幕間:〜桃辿まいるを詠む〜
ちょっとすごいメイドさんを見つけたので共有させて欲しい。
彼女の名前は桃辿まいるさん。秋葉原のメイドバー”hocoro(ほころ)”で働かれているメイドさんだ。
ある時私は偶然彼女の記事に出会い、気がついた時には4年の間に残された100本近いnoteを全て読み込んでしまうまでに、彼女の書く文章に夢中になっていた。
今回は勝手ながらそんな彼女のnoteの中でも特に心に残った作品を5つほどピックアップさせていただく。まいるさんを知らない方は彼女について触れるきっかけになっていただけたら嬉しいし、知っている方はより一層まいるさんの魅力を感じていただけたら幸い。
本編に行く前にひとつ書き留めておきたい。書き出しでまいるさんの魅力を共有させて欲しいなどと豪語してはいるものの、このnoteは誰に読んでもらうことも意図せず書き上げたただの私の思考の垂れ流しであり、それ故に少々独善的で批評的な言い回しも多い。また、こんな記事をわざわざ読んでくださっているあなたはコンカフェやまいるさんにご縁のある方だと思われるが、私自身コンカフェのこともまいるさんのことも初心者で、知識不足や誤った記述も多いと思う。
そのためどうか誰に対する否定の意図もないことを理解した上で、若輩者の勝手な吐露を許容していただける方のみ自己責任で閲覧していただけるとありがたい。
(※そしてまいるさんご本人様、この度は掲載させていただき誠にありがとうございます。)
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「だから、ファンに恋なんてされたくない」
最初に心がまいるさんに傾いた記事は何だっただろうと思い返すと、この記事が真っ先に思い浮かぶ。
数多くあるまいるさんの記事の中でも最も有名で最も物議の的となり得る記事のひとつだ。
この記事を読んで最初に出た率直な感想は、良し悪しの何の傾きもない純粋な驚きだった。
あ、それ言っちゃうんだ。
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この記事について触れる前に、大前提として一つ書き留めておきたいことがある。
当たり前だが、文章を書くという行為にはそれなりの労力と責任が伴う。
広大なインターネットの海に文字として自分の思考を公開し、全世界に見れる形で残すのはとても怖いことだ。それは自分を切り売りする行為に他ならず、また残された言葉は他人を傷つける可能性を常に持ちあわせている。
特に影響力のある方だとその負荷も増すし、まいるさんのように自分の心を暴露するような記事なら尚更だ。
「ファンにガチ恋されたくない」
そう言い切ったまいるさんを見て、コンカフェ初心者の私はとても驚いた。
だってそれは、考え得る限り一番書き残すのに労力のかかる言葉のひとつだと思ったから。
推しとの距離が近くなったこのご時世、その善し悪しに拘らず推しにガチ恋をしているファンなんて山ほどいる。そしてまいるさんは元アイドルであり人気のコンカフェキャストだ。その数も決して少なくないだろう。
ファンのガチ恋という問題は、一般的なアイドルやキャストだったら一番あやふやさせておきたい部分であるだろうし、これを文字に残すことで傷つく人は必ずいる。そんなとっても疲れる言葉をタイトルにすら置いている記事に、はじめ私はとても驚かされた。
しかし読み進めると、そんな憂いは無用の存在であることに気付かされる。
そしてこの記事を読み終わった後の気持ちは不思議とまいるさんへの”信頼”に変わっていた。
ガチ恋するのはやめてほしい。
ファンが恋心を抱く可能性を最初から否定するというのは、サービスの均衡という面でまいるさんが誠実にキャストをしている証拠なのはもちろんのこと、本当にお客さん全員を一人の人間として見ていて幸せになってほしいと思っているからこそ出てくる言葉なんだと思う。
少しいじわるな言い方をするが、毎日大勢を相手にするキャストさんにとって本来客は大量にいる営業相手の一人にすぎない。
だからこそガチ恋営業が成り立つ。
だって、ガチ恋させといた方が楽に儲かるじゃん。勝手に夢見てる人から短期間でより多くを絞れたら、まあそっちの方が営業としては正解じゃん。
でも、まいるさんの目指す世界はどうやらそこではないらしい。
