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ホロコースト否定派の代表サイトの一つ、「逆転ニュルンベルク裁判」をやっつけよう!――どこまで出来るかわからんけど。(6)

前回:


9-3 アウシュヴィッツ収容所のガス殺証人その3 ダヴィド・オレール(ユダヤ人画家)

「技術と証言が矛盾した場合は技術が優先されるという法医学の原則」?

ホロコースト否定派に非常に多いこうした主張、つまりは科学は絶対に正しい、科学こそが真実を明らかにするという信仰は、この人たちは如何に科学をわかっていないか、を示しています。

科学的に考える、というのは現代社会ではとても大切なことではあります。例えば、明日の天気を知りたい場合に、「私の勘では明日は雨だ」よりも現代ならほとんど誰もがスマホで天気予報のアプリなどを利用しようとするでしょう。しかし一方で、予報精度はかなり上がっているとは言え、そのスーパーコンピューターまで利用して導き出される現代の天気予報ですらも、100%の予報精度には至っていません。科学には自ずと限界というものもあるのです。

その上、科学といえども、それを扱う人間の方が間違っている場合もあり、その人間の誤りが原因で、科学的な結論が事実と合わないこともあり得ます。理論や法則の扱い方から間違っていたり、条件設定をミスったり、注意不足があったり、等々、場合によってはかつてのSTAP細胞騒動のように、論文不正があったり――。

というか、「技術と証言が矛盾した場合は技術が優先されるという法医学の原則」など聞いたこともありません。大事なことは何が事実であり真実かということであって、前述したように技術の扱いに誤りがある場合もあり得るし、証言の方が正しい場合もあり得るのですから、そのようなことが一概に言えるわけがありません。ホロコースト否定で言えばその代表例が、次章で議論の対象となるロイヒター報告なる詐欺報告なわけですが。

ダヴィッド・オレール(David Olère)の絵は正確無比でなければならないのか?

すでにこの馬鹿な議論は過去に何度か指摘した記憶もありますが、例えば上の一枚目の絵が正確でなければならないというのであるならば、ゾンダーコマンドによって運ばれている女性の遺体はとてつもない巨人であることになり、そこからしてあり得ません(笑)

オレールの絵は、ソフィアのような例外もいるので「誰が見ても」とは言いませんが、常識的な判断のできる人であるならば、あくまでもオレール自身の記憶に基づいたイメージ的な絵であることは明らかだとわかるでしょう。それに、「焼却棟Ⅱ・Ⅲのガス室は地下、焼却炉は地上にある。」のような馬鹿げた指摘は、オレールはかなり正確な火葬場の断面も描画していることを示せば、さらにその指摘の馬鹿さがわかります。

「デビッド・オレールは1946年に、K IIIの断面図を驚くほど明確かつ正確に描き、そのプロセスを理解し、虐殺の規模を即座に把握できるようにした。 」
Sonderkommand.infoより)

なお、以下のゲルマー・ルドルフの記述については過去に、そのアホさを指摘したことがあります。

参考資料:ホロコースト講義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/459.htm)
(1) ここでは燃焼室のドアの高さが3-4フィートになっていますが、すでにお話しましたように、アウシュヴィッツ焼却棟の実際の炉のドアは、せいぜい高さ2フィート幅2フィートです。
(2) 死体運搬ストレッチャーは、囚人の持つ棒で燃焼室に押し込まれたのではなく、燃焼室のドアの下にある棒についていたローラーを介してです。
(3) タウバーと同じく、オレールも一人の人物がストレッチャーを燃焼室に押し込んだとしていますが、燃焼室の中からストレッチャーを押し上げるものは何もないので、梃子の法則にしたがえば、一人の人物が自分よりも重くなるストレッチャーのバランスをとることは難しい
(4) 内部が華氏1400-1800度もある炉のドアの前で、上半身裸で作業することは物理的に不可能です。
(5) 石炭燃料炉のドアから炎が噴き出てくることはありません。
※華氏1400-1800=摂氏760-982。

戦後に、おそらくダッハウ収容所の火葬場でデモンストレーションした時の映像からとった写真だと思うのですが、ストレッチャーを使って火葬炉内に遺体を装填する時の様子は以下のようになります。

(1)については
もう一度言いますが、オレール自身の記憶に基づいたイメージ的な絵であることは明らかです。正確さを求める方が間違いです。

(2)については
これも、(1)と同じで、そこまで描いてないだけの話です。

(3)については
ルドルフの言っていることが馬鹿な難癖に過ぎないことは、ストレッチャーの上に載せられた遺体は、火葬炉内の格子の上にストレッチャーから滑り落とされるのであって、バランスを取る必要などはないってことです。実際にこうしてデモしている映像まで残っているのですから、特に否定するような話であるはずもないのです。ルドルフはホロコースト否定派の鑑ですね(笑)

(4)については
さらに、そんな高温の炉の前で上半身裸で作業できるわけがないとか言ってますが、もしそうなら色んな炉のすぐそばで作業する人は全てあり得ないことになってしまい、アホらしさの極みに達していると思います。ちなみに、炉内の気流は煙突効果により、自然と煙突方向へ導かれるようになっています。

(5)については
「石炭燃料炉のドアから炎が噴き出てくることはありません。」に至っては、ルドルフは否定のことしか考えてないんだなと思うばかりです。すぐそこで燃えているのですから、わずかには漏れて炎は出てくることもあったでしょう。描かれている天井をよく見ればわかるように換気されて気流は一部その換気口に引っ張られることになります。この換気もまた、火葬炉のある作業環境を必要以上に高温にしない工夫の一つなのです。天井からの換気は(4)の意味もあったでしょう。

10: ロイヒタ―レポートについて

ロイヒター・レポートについては、これまでも散々、関連記事をいくつも起こしてきたので、ここで特別に詳細に語るほどのことはありません。例えば以下では、私自身でロイヒター・レポートの日本語訳を起こしています。当時はまさか、歴史修正主義研究版以外に日本語訳がないとは知りませんでした。

ま、でもとりあえず無視するところは無視するとしてダラダラと読んでいきましょう。

ゲルマー・ルドルフは信用できるのか?

