せ
私たちはいつも、どこかで「強い光」を追い求めて生きている。 美味しいものを食べた瞬間の喜び、好きな人と結ばれた時の高揚感、目標を掲げ、それを苦労の末に達成した時のあふれるような達成感。 それらは確かに美しく、輝かしい「一瞬の幸せ」だ。
しかし、そうした強い幸せの波は、いつまでもそのままの高さで続いてはくれない。大きな興奮の後には、潮が引くように反動の波が訪れ、その高低差に心がどっと疲れてしまうこともある。 光が強ければ強いほど、その陰にある静けさや、次にやってくる日常にぽっかりと穴が空いたように感じてしまうのだ。
いつからか社会や私たちの周りでは、心の中にある「辛い記憶や過去の傷」を無理に掘り起こし、言葉にして語ることが、回復への唯一の道であるかのように語られるようになった。カウンセリングの現場や、SNSの片隅でも、その痛みに共感し、寄り添うことが美しいとされる。 けれど、傷口を何度もえぐるような作業は、心に想像以上の苦痛と消耗をもたらす。無理に思い出された辛い過去は、脳の中で当時の恐怖や痛みを鮮明に再体験(再トラウマ化)させ、自分を責める悪循環や、ネガティブな思考を何度も繰り返す「反芻思考」の罠へと私たちを誘ってしまう。
さらに、他人の辛い経験や重い感情の言葉をインターネットで浴び続けることは、知らず知らずのうちに私たちの心のバリアをすり抜け、読む側のエネルギーをも奪っていく。「共感疲労」と呼ばれるその疲弊は、現代の私たちが直面している、静かで、しかし確実な心の病だ。
だからこそ、いま私たちは、自らの意志で視点を切り替える必要がある。
無理に過去を振り返り、傷をさらけ出して消耗するアプローチを一度手放してみる。その代わりに、心の中にもともと存在している「幸せだった記憶」や「楽しかった思い出」、そして「今この瞬間にある、心地よい現実」へと、静かに視線を移していく。 それは、逃げでもなければ、現実逃避でもない。人間が本来持っている、自ら立ち直り、健やかに生きていこうとする力――「レジリエンス」をそっと引き出すための、心理学的にも非常に理にかなった、自分を守るための優しい防衛策なのだ。
そして、その旅路の途中で、私たちは一つの静かな真実にたどり着く。
特別なイベントが起きていなくても、劇的な感動がなくても、「ただ、嫌な感情が心の中にない状態」。 それこそが、実は最も持続可能で、何よりも尊い「幸せ」の姿なのではないか、ということ。
アップダウンのない、おだやかで真っ新な「ニュートラル」の気持ちでいられること。 その静けさは、強い興奮のあとにくる反動の疲れとは無縁だ。何もないけれど、おだやか。そのフラットな感覚こそが、私たちの心がいつでも帰ってくることのできる「安全基地」となる。 「今、嫌な気持ちがなくて、ホッとしているな」 そうやって自分のニュートラルな状態に気づき、それをそっと認めてあげられたとき、私たちの心には静かな回復の温もりが行き渡る。
このニュートラルな幸せをベースに持った人々が集う場所は、誰をも傷つけず、お放しがお互いに安心して佇むことのできる温かい居場所になる。そこでは、自分の痛みをわざわざ差し出す必要はない。自分が心地よい、楽しいと思える範囲で、心から愛おしいと思える瞬間や、ささやかな幸せの記憶を、ただ静かに形にしていけばいい。
誰かの純粋な喜びや温かい思い出に触れることは、読む側の心をもじんわりと満たし、この世界はまだまだ捨てたものではないという「心の栄養」と「希望」を運んでくれる。
強い光を追いかけなくていい。 ただ、嫌な感情のない穏やかな時間、その「ニュートラル」という一番静かな幸せを、そっと抱きしめて生きていこう。 その小さな灯火は、自分自身の心を優しく回復させるだけでなく、同じように情報過多の世界で傷つき、疲れ果ててしまった誰かの足元を、そっと、温かく照らす光となるはずだから。



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