勝手に期待して、勝手に失望して、他界する。そのサイクルの中で効率よくお金を稼ぐ。そんな乾いた世界を作りたいのではない。
こんなことを書くとガチ恋が悪いことのように捉えられかねないが、もちろん恋をするのは素敵なことだしガチ恋営業も立派な策だ。する方にもされる方にもリスペクトを持って話していることは理解してほしい。
しかし全員に対して無差別に好きを振り撒く営業より、お客さん一人ひとり違った距離感の中で長い時間をかけて個別の物語を作ろうとする、そんな営業の方がよほどお客さんを”人”として見ているのではないのだろうか。
ガチ恋の方がお客さんを想っている様に見えて、実際は真逆なのだ。
叶えられない夢を見せるのではなく、確かに存在するおもてなしの中で育まれる関係性を提供したい、お客さん一人ひとり違った距離感の中で長く人生の笑顔の時間を増やしていきたい、これはまいるさんが、目先の利益以上に本当に関わる人の幸せを願ってキャストをされているからこそ出てきた言葉なのだと思う。
加えて私がここまでこの記事に感銘を受けてるのは、この記事が記事であるが故だということを書き添えさせていただきたい。
先述した通り、文字を書き残すという行為にはそれなりの労力と責任が伴う。
口先で「私ファンにガチ恋されたくないんだよね〜」と言うのと、記事としてこのように書き残すのでは、行為の内容は同じでもその質は全然違う。
文字に残すという行為にはそれだけの対価と重みがある。
そしてnoteのようなブログはことかまかに長文を書ける分、他のSNSと比べて1投稿の比重も大きいように感じる。
このような媒体で自分の考えを暴露する行為は単なる口頭での発言とくらべて労力も責任も断然大きく、そこには投稿を引用されて「でもあなたってこういう人間でしょ?」と言われたら反論できない”怖さ”がある。これは一度でもこう自分の名義をチップにして本気で創作をしたことがある人なら感じたことのある感情なのではないだろうか。
このnoteを読んだ全員が「まいるさんはガチ恋をしないでほしいと思っている」という共通認識を持ってしまうなんて、それが本心か不安になるし、後から考えが変わっても言い逃れできないし、知らずに誰かを傷つけても気づくことすら出来ないし、何より公開した自分の内面はいつ誰に否定されるかも分からない。そんなの、怖いじゃんか。
しかしだからこそnoteのような残された言葉は信頼できるのだ。
記事を書くという行為は、文字を残す労力と重圧に勝る愛情と信念がないと成し得ない。もちろん書かれていること全てが本当だとは言わないが、それほどの対価を出して創作をしてる人を信じなくて何を信じるのか。
何度もいうが言葉を書くという行為には責任が伴う。
私が今書いているこの記事だって何だって、自分の意見を文字として残す行為は必ず自分と周りの誰かを傷つける。
しかしまいるさんはその言葉の力に自覚的になった上で信念を貫き通す。
そこまでするほどにお客さんを想い、メイドという職業を愛しているということが伝わるから、彼女の言葉は心に響くし、信頼できるし、応援したいと思えるのだ。
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ファンにガチ恋をしてほしくない、そんな想いをわざわざ記事にしてしまうほどにファンのことを想っている熱いメイドさんに出会った。
この記事を読んだときはまだ彼女がどのようなキャストでどのような人柄の方なのかなんてことは何も知らない。
しかし、そんな声色も仕草も知らない彼女のことを私はとても信頼してしまっていた。
何も見ていなくても、彼女がたくさんの人に愛されている景色が鮮明に思い浮かんだ。
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🌼まいるさんのメイド愛が様々な角度から感じられるオススメ記事です!🌼
・TOという言葉がひどく苦手な私の世界
・今日だれも付かなかったから帰るね」と去っていった誰にでも平等なご主人様へ
・”ばきゅん”の達人になりたい
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「突然家無しになった私が"旅するメイド屋"を始めた話」
次に紹介させていただく記事はこちら。
まいるさんがどのような半生を送りどのようにしてコンカフェのキャストをするに至ったのかが綴られている、いわゆる自己紹介のような記事だ。