ロイヒタ―・レポートの化学分析結果自体に文句を言う科学者はいない」

さて、その言い分はまぁ、実際に化学分析結果を出したのは、アルファ分析研究所のエロール・モリスなので、分析結果自体は信用していいと思いますが、次に名前の出てくるゲルマー・ルドルフは信用できません。特に、ルドルフが採取したと主張するバイエルンの農家のサンプルについては、実質的にクラクフ報告で実施されたアウシュヴィッツ内の住居棟からのサンプルのシアン化物検出値と矛盾しており、このクラクフの値はルドルフ自身のデータと一致しているため、さらに農家の値はかなり疑わしいものとなっています。これについては、以下に詳しく書きました。

ゲルマー・ルドルフが代表的なホロコースト否定論者・修正主義者の一人であることを否定する人はいませんから、修正主義側以外の立場から考えれば、どうしても偏見を持たざるを得ない人物であることは確かです。

ルドルフが採取したと言う農家の値は信用できないので、そんなことは言えません。たとえ、農家の値を認めるとしても、たった一つの分析値からそんなことを言うこともできません。科学の世界で「異常値」はよくあることだからです。分析時の人為的なミスや、分析器の異常、意図しないコンタミなど、化学分析ではさまざまな要因で異常値が出ることがあります。また、ルドルフの農家の値が異常値でないことを示す他の分析値もありません。

さらに、仮に異常値ではないと認めるとしても、自然界のシアン化物検出値のノイズレベルだと考えるとするならば、バイエルンの農家のデータである9.6mg/㎥は、それ以下の値は単なる測定ノイズに過ぎないので、「消毒(ではなく害虫駆除なのですが)による反応」、とも言えません。単に判定不能であるだけです。つまり、シアン化水素ガスが使われた・使われていない、のいずれとも言えないのです。

プルシアンブルーの痕跡はシアン化水素ガスが使われたか否かを示すマーカーにはならない

これも何度も今まで述べてきた話です。このルドルフの写真自身が、ソフィアのような軽薄な否定派の主張を否定しているのです。もしシアン化水素ガスが使われたなら必ずその室内の壁面にプルシアンブルーが生ずるのならば、どうして同じ壁面内に青くなっていない場所があるのでしょうか?

このような特徴は、アウシュヴィッツの害虫駆除室(ルドルフの写真は害虫駆除室内ではなくそのすぐ外の壁面です)だけではありません。

シュトゥットホーフ強制収容所
マイダネク収容所

他にもあると思いますが、一様に壁面全体がプルシアンブルーになっている写真は見たことがありません。また、チクロンBを使っていたダッハウの害虫駆除室内の壁面にはプルシアンブルーが見られないと聞いています。多分、そう言っていたのはゲルマー・ルドルフです。

ダッハウ強制収容所

したがって、プルシアンブルーの痕跡がないことが直ちにシアン化水素ガスが使われなかった証拠にはならないのです。

クラクフ報告ではプルシアンブルーを分析から除外したのだけど

ここでヤン・ゼーン研究所と呼ばれているのは、ポーランドの国立機関であるクラクフ法医学研究所(Institute of Forensic Research in Kraków: IFR)のことです。

IFRは、ロイヒター・レポートが発表されると、アウシュヴィッツ博物館の依頼で、ロイヒターがやったのと似たようなアウシュヴィッツのガス室等でのシアン化物分析結果を実施しました。この時の分析結果は公表されませんでしたが、何者かによってこれが外部に流出し、当時のホロコースト否定派の代表機関であったIHRが公表してしまいました。しかし、IFRはこの最初の分析調査をスクリーニング調査と位置付けて、2回目の化学分析調査を実施したのです。これをここではクラクフ報告と呼ぶことにします。

実は、一回目の調査の時点ではIFRはロイヒター報告のことを知りませんでした。さらに、分析結果もロイヒターより感度が一桁低い(二回目のクラクフ報告では感度はロイヒターらの300倍となった)ものであり、サンプル数も少なかったのです。そこで、一回目の調査を踏まえて、分析方法やサンプル採取方法を見直し、入念な検討を行なって、さらなる詳細な調査を行うことになったのです。この時に、分析方法の重要な変更として、分析を行うにあたって、プルシアンブルーの部分を除外する、という方法にしたのです。

この方法が正しいことは、上の写真で示したように、プルシアンブルーが安定的には発生していないことからわかります。もし、プルシアンブルーが見られる壁面の青くない場所からサンプル採取して分析したら、大幅に分析結果が異なるであろうことは、シアン化合物の性質の違いを考慮すればすぐわかります。何故なら、シアン化合物のうち、プルシアンブルーは非常に安定した化合物ですが、プルシアンブルーでないシアン化水素そのものや、シアンとイオン結合した化合物(NaCNやKCNなど)は蒸発しやすかったり水分に溶けてすぐ流出してしまうなど、残留しにくいという違いがあるからです。アウシュヴィッツの現地は、ロイヒター調査やクラクフ調査まで、概ね終戦から45年も経っていたのです。したがって、以下は私が作成した模式図に過ぎませんが、シアン化物の残留値の経年変化は以下のようになるはずです。

