「音楽批評の内在派VS外在派論争」に意味はあるのか? -Let’s get together and feel alright
一リスナーの個人の感想でしかない当note。
前回の記事で「音楽批評」をめぐる盛り上がりに対する意見は書いたので、もうそのテーマで書く気はなかったのですが、Xを見ていたら剣呑な空気感の醸成を感じたので、不毛な学派論争に終止符を打ちたく、冥府より帰還しました。
1. 「音楽批評の内在派VS外在派論争」って何だ?
なんかXのトレンドにデカデカと表示されていました。

本当にそんな論争あるんですか?対立煽りでビュー稼ぐのが得意なXらしいまとめ方だなGrokさん?
というわけで半信半疑というか、ほぼ全疑で引用されているみの氏のnoteを読みました。
今回の試みは、(中略)いまの音楽ジャーナリズムを取り巻く状況に対して、あらためて「問い」を投げかけてみようとしたものでもある。
と書かれている。
この点については本当に素晴らしい試みだと思います。
また、結論となっている、
ただ、批評の形は一つである必要はないはずだ。
内在的に価値づける批評もあれば、外在的に配置する批評もある。それらが互いを排除するのではなく、健全に併存できる地盤が必要なのだと考えている。僕の仕事は、そのうちの一つの選択肢を、理論ではなく「実践」として提示し続けることにある。
これからも僕は、音楽を音楽として語る。 それが、いま最も誠実な態度だと信じているからだ。
という着地点も熟慮された公正な視点だと感じた。
その通りじゃん。みの氏の「問い」にも自身の批評軸に対する自覚にも客観性があるし、他の批評スタイルについても否定はしていない、というかはっきりと「両方必要だよね」と言っている。
率直にいい文章だと思いました。
そこで終わるのならこのように書く必要は全くないのですが、やはり有名人であるが故にそのリアクションは大きく、当然の如くいろんな方の意見が交わされていますね。
その中でやはり上記の「内在派」か「外在派」か、どちらが正しいのか的な議論も出ているのかな、と感じました。
つまり、みの氏のメッセージが必ずしもそのまま伝わっていない。
もしくは「どっちかじゃないよね」という意見が結果的にどちらかの優劣を判定させる方向に作用している。
これは端的にあまり良くないなと思いますし、「どっちが正しいか論」は息苦しくてつまらない、という当noteにて前回書いた懸念に沿った流れでもあると思うので、こういう流れになるメカニズムは何なのか、少し検証してみたい次第です。
2.「音楽解説であって批評ではない」という批判へのアンサー
みの氏のnoteは、その前に他のnoter の方がみの氏の「音楽批評」動画に対してそれは批評なのか?という疑問を投げかけたことに対するアンサーとしての内容。
この時点ですでに軽く二項対立的な構図に見えがちなのですが、前述の通りみの氏の文章の主旨はかよちゃん氏らの視点を否定するものではなく、「批評の形は一つではない」という広い視点を担保したもの。
しかしながら、
①その結論に至るまでの文章がまあまあ長い
②批評の「流派」という、わかりやすく対立項をイメージさせる対置
③「外在派の社会的文脈に頼りすぎた批評」への批判的視点
主に上記三点が盛り込まれていることにより、7割目くらいまで読むと「外在派はクソだな」とちょっと思ってしまいそうな説得力をみの氏の文章は持ってしまっています。
本来noteというプラットフォーム自体は長文が普通であり、長くても最後まで読むことに慣れているユーザーが大半だと思うのでその限りにおいては上記構成で何の問題もないと思うのですが、一歩外に出ればそこは「90秒の枠の中でいかに盛り上がりとアテンションを作れるか」の世界。
特にXでは格好の対立煽りアテンション獲得コンテンツとなってしまう、というのが現在地なのではないでしょうか。
しかし、こうした対立で「盛り上がる」のは話題としてはおもしろくても「音楽批評」にとっては健全とは言い切れない。
という懸念を持つ当noteは、「この二項対立は存在しない」という視点から問いかけたい。
というのが今回の文章の主旨です。
3.みの氏の「音楽批評」は「社会」について語っていないのか
実際に視聴してみて、個人的にはみの氏の批評動画は必ずしも「音楽の内部についてしか語っていない」とは思いませんでした。
むしろ特に「ライラック」へのコメンタリーはかなり社会的な側面があるのではないか?という感想。
なのでそもそも「これは批評ではなくただの解説」という指摘は少し視野狭窄的なのではないかと思います。
それに番組のコンセプトを考えても、前回まで100%音楽の話だったのにいきなり現代社会の話から始まったら不自然ですし。
その意味で楽曲構成やアレンジについての理論的な話と、その視聴体験から想起される「楽曲とリスナーとの関係性」の話になるのは理に適っていますし、さらに言うとその「リスナーとの関係性」こそが社会性そのもの。
本人が「『内在的批評』を積み重ねた結果として、図らずも『社会との接続』が露わになった」と言う通りの音楽批評ではないかと思います。