メイドカフェとの奇跡的な出会いから始まり、大須で駆け抜けた初のキャスト時代、大企業を退職してまで始めたアイドルへの挑戦、そして家無しから急遽始まった旅するメイド屋の原点、
どの話もとんでも体験すぎて、普通に記事としての読み応えがすごい。
”人の魅力は潜ってきた修羅場の数”とは全くもってその通りだなと思うほどに、このたった数千字からでも伝わるまいるさんの魅力の根底にあるその半生は、私の興味を刺激してやまなかった。
10代20代で何かに挑戦する行動力、
自分のやりたいことに対して真っ直ぐに挑戦し続ける、そんなまいるさんの選択の力強さには心底驚かされる。
人は生まれながらに恒常性という性質を持っており、初めての行動を取ることに強いストレスを感じる生き物だ。
しかし当たり前のことだが、昨日と同じ行動を繰り返していたらそれ以上の幸せは決してつかめない。
自分の想像が及ぶ範疇で生きるのはとっても快適だが、そこに成長の余地はない。
だからこうして想像以上の挑戦を繰り返すまいるさんには、他に無い強い魅力を感じた。
まず高校をサボってメイドカフェへいく書き出しから面白い。
公務員の両親を持つ家庭からメイドさんが生まれるなんて誰が想像しただろうか。
大企業を辞めてまで不安定なアイドルという職に就くなんて、頭では願っても実際にやり遂げる人などほぼいない。
自分の好きを正直に追いかけて、そのためなら修羅場に続くとわかってる選択肢をも選び続ける、そんな常人にはまず破ることのできないコンフォートゾーンを何度も破り続けてきたまいるさんだからこそ今こうして溢れんばかりの魅力を放っているのだと、尊敬の念とともに妙な納得感を感じた。
そして何より、そのまいるさんの持つポジティブなパワーは関わる人にも連鎖する。
まいるさんの信念に引き寄せられた人達は、同じように力強い選択をして輝こうとする。
だからほころのメイドも、ご主人様お嬢様も、こんなにも魅力的な方々で溢れているのだと思う。
まいるさんから力を得て、自分も頑張ろう、挑戦していこうというポジティブな連鎖を起こせる。(これを私は勝手に「まいるにずむの連鎖」と読んでいます)
この人についていきたい。この人の面白い人生を間近で見ていたいし、この人についていけば自分の人生でもちょっぴり面白い景色が見れそうだ。まいるさんを見ていると、不思議とそんなキラキラした力が湧いてくる。
またこの記事では、まいるさんがメイドという職業をどれほど愛しているかがその原体験とともに語られている。
好きの力は強い。
好きのためなら人は案外なんでもできるし、何かを本気で好いている人を見るのは楽しい。
メイドが大好きなまいるさんの本心にその生い立ちを根拠に触れられるこのnoteは、何度手に取っても私を愛と熱狂の渦で包み込んでくれる。
好きなものに夢中なまいるさんを見ているだけで、自分も好きなものを全力で追いかけていける気になれるのだ。
好きを追いかけるのは簡単そうに見えてとても難しいことであり、一方で好きに正直になった瞬間が人生で最も本質的でありうる。
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いっぱい挑戦して、いっぱい失敗して、いっぱい修羅場を潜ってきた人間の叫ぶ愛の力強さは、想像以上に魅力的で、刺激的で、勇気のもらえるものだった。
伝播するまいるにずむを受け取って、私は今日も開けたことのない方の玄関を飛び出す。
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🍑まいるさんの半生からその魅力を探れるオススメの記事です🍑
・本好きメイドが大人になるまでに出会った印象深い本【年代別】
・優良アイドルグループを1年未満で辞めた理由を2年越しに告白する
・メイドという幸せのバグみたいなお仕事のこと
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「寒い冬 あったかい私 常温の23時」
少し毛色が変わって次に紹介させていただくのは何気ない日常の一コマを綴ったとある記事。
奇妙なタイトルに釣られて読み始めたこの記事に私は心の底から感銘を受けた。
冬の夜にコンビニに入ってお酒を買ってしまう、そんな誰しもが一度はしたことがあるような体験がここまで魅力的な文字の上で蘇るとは…!