従って、

ヤン・ゼーン研究所が「殺人ガス室」から採取した5つのサンプルのうち1つだけに、ごく少量のシアン残余物が検出され(0.024 mg/kg)、それ以外のサンプルには、まったく検出されなかった。
一方、害虫駆除室からのサンプルには、20倍も高い数値までもが検出された(0.036-0.588 mg/kg)。

ソフィアはこの分析方法の違いをまるきりわかっていないのです。クラクフ報告では以下のように述べて、明確にプルシアンブルーを省いたと書いてあります(分解しない、とは分析対象であるシアンイオンをプルシアンブルーからは生じないようにした、と言う意味)。しかし、1度目の調査ではプルシアンブルーを省いてはいませんでした。

化学分析の引き受けには、慎重な検討が必要であった。修正主義者たちは、強烈な暗青色で、並外れた堅牢性を特徴とするプルシアンブルーにほぼ独占的に注目した。この染料は、特にビルケナウ収容所周辺の旧浴場・害虫駆除所の壁の外側のレンガにシミの形で発生している。あの場所でプルシアンブルーが生成されるに至った化学反応や物理化学的過程を想像するのは困難である。レンガは他の建材と違って、シアン化水素の吸収が非常に弱く、時には全く吸収しないこともある。また、プルシアンブルーの前駆体である$${[Fe(CN)_6]^{-4}}$$イオンの生成には、2価の鉄イオンが不可欠であるが、この中に含まれる鉄は第3酸化状態になっている。また、このイオンは太陽光に敏感である。

J・ベイラー(1)は、共著作品「Amoklauf gegen die Wirklichkeit(現実を無視した暴挙)」の中で、レンガにプルシアンブルーが形成されることは単にあり得ないと書いている。しかし、彼は害虫駆除室の壁にこの色素が塗料として塗られていた可能性を考慮に入れている。なお、この青色は、すべての害虫駆除室の壁面に現れているわけではないことを付け加えておく。

そこで、構成されるシアン化鉄錯体(これが議論になっている青である)の分解を誘発しない方法を用い、事前に適切な標準サンプルでテストした上で、シアン化物イオンを測定することにした。

https://note.com/ms2400/n/n4ceddfb6eda2

クラクフ報告では、ガス室の跡地からはきちんと、害虫駆除室のシアン化物濃度とそれほど大差ないシアン化物濃度があったことを検出しており、これにより、ロイヒター・レポートにおける結論である「ガス室はなかった」は否定されるのです。事実上、ロイヒター・レポートは覆されたと言えるでしょう。

殺人ガス室と、害虫駆除室の運用実態はかなり異なることがわかっているのですから、それらの違いを考慮して、殺人ガス室ではその運用実態の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーが発生したが、殺人ガス室では発生しなかった、と考えるべきなのです。シアン化水素ガスの存在下でもプルシアンブルーが発生しないことがあることは、ルドルフが写っている写真自体が証明しているのですから。

え? ソフィアのサイトの写真は目隠しされていてルドルフかどうかはわからないって? いいえ、目隠しされていない写真はちゃんとありますよ。

11: 東京裁判は魔女狩りか?

この章はソフィアがネトウヨであることがわかるだけのことしか書かれていないので飛ばします(ほぼ読んでませんが)

12: ユダヤがドイツに宣戦布告した日とは?

「1939年11月18日付クラクフ地区ドイツ軍司令官」発令とは?

これは単に知らなかった史料なので興味を引いただけです。以下に文書写真と翻訳を示します。

クラクフ地区長
命令
クラクフ地区におけるユダヤ人の識別

1939年12月1日より、クラクフ地区に住む12歳以上のすべてのユダヤ人は、自宅の外で目に見える識別記号を付けることを命じる。この命令は、地区内に一時的に滞在しているユダヤ人も、その滞在期間中、この命令の対象となる。
この命令における「ユダヤ人」とは、以下の者をいう。

1 . モーセの宗教団体に所属している者、または所属していた者
2 . 父親または母親がモーセの宗教団体に所属している者、または所属していた者
識別マークは、衣服および上着の右上腕に、白い背景に青いシオン星が表された腕章を着用すること。白い背景の幅は10cm以上、シオン星は、対角線の先端が8cm以上離れている大きさでなければならない。横の線は1cmの幅でなければならない。

この義務に従わないユダヤ人は、厳しい罰則が科せられる。
この命令の執行、特にユダヤ人への識別マークの支給については、長老会責任者が責任を負う。
1939年11月18日、クラクフ。
<以下ポーランド語で同文なので省略>

ちなみに、読んでわかる通り、この文書は「ナチスはユダヤ人であるというだけで劣悪な環境の収容所にぶち込んだ」なる命令ではありません。ユダヤ人(12歳以上)は外出の際、指定されたダビデのマークの入った腕章をつけよ、と言っているだけです。

https://www.holocaust.org.uk/star-of-david-armband

このいわゆるユダヤ人識別用のバッジについては、以下に詳しい解説があります。

ネットの質問サイトでは頻繁に「ナチスはどうやってユダヤ人を区別していたのですか?」のような質問が出されますが、「ユダヤ人は一目でユダヤ人であるとわかるようにしないと厳しい罰を与えるぞ」と強制していたというのが基本です。また、その種の質問をする人のほとんどは、ユダヤ人絶滅は極秘で実施されており、噂レベルでしかユダヤ人たちは絶滅させられるとは知らなかった(その噂すら知らないユダヤ人も多くいた)、とすら知りません。