つまりかよちゃん氏の「勘違いしないでね」というのは少し前のめりな批判というか、直接的な社会的接続文脈でなければ批評的視点に欠けている、というのは少し「リスナーの感性や知性を低く見積もっている」気もしなくもありません。
みなまで言わずとも、ライラック評を聞いた聡明なリスナーの中には社会的文脈が立ち上がってくるはずです。
また、かよちゃん氏の「怪獣」批評。これはこれで個人的に好きな視点でありもっと書いてほしい、と切実に思っています。
しかしながらあえて批評的に読みますと、「売れた国民的大ヒットソング」という前提だからこそ成り立つ批評とも言えます。
つまりもし「怪獣」が一度たりともチャート上位に入らなければそもそも成り立たない批評であり、その場合今度は「なぜ売れなかったのか」と正反対の問いの立て方をしないといけなくなります。
あるいは批評の対象にすらならなくなります。
その意味ではみの氏の「肝心の『鳴っている音』や『音楽的な達成』への踏み込みが疎かになってはいないか」という問題意識にこの批評単体では応えきれない、という見方もできなくもありません。
4.両者は同じ地平を目指している
ここで改めて述べたいのは、どちらが正しいか/優れているのかをここで論じる気は全くないということです。
むしろ最終的には、両者の言っていることは同じことであり、目指す方向も同じなのではないか?ということです。
双方の文章からは、「音楽そのものへの言及」「社会的接続への言及」どちらが欠けていても音楽批評は成り立たない、というストイックな目線が読み取れます。
つまり異なる視点、異なるアプローチの交差点に必然的に立ち現れるものこそがその音楽に対する「批評」なのだ、と言うことができるのではないでしょうか。
だとすれば双方が拒んでいるのは「踏み込みの甘い中途半端な分析や解説」であり、「業界やアーティストに遠慮した無難な物言い」であり、目指しているのは「突き詰めた批評」。
ということで、同じ地平を目指していることに変わりはないのではないか、というのが感じたことです。
批評における内在的と外在的って、昔、師匠からはどっちもやれやって言われたな。
— 蒼井聡児 aoi soji|中尺思考 (@aoismith2nd) February 1, 2026
というか、最終的にはどっちもやらなあかんやろ。やらないとやれないは全く違う訳で、その裏側に隠れてのがどっちか全然分からんってのが今の問題なんだろう。
つまり抗うべきは「音楽批評など要らぬ」「真剣に曲を作っているアーティストを外野が批判するな」「ヒット曲を作ってから言え」といった、批評の全否定及びアーティスト絶対主義的な論調に対してだと思うんですよ。
ここでジャマイカの対立党派の歴史的な和解を音楽によって試みたボブ・マーリーのように両者の和解を呼び掛けたいところなのですが、当noteにそのような影響力は皆無のため、幸運にも目に留めて頂いた読者の方々への呼びかけとさせて頂きたいと思います。
One love , One heart , Let’s get together and feel alright.
5.「批評」の当事者性
ここまで融和を掲げて来ましたが、全く別の視点を導入したく思います。
Dos Monosの荘子it氏が以前The Sign Podcastで述べていた、「音楽批評は当事者性のない、責任の所在が曖昧な傍観者目線の話になりがちだ」という批判です。
彼は社会的文脈などから「客観的に語っている」風な批評に対してノーセンキューと言っており、「文脈はこっちで用意してやるから音楽だけを聴いて論じてくれ、というくらいの気持ちで曲を作っている」というニュアンスのコメントをされていました。記憶が正しければ。
彼らの音楽にはまさにリリックとして空気のように社会的な視点が内包されており、言うだけあるというかホントそれだけで語った気になっちゃダメだよね。だって元から詞に書いてあるんだから。と深く思わされた記憶があります。
もう一つ、てけしゅん音楽情報の伏見瞬氏のnote。
「音楽レビューは無意味だ」とは、これまた辛辣な意見。
プロの批評家ならではの危機意識がありますし、「動画・音声コンテンツに比べてテキストはおもしろくない」というのは個人的にも痛烈な指摘です。
でも両者に共通するのは、「外側から眺めるだけの客観的な情報整理や解説はニーズがない」「作品と自分との間に発生する当事者性、関係性を内側から言葉にすることに価値がある」という視点です。
つまり安全な場所から理論武装して御高説を垂れてるんじゃないよ、あんたがどう感じたのかを自分の言葉と熱量で語れよ、と彼らは言っているわけです。
日本人のロードサイド文化論なんてどうでもいい。あんたにとってロードサイドの風景がどう見えるのかを語ってくれ。
単調で保守的なビートや展開過剰な曲構成があんたの中に何を生んだのかを教えてくれ。
荘子it風に言うとそういうことであり、互いの武装を断ち割った作り手と受け手の裸一貫の立ち合いにこそ意味があるんだ、ということでしょう。
この視点は内在派/外在派の二元論よりさらにストイックかつアート寄りの意見だと言えるかもしれません。