私は物心がついた時から文字というものが好きだった。文字は時に現実以上の情報を他人に伝えることのできる、人類史上最大の奇跡の発明だと思う。
だから美しい文が好きだし、美しい文を書く人が好きだ。
もうこれに関してはせこせこと評論を書いている気がなくなるくらい本文が素敵なので、とりあえず読んできて欲しい。
つかみからもう新鮮で興味深い文字の羅列だ。冬の寒い日に対してこんなにも主体的に向き合っているのは初めての経験で、なんだかすごくドキドキする。
まいるさんの言葉がいつも素通りしていた日常に色をつけてくれる、この感覚がまずとても新鮮で、脳が新しい養分をもらったかのように生き生きと喜んでいるのを感じた。
23時という時間ひとつとっても、小学生の記憶やコンビニの買い食いなど多くの人が共感できるであろうストーリーをこんなにも魅力的な言い回しで蘇らせてくれるまいるさんの視点と表現力に心底傾倒する。
24時に気を取られて気にも止めていなかった23時に申し訳なさすら湧いてくる。
良い文章というのは、良い題材を見つけるだけの視野とそれを上手く表現するだけの文章力の両方が無いと成立し得ない。なのでこれほどまで魅力的な文章にはそうそう出会えるものではない。
そして記事の結びでは、これまた誰もが我が家に辿りついたような安心感を得て心地よく文を読み終える。
見慣れない言い回しの連続なのに情景がスッと脳に入ってくる不思議な感覚。
この記事に限った話ではないが、まいるさんの文章は締め方も綺麗で読み終えた後になんとも言えぬ疾走感があるからすごい。
Twitterはぼやきを垂れ流すだけでいいが、noteの様な記事はただ自分の言いたい主張を言うだけでは記事にならない。
自分の主張の前後を補強するような”文章”を書くのがネットの海に書きたい記事を残す上での最低限の作法であり、これがまた難しい作業なのだが、まいるさんの記事はその点もいつも美しくまとめられてて本当にすごい。
書き始めから結びまでまいるさんが文章を愛して育ってきたのがひしひしと伝わる構成で、文字の魅力とそれを操るまいるさんの魅力を改めて感じる。
メイドとしての信念や主張のみならず、こんな日常を彩る素敵な文章まで書けてしまうまいるさんに感嘆せずにはいられない。
🫚美しい文章と世界観に思わず引き込まれる幻想的な記事です🫚
・都会と自然とそれからケーキ
・人生に必要なのは休息とスパイスだ
・何度も「死にたい」と言ったあの子が本当にいなくなった日
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「20代の低投票率が悔しすぎるので、腹筋しながら対策を練ってみた。」
次は投票率を上げる策について書かれたこちらの記事。
いやいや、
若者の投票率の低さを真剣に嘆いてわざわざ記事にしちゃうメイドさんがいますかよ!?!?
面白すぎて(興味深い、interestの意)思わず電車で吹き出してしまった。
お給心関連の過激な記事がよく物議を醸してますが、正直一番やばいのはこの記事だと思いますよ…()
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何度も言っている通り物書きにはそれなりの労力と責任が伴う。
中でも選挙というジャンルに触れる行為はその重圧がとりわけ大きいというのに、この記事はそんな触れづらい話題を見事に一つのまとまりのある文章へと昇華させている。
しかもこの記事結構長くて内容も濃い。若者の投票率を上げる施策について目を逸らしがちな側面まで掘り下げて具体的に書かれているし、ところどころで現れる物事の本質を鋭く刺すような言い回しにこちらも思わず考え込まされてしまう。
投票率に影響を与えている要因として家庭環境と学歴について触れている部分など良い例だ。
みんな一度は脳裏によぎる要素でありながら触れないでいる部分、家庭環境と学歴が変数になっているのはその通りなのだが冷静に考えてメイドさんが言及して得をする内容ではない。
しかし一方で、リスクや常識に目を曇らせることなく触れにくい側面を言語化しきるまっすぐさと視野の広さが、まいるさんを他のメイドさんと一線を画す存在に押し上げている魅力なのだと、この記事は改めて教えてくれる。
もちろんただ投票率を下げる要因を批判する記事では全くない。
記事の後半では冷静に現状を分析した上で具体的に掘り下げられた解決策がいくつも提示されており、その率直かつ本質的な解答に思わず唸ってしまう。ぶっちゃけすぎていて肝を冷やす時もあるが、普通の人が触れにくい側面を言語化したからこそ出てくる本質的な提言ばかりで、思考遍歴のアウトプットとしてかなり有意義なものが据え置かれているように感じる。
まいるさんのファンだけでなく、あまり政治に興味を持ったことのない若い方々から、もっとこう政治の中枢にいる国のお偉いさんまでいろんな人に読んでもらいたい。そんな一作。