なお細かい話ですが、上の布告は「ドイツ軍司令官」ではなく、ポーランド総督府の総督であったハンス・フランクが発令したものです。

ユダヤ人がドイツに先に宣戦布告した、というアホ説

このアホ説についてはすでに解説済みです。

今回は、このアホ説の起源を調べたかったのですが、以前は画像検索で割と簡単に欧米のサイトが検索で出てきたはずなのですが、最近はどうもGoogleが規制をかけているのか、あるいはすでに以前あったサイトが削除されたのか、今回は見つけられませんでした。ただ、否定派のバイブルであるハーウッドの『600万人は本当に死んだのか?』には似たような記述があります。

1939年9月5日、シオニストの中心的指導者であったハイム・ヴァイツマンは、世界のユダヤ人を代表してドイツに宣戦布告、 「ユダヤ人は英国に味方し、民主主義国家の側で戦う。ユダヤ人機関は、ユダヤ人の労働力、技術力、資源などを活用するための取り決めを直ちに行う用意がある」(『ユダヤ・クロニクル』1939年9月8日号)と述べた。

『Did Six Million Really Die?/600万人は本当に死んだのか?』日本語版

時期が違うので別物ではあるのですが、この記事の内容自体は、以下のとおりです。

1939年9月8日 - 「シオニストはイギリスに忠実 ワイズマン博士が誓約を繰り返し首相宛てに書簡」 - ロンドン・ユダヤ人クロニクル 1939年9月8日 ワールド・ユダヤ人会議会長のハイム・ヴァイツマンが、ドイツに対する戦争支持を表明
説明:
ハイム・ヴァイツマン、世界ユダヤ人会議会長、ユダヤ機関長、のちにイスラエル大統領、ロンドン・ユダヤ人クロニクル、1939年9月8日。

シオニストはイギリスに忠実
ヴァイツマン博士が誓約を繰り返す
首相宛ての手紙

ユダヤ機関会長のハイム・ヴァイツマン博士は、最近のシオニスト会議で表明されたイギリスへの忠誠の誓いを、以下の書簡で首相に再確認した:

「この最高危機の刻、ユダヤ人が聖なる価値の防衛に貢献すべきという自覚が、この書簡を執筆させる。私は、私と私の同僚たちが過去数ヶ月間、特に先週に表明した声明を、最も明確な形で確認したい。すなわち、ユダヤ人はイギリスに忠誠を誓い、民主主義の側に立って戦うということだ。

私たちの切実な願いは、これらの宣言を実行に移すことだ。私たちは、英国の行動の全体的な方針と完全に一致した形でそれを実行したいと考えている。そのため、大小を問わず、あらゆる事柄について、英国政府の調整の下に入るつもりだ。ユダヤ人庁は、ユダヤ人の人材、技術力、資源などを活用するための即時の取り決めに合意する用意がある。

ユダヤ機関は最近、委任統治権力との間で政治的な意見の相違が生じた。私たちは、これらの相違が、時代のより重大で緊急の必要性に譲歩することを望む。この声明を、その趣旨に沿って受け入れてくださるようお願いします。」

首相の回答では、次のように述べられている:「8月29日付の書簡の内容およびその趣旨に対し、私の温かい謝意を表明したい。事実、委任統治権力とユダヤ機関の間には、パレスチナにおける政策に関する意見の相違が存在しますが、貴殿の書簡に含まれる保証を喜んで受け入れます。この最高度の緊急事態において、私たちが大切にしているものが危機に瀕しているこの時、イギリスはユダヤ機関の真摯な協力を頼りにできることを嬉しく思います。現段階では、貴殿の公共の利益を重視した保証は歓迎され、心に留めておくことを申し上げる以外に、申し上げるべきことはない。

パレスチナの首席ラビたちは、首相宛てに以下のメッセージを送付した:「パレスチナのユダヤ人コミュニティから、強権に対する正義の闘いにおけるイギリスの勝利と最終的な世界平和のため、陛下への心からの祝福と熱烈な祈りを伝達してください。」

https://time.graphics/event/6331950

見ての通りなのですが、どこにも「宣戦布告」なんて書いてません。おそらくですけれど、ハーウッドはドイツのポーランド侵攻に伴って、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告したため、ヴァイツマンがイギリスと共闘するのように宣言したことから、ユダヤ人がドイツに宣戦布告したのと同じだ、のように強弁しようとしたのかもしれません。しかし、ユダヤ人は軍事目標でもなんでもないし、「ユダヤ人」なる漠然とした存在そのものに戦時国際法上の交戦権もない(そもそも「ユダヤ人」には主権すらない)のですから、ユダヤ人を交戦対象にすることはできません。この馬鹿げた主張は、南京事件で議論が集中する便衣兵議論どころのレベルですらありません。