つまり商業的に成功しただけのヒット曲をフラットに「客観的に」批評してもその熱量は生まれず、読む価値のある批評になりにくいということ。
批評の対象もまた書き手にとって強い「問い」を発する作品である必要があるということです。
なんか、書けば書くほど自分の首を絞めている気がしてきました。
そんな文章をお前は書いているんですか?と自らに問わねばなりませんからね。
とにかく、話をまとめると「音楽そのものへの言及も社会的文脈もポップミュージックについて語るなら含まれて当たり前だろう。
問題はそれだけを達成したところでおもしろい批評にはならないということであり、リスナーに届かせることもできないということ。
その前提をクリアした上で当事者として何を思い、伝えたいのかを自分の言葉で語ることが必要なんだ」ということでしょうか。
僕が言った意見ではないのに、全方位で自爆しているような着地点になって参りました。
ですがこれはあくまで「目指すべき地平」の話。
現時点で達成できていなくとも、理想を持つことに意味はある。という自己正当化を踏まえつつ、冒頭に申し上げた通り「内在派VS外在派の論争は存在しない。あったとしてもそんな争いに意味はない」というメッセージを再度リフレインしたいと思います。
文中、みの氏や他の方の言説にやや批判的なニュアンスがあったかもしれませんが、それは本題ではありません。
両者のリスクを取ったコメンタリーには敬意を持っていますし、本音を言えばガンガン辛口批評やってほしい。
私が批判したいのはすぐに二項対立を煽るXの安直なまとめ方の方ですね。Grokお前はちゃんとnote全文読めよと。
でもそもそも論を言うと、今回「ヒット曲への辛口批評」の是非が議論の中心になっていますが、本来「批評」=「批判」ではありませんよね。
批評的に肯定する、批評的に意味を見出すというのも批評のメインストリームだし、それを抜きにして「批評めんどくせー」「音楽通気取りうざい」「ネガティブな批評なんて誰も求めてないんだよ」というリアクションばかり発生してしまうのは、せっかくの問題提起に対してもったいない機会損失だと思います。
そういう意味ではポジティブな批評、肯定的な音楽批評も並行して試みて頂きたい。
って傍観者目線で語るなよ。と荘子it氏に怒られそうなので、当noteもそれができるように頑張りたいと思います。未来で。
6.「そもそも山口一郎氏が言ったのはそういう話じゃないから」という指摘について
「noteの音楽批評についての文章は全部話をわかっていない」という指摘についても、書いた人間の一人として言及したいと思います。
確かに山口一郎氏は「売れていないアーティストのフックアップや紹介を音楽メディアはやっていない」という話をされていました。
ただそれと同時に「(音楽には)アニメや漫画に対して交わされるような厳しい批評がない」「絶賛か無視しかない」といった指摘もされており、この二つは別の話というか、別々の問題提起だと思います。
なので後者へのリアクションから発展した現在に至る議論自体は的外れな話ではないと思います。
また、前者のフックアップ問題に関しては、集合知に期待するしかないんじゃないでしょうか。
つまり既存の音楽メディアは広告収入やフェス興行がなければもう成り立たない世界であり、そうなると広告化してしまうのはもう避けられない定め。
そうであれば独立したプロの批評家やYouTuber、Podcaster、そして市井のリスナーにその役割を託すしかありません。
noteも音楽記事がもっと盛り上がっていいと思うんですが、いかんせんいい記事はあるのに有象無象のAI量産記事に埋もれがちなんですよね。
誰が書いたかよりも、何が書いてあるかで注目されるような土壌がnoteにも醸成されれば、そこから収益化だったりプロ的な音楽批評も生まれやすくなるんじゃないかな、と思います。
大手事務所パワーのない優良アーティストや作品のフックアップということなら、それこそDos MonosやNose Noiseをしっかり批評してもいいんじゃないでしょうか。
ソニーを離脱してインディで孤軍奮闘している小袋成彬とかも。
つまりそういった作品ばかり取り上げている当noteもぜひ読んでくださいね。
他に誰も書かないから困っているんですよ。
https://note.com/legit_lilac2371/n/na4d99697135c
https://note.com/legit_lilac2371/n/nf9ef2aa4c8b3
結局自己アピールか、君にはがっかりしたよ。
という声も受け止めつつ、それでもビュー数を伸ばしたいという資本主義的な欲望を俺は否定しない。
「書く暇なくなるとか言ってあるじゃん」というのも、スキマ時間を使ってタイミーする代わりに書いているのでご容赦を。
運ぶ赤子、抱っこ紐エルゴなんですよ。
(Dos Monos “ LETSUGOU”)
楽しく聴き、楽しく批評しよう。
よきミュージック・ライフを。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