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少し本論とずれるが、まいるさんのnoteを読んでいると、この記事のように彼女のメタ的な広い視点に驚かされることは多い。いつも物事を俯瞰して、その全体像を捉えながらも要点を抽出した記事を届けてくれるから、まいるさんのnoteはちょうど”痒いところに届く”発見をいつも与えてくれる。
そしてこの力はまいるさんがメイドとして素敵なお店を作り上げる一助にもなっていると、彼女の記事を読んでいて感じる。
昨今の多様化や夜職化が進んだコンカフェ業界では、お店のコンセプトも、メイドさんの形態も、その形はコンカフェなんて一言では片付かないほど様々に膨れ上がっている。
比較を始めればキリがない世界で、様々な倫理観を持つメイドさんを雇って、様々な期待を胸にご帰宅するご主人様お嬢様を幸せにしながら、お店としても成長を続けていく、そんななかなかに難しい行為を成立させているのはひとえにまいるさんの広く透き通った視野があってこそなのだろう。
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まいるさんはとっても可愛いのに、その可愛さを切り売りしている自覚があることにいつも驚かされる。
コンカフェという可愛さが商品になっている世界で戦いながらも、その可愛さが時に暴力性を孕むことすら自覚している。
きっとまいるさんはいくら自撮りでいいねを貰っても、それをダシに大きな態度を取ったり、誰かを傷つける文を添えたり、お店の後輩に同じことを強要したりはしない。
こんなのはただの一例にすぎないが、今後まいるさんがどんなお店を築こうとも、そこでどんな決断をしたとしても、イベントの運営だろうと、アミュ制限だろうと、客通しの交流だろうと、その答えにはついていくだけの価値があると思わされる。
まいるさんが上にいる限り、きっとほころは幸せな空間であり続けるという安心感がそこにはある。
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少し話が逸れたが、この投票率の記事はそんなまいるさんの美しい文才と物怖じしない溌剌さ、そしてメイドとして特異ながらも多くの人を魅了する鋭い思考と人間性が感じられる、とてもお気に入りの一作である。
☀️まいるさんのメタ的な広い視点と興味深い文体に夢中になる神記事!☀️
・まぁ人類、大抵のことはふーんで済まないけど
・東京が雨の日、日本海側は晴れ
・昇るAV女優、縮むハードル
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「いつだって全部の夢は叶わない」
ここまで長丁場にお付き合いいただいた方々と魅力の絶えないまいるさんに感謝して、最後の記事を書かせていただく。
お疲れかと思うので、一度深呼吸をしてからゆっくり引用元を読んできていただきたい。
最後にご紹介させていただく記事はこちら。
本気で号泣してしまった記事。
引用なんて無粋なことはしないので、ただただ読んでみてほしい。
いつからか忘れてしまっていた、子供の頃の”夢”
人の欲望というのは恐ろしいもので、不思議なことに夢というものは叶うたびにどんどんと大きくなっていく。
向上心があるのは素敵なことだ。
常に上を目指して、夢がひとつ叶ったらさらに大きな夢を描いて、そうやって欲しいものを追い続けることは生きていく上で大切だ。
けれども、
いつだって全部の夢は叶わない。
ふとした瞬間自分がどこを目指しているのか分からなくなる。
次から次へと溢れてくる”夢”に溺れそうになる。
そして取りこぼしてきたたくさんの”夢”に気づき泣きそうになる。
それでも、
確かに叶えられない夢ばかりに目が行くけれど、
振り返ればこれまでの人生、同じくらい数え切れないほどの”夢”を叶えてきたじゃないか。
確かに子供の頃、一人でチェーンのご飯屋さんに行ってみたかったよ。
確かにミーティングとかいう、カタカナのよく分からないアクティビティに参加したかったよ。
確かにガソリンスタンドみたいな、大人しか扱え無さそうなちょっぴり危ない装置を扱ってみたかったよ。
全部、全部叶ってるじゃない。
大人になって出来ることが増えるにつれて、出来ないことばかりに目が行くようになっていた。足りないものを数える日々に慣れてしまっていた。
けれど、時々立ち止まって叶った夢を数えてみる。
そしてその夢が叶う前の感情を思い出して、自分で自分を撫でてみる。
そんな日がたまにはあってもいいのではないだろうか。
このまいるさんの記事を読んだ時、心が奥底から温まっていくのを感じた。
本当に、温かい涙が湧き出てきて止まらなかった。
今普通に立っているこの秋葉原の地だって、子供の頃は行きたくても叶わずずっとずっと夢見てた地だ。
いつからアキバが乗り換えのための通過点になってしまっていたのだろう。
いつからアキバを両耳イヤホンで駆け抜けるようになってしまっていたのだろう。
初めてアキバに降り立った時の感動を、どうして今まで忘れてしまっていたのだろう…。