以降、ソフィアのページでは、これらの当たり前の事実を無視して、ソ連にはユダヤ人が多かったのなんだのと、修正主義者がよくやる無意味な単なる印象操作に過ぎない議論をしているだけなので飛ばします。ちなみに、ソ連共産党にいくらユダヤ人が多かろうとも、非ユダヤ人のヨシフ・スターリン書記長を無視できるわけがありません。スターリンがそれらユダヤ人の言いなりになるような人物だったと思いますか? 詳しいことはよくわかりませんけれどスターリンの大粛清では大勢のユダヤ人も処刑されています。ソ連共産党にユダヤ人が多かったということは、それだけ反革命分子と認定されたユダヤ人も多かったことを意味するのです。また第二次世界大戦後、スターリンの晩年にかけてソ連では反ユダヤ主義的政策も強まっていったのです。なぜこう言った歴史の常識を修正主義者たちは無視するのでしょうか? 一応、これらの歴史的事実をいちいち文献引用してたらそれだけでかなりの量になるため(要するにめんどくさいw)、簡単に生成AIのGeminiからの回答を紹介しておきます。

しかし、ソ連は建国当初はイスラエルと国交がありましたが、次第に反シオニズム(ユダヤ人の民族的故郷であるイスラエル建国を支持する思想)の姿勢を強め、ユダヤ人の出国を厳しく制限するようになります。スターリン晩年には反ユダヤ主義政策も台頭し、ソ連国内のユダヤ人は抑圧された状況にありました

ともかく、ソフィアは、あのネオナチでホロコースト否定の親玉の一人でもあり、ハーウッドの『600万人は本当に死んだのか?』のパンフレットを大量に刷って西ドイツの政治家を中心に無断で送りつけたエルンスト・ツンデルの著書まで使って、色々と印象操作的な議論をしているだけなのでとにかく無駄な部分を飛ばして先へ進みましょう。……というか、このページの議論にいちいち細かく反応してたら先へなかなか進みませんので(まだまだ先は長い😅)一点だけ指摘して次の章へ進みたいと思います。

ツンデルは勝訴した……と言えるのか?

これは上でリンクで示した、ハーウッド本の翻訳記事の冒頭ですでに解説しています。実際には、ツンデルの主張、すなわち結果的には憲法違反と判断されたツンデルを裁くための刑法の条文は、もしそれが適用されたならばツンデルは最高裁でも有罪でした。ツンデル裁判の最高裁判決文は非常に長いので、これを読むには少々工夫が必要ですが、ともかく、最高裁判決文でもその内容自体は、第一審・二審と変わらず、

控訴人をはじめとする「修正主義」の歴史家は、存在しない、あるいは彼らが主張するようなことが書かれていない文書を挙げる。『600万人は本当に死んだのか』というパンフレットは、現実の一部ではないので、受け入れられている現実観には合わない。

と判断されているだけであって、実質的にはツンデルの敗訴だったと言えるでしょう。この実質敗訴は木村愛二がかつて「私は歴史的に勝利した!」と嘯いたのとは全然意味が違います。木村愛二はホロコースト否定の主張をめぐり、『週刊金曜日』等と名誉毀損で争って敗訴したのですが、裁判では「ホロコーストは世界にあまねく知られた事実」として内容自体を検証し争うことはできなかったようで(これを「公知の事実」と呼び、例えば「ガンダムは有名なロボットアニメである」のような広く知られている事実を裁判でいちいち検証することはできません)、内容を細かく争ったツンデル裁判とは全く違います。

13:アウシュヴィッツの食事、生活、規則は? エッチな絶滅収容所はいけないと思います!

アウシュヴィッツ収容所の囚人の食事は十分な栄養があった?

こういう無茶苦茶な、史実を全く無視した議論をするソフィアにはいい加減うんざりしてきたのですが、とまれ、その証拠と出してきた史料がこれです。

ところがですね、この文書、一体どういう文書なのか、全然わからないのです。例の修正主義者の自称航空写真専門家であったジョン・ボールのサイトにあったそうなのですが、ネットで調べる限り、今のところ全然見つかりません。ジョン・ボールのサイトはなくなってますし、アーカイブには残ってますが、かなり古い形式のサイトでどうやって見ればいいのかもよくわかりません。歴史修正主義研究会にはこのジョン・ボールのサイトを1ページにして見えるようにしたページはあるのですが……そこでも出典は書かれていません。偽造文書ではないとは思いますが、出典がわからないというのはちょっと痛いかな、と。

なぜ出典や「どういう文書なのか」がわからないのは痛いかというと、まずはこうした文書史料は、可能な限り歴史学者等の、そうした文書史料の取り扱いの専門家による扱いを知りたいからです。専門家が扱ったからと言って必ず正しい解釈が得られるというわけではありませんが、ど素人の解釈の方がはるかに当てにならないことは確かです。ジョン・ボールは専門家ではないのは明らかですし、ソフィアなど問題にもなりません。例えばコルヘア報告を全くのど素人が扱ったとしたら、それをユダヤ人絶滅の犠牲者の数を示している、とは読めない可能性大です。

それでも、この文書をちょっと検討してみようと思いました。ソフィアは随分と面倒な計算をやったようですが、今時は生成AIを使えばチョチョイと自動でやってくれます。まずソフィアは次のように計算しました。

これらを考慮すると、175センチの人間が中程度の活動の場合、一日に必要なカロリーは2022kcal~2359kcalとなり、

しかし、Geminiを用いて文書の画像から分析してもらったところ、

この計算結果は、約1967.5 kcal/日 となりました。

となりました。ソフィアの試算はやや推定が高いようですね。もちろんですが、こんな計算、ソフィアもそこで言っているように当てになりません。

それに、Geminiは最後で以下のように注意してくれました。

また、これはあくまで「配給量」であり、実際にその通りに配給されたか、食品の質はどうだったか、盗難などはなかったか、といった要素は考慮されていません。実際の状況は、さらに劣悪であった可能性が高いです。

