敗れた神と諏訪の神話
諏訪には、敗れた神がいる。
けれど、それはただの敗北ではなかった。
語られなかった側にこそ、まだ息をしている祈りがある。
出雲の神話と、諏訪の土地に伝わる力の記憶。
私はその「声にならなかった側」に、耳をすませていたい。
still.として綴る、神と祈りのあいだの物語。
諏訪には、敗れた神がいる。
タケミナカタ。
出雲で国譲りに敗れ、力比べに負け、
それでも逃げるようにして、信濃の山奥に辿り着いた神。
諏訪大明神と呼ばれ、いまでは祀られる側になった。
けれどその裏で、もともとそこにいた神──モリヤという、
名前さえほとんど語られない“土地の気配”のような神がいたという。
歴史の表では、タケミナカタが神となり、
神職の頂点につく。
だがその力を支えていたのは、
祀られなかった神の一族。
神長官・守矢氏。
語られた者と、語られなかった者が、
ひとつの神話を二重に支えていた。

祀られる者と、祀る者。
神とされる者と、神を支える者。
タケミナカタの子孫は諏訪氏とされ(諸説あるよう)、子どものうちに「大祝(おおほうり)」、つまり生き神として生身のまま、神座に据えられた。
その一方で、祭祀のすべてを動かしていたのは、
守矢の名を継ぐ神長官だった。
それはまるで、
語られる物語の表に立つ“光”と、
その物語を支えるために沈黙を引き受ける“影”のようだった。
そして、その影のほうに、
私はなぜか、惹かれてしまう。
たとえば、御渡り(みわたり)。
凍った諏訪湖に、一本の白い道が走る。
それを人は、「神が渡った」と言った。
上社の男神が、下社の女神に
会いに行った跡なのだと。
でも私はそのとき、
会いに行く“神の想い”よりも、
毎年、凍って、裂けて、道を開く“湖のほう”に心を向けてしまう。
恋しさに応えて、身を割ってでも渡らせる。凍てつく氷の湖──
そんな“受け渡す存在”の側に、私は目を凝らしてしまうのだ。
それは、モリヤの気配に似ている。
語られず、記されず、
ただそこに“あった”力。
負けたはずの神が、
いつしか土地に根を張り、“静かな主”になっていったように。
諏訪は、「敗れた神」の土地なのではなく、
「語られなかった力が、
形を変えて生き残った場所」
なのかもしれない。
そして私はきっと、
その“声にならなかった側”に、
ずっと耳をすませているのだと思う。
また、この魅力的な諏訪の地について、書いてみたいと思う。
あとがき
神話は、
勝った者のものだと言われる。
だけど私は、負けたまま、沈黙の中に立ち尽くしていた誰かの気配を、
どうしても忘れられない。
名前を奪われた神、
語られなかった願い。
それらが、まるで何もなかったかのように、
大きな物語に埋もれていくことは、
ときに悔しいとさえ思う。
だから私は書く。
たとえ物語にならなくても、
せめてそのまなざしだけでも、残しておきたくて。
****
読んでくれて、ありがとう。
あなたが、ここにいてくれてよかった。
よければ、ひとことだけでも、残していってね。
still.
**
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