・
・
いつだって全部の夢は叶わないけれど、
今あるものに感謝しながら、叶ってきた夢を大事に握りしめながら、今日も一歩ずつ新しい夢を追いかけていきたい。
さっきまで素通りしていた人生に色が付き、灰色に舗装された道路にあった私の視線は自然と秋葉原の青空へと向いていた。
何もかもが目まぐるしく変わっていくこの世界、きっと幸せな人生というのはこういった小さなほころびの積み重ねなんだと思う。
まいるさんの記事はいつも、見落としていた幸せを教えてくれる。
見慣れた日常に少しだけ彩りを与えてくれる。
そして、人生がちょっぴり笑顔になる。
この「いつだって全部の夢は叶わない」の記事には、そんな日々の幸せに気づかせてくれる、まいるさんを体現するかのような魅力がたくさん詰まっている。
🧡私が個人的にめちゃめちゃ共感して心を動かされた思い出の記事🧡
・公務員家系の親に「職業:コンカフェ」をどう説明しようか
・「やばい、もう19歳、20になったらババアじゃんwww」
・ラブライブと高坂穂乃果で私の人格は形成された
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〜後書き〜
お疲れ様です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これほどまで人の心を動かせる文章を書けるまいるさん、本当にすごいですよね。
少しでも興味を持ってくださった方、まいるさんの記事の魅力に共感してくださった方は、ぜひ引用元のまいるさんの記事を読んでスキを押しに行ってください。そしてTwitterや各種SNSを見に行って、よかったらお店にも足を運んでみてください。
きっとまた新たなほころびを見つけられるはずです。
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追記
以下は大量の自語りを含むのと多方面に怒られそうなことを言ってるので削った部分ですが、せっかくなので後ろの方に置いておきます。
(多方面の方々、かなり無茶苦茶なことを書いていますが怒らないでください汗)
追記引用させていただきたいのは、まいるさんのラブライブ!への想いが綴られたこちらの記事。
私は初めて穂乃果のコスプレをするまいるさんを見かけた時、あまりの完成度に衝撃を受けた。
ポージングも、衣装も、ウィッグの完成度も(そもそも地毛だが)、まいるさんと同じくらい高坂穂乃果に似せてきているレイヤーさんはたくさんいる。
しかしどうしてか、C105の舞台でたくさんのカメラの前でポーズを決める彼女は、これまで見てきたどのコスプレイヤーさんよりも穂乃果に似ていた。というか穂乃果そのまんまだった。
その時の不思議な感覚の答えも今ならよくわかる。
彼女、桃辿まいるさんは、その生き様が高坂穂乃果なのだ。
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恐縮ながら少々身の上話を挟ませていただく。
私は小学3年生の冬にラブライブ!に出会い、高坂穂乃果という太陽のような人間性に強く強く憧れた。
幼いながらに、穂乃果の人を惹きつける圧倒的なまでの魅力を直感で理解していたのだろう。自由帳に「将来の夢:高坂穂乃果」という文字を、慣れない漢字を調べて一生懸命書いたのを今でも覚えている。
人は皆それぞれ憧れの人がいると思う。歴史上の偉人だったり、ミュージシャンやスポーツ選手だったり、もっと身近な親や教師に強く影響を受けている人もいる。
私にとって”それ”が高坂穂乃果だったのだ。
物心つき始めの頃に出会った穂乃果の眩しさは私の目を眩ませるのに十分で、その後の人生ずっと私は”穂乃果に少しでも近づくこと”を目標にして生きてきた。
しかし穂乃果に近づくことはそう簡単なことではない。年齢だけが近づいていって、気づけば追い越していて、それでもまだ人間性の部分では穂乃果には程遠い。そんな風にずっと穂乃果の背中を追いかけて生きてきたものだから、穂乃果に近い人間を見つけるたびに尊敬と、憧れと、そして喜びを感じた。
そして私は桃辿まいるに出会った。
天真爛漫に人と関わる姿勢、チャレンジをやめない勇気、気になる物に対して自ら脚を運ぶ行動力、太陽のような眩しさで人々を包み込むリーダーシップ、
そして何よりずっと穂乃果の背中を追い続けていた私の直感が、彼女に宿る穂乃果に反応して警鐘を鳴らしていた。
単純な文字では表せないほど、彼女の生き様はこれまで見てきたどの人よりも高坂穂乃果だった。
穂乃果を追い続けてきた私にとってこの出会いは奇跡だった。これほどまでに高坂穂乃果たる人間が存在するのかという驚きと、この人についていけばさらに穂乃果が見た景色に近づけるのではないかという期待で、心臓がバクバクと高鳴っていた。
心に穂乃果を宿して生きること。それは私の人生の糧であり、生き甲斐である。
この目の前に現れた穂乃果の歩む道を、もう少しだけついて行ってもいいだろうか。