それは後で述べるとして、

ソフィアは、食料配給量の文書から計算されたカロリー量を裏付けるのに、よりにもよって出鱈目本であるハーウッド本を使用するのですから呆れます。すでに述べたとおりハーウッド本はツンデル裁判で「現実の一部ではないので、受け入れられている現実観には合わない」と評価された本です。

私はそのハーウッド本で資料として使われた赤十字報告書まで調べています。赤十字はそもそも、ナチスドイツの強制収容所の食糧事情など全く知る術はなかったので、囚人の摂取カロリーを知っているわけがありません。何故なら、赤十字がナチスドイツの強制収容所に入れたのは、終戦直前の時期の、しかも一部の強制収容所に限られたからです。

画像クリックで資料ページに飛びます。

従って、強制収容所の囚人の日あたり摂取カロリーを2750kcalなどと書いたのはハーウッドの嘘です。

ただし、そこで述べられている食料小包の話は本当です。強制収容所の囚人に対して、囚人の家族や赤十字から食料小包が送られてはいました(頻度は週二回ほどだったと思います)。しかしそれもどれだけの囚人が受け取れたかははっきりとはわからないし、ユダヤ人に対してはありませんでした

アウシュヴィッツの囚人だったユダヤ人のソロモン・ラダスキーは次のように回想しています。

木曜日にエルリッヒが私のところに来て、「君はここから出ていかなければならない 」と言いました。私は言いました、「2階の窓から飛び降りればいいのか?」午後になると、彼は再びやって来て言った、「ここから出なければ、明日以降は死ぬことになるぞ」約1時間後、一人の男が入ってきてテーブルに座りました。彼は「仕事に行きたい者はいるか?」と尋ねました。病院にいたポーランド人たちは、仕事に行くことを心配していませんでした。赤十字から小包をもらい、食べるものも十分にあるのに、なぜ働きに行かなければならないのか? と。

私はこの仕事に就かなければなりませんでした。
テーブルの男は私に電話番号を聞き、そして私を罵りました。私は彼に懇願しました。「外に出たいのです。外に友達がいるのです。外に出してください」と。彼は私にブロック6と書かれた紙を渡しました。

https://holocaustsurvivors.org/survivor-stories/Solomon-Radasky/

では実際、どれほどアウシュヴィッツの囚人の栄養環境が酷かったか――。アウシュヴィッツ(ビルケナウ)で囚人医師を務めていたジャニナ・コウスコは以下のように証言しています。

水はありませんでした。隔離期間中、私たちは一度も体を洗うことができませんでした。医師である私は、ドイツ人医師に呼ばれた際に、この理由から手を洗うことを許可されました。水は飲ませてもらえず、飲むことも禁止されていました。2人で半パイントのハーブ、いわゆる「メルカ」が配られました。女性は渇きで狂いそうになり、特にスープに「アボ」パウダーが混ぜられていたため、ただ飲むために溝の水を飲んだ人もいました。これは栗の粉に化学物質が混ぜられたもので、悪臭がして、激しい渇きと下痢を引き起こしました。これほどひどい不衛生さは想像できません。

毎日、薄く切ったパンが4分の1枚ずつ配られました。まだ収容所での生活に慣れていない女性たちは、飢えに耐えきれず、他の人の食べ残しを争って食べ、それがまた病気の原因となりました


洗濯 – 1942年2月、井戸はまだ使用できませんでした。収容所には井戸が1つしかなかったため、鍋を洗うことができませんでした。コーヒーは、カブの残骸で汚れたボウルに注がれました。これにより、深刻な病気が蔓延しました。

<中略>

証人:ポーランドの女性は、家族がいない人や家族全員が収容所にいる人もいましたが、荷物を届けることが可能だったので、通常は荷物を受け取っていました。フランス人はほとんど受け取っていませんでしたし、オランダ人も、スロバキア人も......私はスロバキア小隊にいましたが、1%でも荷物を受け取ったかどうかはわかりません。ですから、収容所の全員が荷物を受け取ったわけではありません。賢くて勇敢な女の子は、時々、何か食べるものを「組織」できるようなコマンドで働いていましたから、それは大丈夫でしたが、もし収容所の食べ物だけを与えられていたら、彼女はやっていけないでしょう

いずれにしても、届けられたものが正しい形で与えられていれば、生き延びるのはもっと簡単だったでしょう。キャンプでは、ビタミンが含まれているような食べ物は一切手に入りませんでした。スープは、味、におい、調理法のせいで食べられませんでした。例えば、重い病気から回復した療養者がいました。突然、彼女の足が腰まで腫れてきました。何か原因があるのではないかと思い、あれこれと聞いてみました。すると、病後にお腹がすいて、食べられない他の友達のスープを3杯も食べてしまったことが、彼女に大きな被害を与えたことがわかったのです。そのことを説明して、食べないようにお願いしました。彼女は、「どうしたらいいかわからないから、飢えて死んでしまう」と言いました。私が「スープの量を減らせばいいんだ」と説得したところ、彼女の体調は改善されました

ある時、農学者のシーザー博士が責任者を務めていた園芸用のコマンドーで、女性たちが、同じスープでも味付けされている粉を使わないようにしてほしいと彼に頼んだ。彼はそれに同意し、スープは非常に良くなりましたが、収容所当局はそれを禁止し、スープには粉を入れなければならないと言ったのです。厨房にいた私たちの女の子は、「アボ」の一部を運河に流し込むことができました。収容所の司令官(どこの司令官かはもう知らない)が男子厨房に来ると、スープが最も濃かった囚人にタバコが与えられました。私がいた収容所は非常に飢えていて辛かったのですが、「アボ」の粉末は使われていなかったので、生き延びることができました。

裁判長:何か化学的な性質を持っていましたか?

証人: 私にはわかりませんが、いずれにしても猛烈な喉の渇きと体に水分が溜まり、スープを食べた人はむくみと下痢に悩まされたそうです。

裁判長:証人は粉の名前を聞き取れたましたか(...)?

証人: 私は知りません。「アボ」というラベルを見ましたが、もしかしたら別の工場だったのかもしれません。

https://note.com/ms2400/n/n7296f5d094ff

アウシュヴィッツの食料事情がひどかったという証言はいくらでもあるのですが、ここに書かれているアボ食品エキスってのがほとんどもう遅効性の毒と言っていいくらいの酷い食品エキスで、もしかしたら、アボで囚人を出来るだけ自然死に近い形で死なせようとしていたのか?と推測したくなるほどです。少し調べると、このアボ食品エキスは「非常に質の悪い、主に魚骨粉や雑草などから作られた濃縮された栄養(というよりは「かさ増し」に近い)添加物」だそうです。

いずれにしても、収容所ではないゲットーですら餓死者がたくさんいたような状況だったのですから、強制収容所の食糧事情が非常に良かった、なんてことがあり得るわけがありません。

https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205394135

あるいは、親衛隊の内部からも以下の通りです。

4 . 今年の冬は、すべてのユダヤ人が食べられなくなる危険性がある。最も人道的な解決策は、雇用されていないユダヤ人を、即効性のある薬剤で殺すことではないかと、正直に考えてみるべきだ。飢え死にさせるよりは、その方がいいだろう。

1941年7月16日のロルフ・ハインツ・ヘップナーからアドルフ・アイヒマンへの手紙

ここでは、「即効性のある薬剤で殺すことではないか」についての意味などについては述べませんが、ユダヤ人を食わせられなくなるとまで危惧して薬剤で殺すことまで考えていたのに、そのユダヤ人が実はたらふく食っていたなんて与太話をどうやって信じるのでしょうか?

ナチスの強制収容所の食糧事情に関するより詳しい話は、ネットでは例えば以下などが参考になるでしょう。

SSが囚人を虐待することは犯罪だった?

ヨーゼフ・クラマー(アウシュビッツ収容所副所長)の如何にも罪を軽減してほしいかの如くの回答を飛ばし、ここでは上のセオドア・オキーフによる記事の部分について、ちょっと調べてみました。ちなみにコッホの件はすでに解説済みですのでここで述べることはありません。

で、オキーフは次のように述べています。

収容所司令官が身体的罰則を命じる場合も,実際にあった.しかしそのような場合,その罰則はベルリン政府の承認を得ねばならず,なおかつ収容所医師がまず囚人の健康状態を検査しなければならなかった.そ れは,その囚人が罰則に耐えうるかどうかを調べるためであり,その後に囚人は殴打された.

これは実は、私自身も翻訳してありますのでそちらからも引用します。同じ箇所ですが、

一部の収容所長が囚人に身体的な懲罰を加えた事例もあったが、そのような行為はベルリン当局の承認を必要とし、さらに懲罰対象の囚人が健康であることを収容所の医師が事前に証明し、実際の鞭打ちの際にも立ち会うことが義務付けられていた[10]。

https://note.com/ms2400/n/nb4709b7efc51

ちょっと違いますが、まぁいいでしょう、私も生成AI任せですからね。

しかし、この脚注「[10]」は何でしょう? 

Eugen Kogon The Theory and Practice of Hell (New York: Berkley Books [pb.], 1984), pp. 108-109. See also: "Punishment for Mistreating SS Camp Prisoners," The Journal of Historical Review, Jan.-Feb. 1995, p. 33.

あらら、これは流石に原著を調べられないなぁ……と思ってダメ元で探したらありました(笑)

オイゲン・コゴンの方です。INTERNET ARCHIVEの方に三つあったのですが、うち二つは貸し出しできないということでがっかりしてたら三つ目は行けました。

Eugen Kogon The Theory And Practice Of Hell

ページ指定部分はこれの第9章になるので、9章全部目を通すと……え? これが囚人の虐待にベルリンの許可が必要だった根拠になるの? っていう感じで唖然。

それどころか、この9章に書いてある懲罰はあまりに残虐なものばかりですけど。全部引用は流石に無理なんですけど、その一部を。

ヒムラーは、強制収容所の至る所に大きな標識を掲げるよう命じていた。その標識には「自由への道がある。その道標は、服従、勤勉、正直、節制、清潔、献身、秩序、規律、愛国心である」と書かれていた。だが囚人たちの道の道標は――それはクレマトリウムへと続く道であったが――鞭打ち台、独房、縄、銃、棍棒、飢え、寒さ、あらゆる種類の拷問であった

<中略>

通常、再捕された囚人は首に「私は戻ってきた!」と書かれた札を掛けられた。そしてすでに半殺しの状態にされた上で、石の山の上や絞首台の下に、炎天下でも雨の中でも何時間も立たされ、その後で25回ないし50回の鞭打ちを受け、さらに地下牢に投げ込まれてさらなる拷問を受けるか、全囚人の前で絞首刑に処せられた

みたいな記述がダーッと続いてる章なのです。こいつら修正主義者は、そもそもオイゲン・コゴンの著書を使うところからおかしいんですけど、コゴンってブーヘンヴァルト強制収容所の元囚人で、完全に絶滅主義側の歴史家ですよ?『ナチスの毒ガスによる大量虐殺(Nationalsozialistische Massentötungen durch Giftgas)』っていう、ヘルマン・ラングバイン、アダルバート・リュッケルルとの共著はこの分野の研究をしていたら知らない人はいないほどの研究書もあります。

まぁいいやと、オキーフの述べていることの根拠はどこなんだろう?と読み進めていると……ありました。

理論上は、肉体刑を行う場合、収容所本部はベルリンの承認を申請しなければならず、さらに囚人が健康であることを収容所医師が証明しなければならなかった。しかし実際には、戦争末期に至るまで多くの収容所で広く行われていた手順は、囚人をまず鞭打ち台に直行させ、後日ベルリンから正式な承認が届いた時点で「公式に」再度処罰を加えるというものであった。ベルリンへの申請が行われるかどうかは、第一に「違反の重大性」によって決まった。「軽微な」違反の場合、本部は単独でその場で処罰を実行した。

全部強調表示にせざるを得ない文章がこうして見つかりました(笑)

確かに、そうした懲罰にはベルリンの承認申請が必要だったとは書いてありますが、「ベルリンへの申請が行われるかどうかは、第一に「違反の重大性」によって決まった。「軽微な」違反の場合、本部は単独でその場で処罰を実行した」とも書いてあり、明らかにオキーフはここを省略しています。ちなみに「軽微な違反」であったからといって懲罰が軽くなるわけではありません。それに、読めばわかりますが、申請許可があろうがなかろうが、9章の記述はあまりに残虐な懲罰行為をありとあらゆる理由で実施していた、という趣旨です。やっぱ修正主義者はムッチャクチャですね。

この、収容所内での懲罰(虐待)にはベルリンの許可が必要だった、という修正主義者の言い分は随分前から知ってて気にはしていたのですが、こうしてちゃんと調べることにより、やっぱり修正主義者はデタラメを言っていることを暴くことができるのですね。めんどくさいけどやってみる価値はありました。ネットのみで色んな資料が閲覧可能な良い時代になったものです。

「アウシュビッツの設備や運営システムは、絶滅政策を真っ向から否定するものばかり」?

これについてはもう、全部は網羅出来てないものの以下を参照していただいたらいいのではないかと思います。

ソフィアはネオナチのデマを信じるバカってことです。しかも原文を悪意を持って改変翻訳までしています。ちなみに、どれもこれも悪質な印象操作項目ですが、中でも個人的に一番腹が立ったのが、

  • アウシュビッツ産科病院には3000人の出産記録があり、一人も死んでいない

です。この件も、そのリンク先に少し書いてありますが、元の英文でさえ、以下の通りです。

アウシュヴィッツの産科病棟 - ドイツ占領下のアウシュヴィッツが運営されていた間、3,000人以上の出生が登録され、新生児("a single infant"ですが多分、出産時死亡のことかと思われます。普通に訳すと乳幼児(一歳未満)死亡となります)死亡は1件もなかった。

ともかく、これはアウシュヴィッツにあった産科病棟とは無関係で、非ユダヤ系ポーランド人囚人の助産師スタニスラワ・レシュチンスカが孤軍奮闘した話なのです。あんまりにも腹が立ったのでレシュチンスカの件だけで記事を起こしたほどです。

しかし、3000件はいくら何でもあり得ないと思います。どうしてそんな数字になったのか、これはそもそもの記録(多分インタビュー)を読んでもいないので全然わかりませんが、他の証言を調べていると時折、「収容所内でも出産が認められるようになった」のような証言もあり、レシュチンスカの孤軍奮闘があったのは本当だと思います。

妊娠中の女性については、最初の段階では直接ガス室に送られていました。後には出産を許されましたが、赤ちゃんは生まれた直後に水桶に投げ込まれ、最初の呼吸と共に溺死させられ、その後すぐに火葬場に投げ込まれました。その頃には火葬場が準備できていたからです。その場にいた女性監視員(Aufseherinnen)が、これらの子供たちを自ら殺害していました。後には状況が変わり、赤ちゃんは生き延びることが許され、子供用のブロックが設置されましたが、死亡率は膨大で、子供たちは次々と死んでいきました。死亡率をコントロールする方法は全くありませんでした。

ジャニナ・コウスコ

いずれにしても、出産児の半数は溺死させられ、ほとんどは病死か餓死、若干名はレーベンスボルン計画のために連れ去られ、わずかながらに開放時まで生き延びただけなのです。

そうした話があるという事実を否定派は一部のみを捉えて話を変えてしまうのですから、どんだけ否定派は悪質かってことです。また、否定派はホロコーストに関連した話が書かれている文献を手当たり次第調べては、個別の否定論を大量に捏造してきたということです。ですから、細かい否定論でまだ調べられてない項目を見かけたら、一度読者様ご自身で調べてみることをお勧めしておきます。まともに「なるほど定説はやはりおかしい!」と思えるほどに納得できる否定論など一つもないってことをどうぞご自身で確かめてください。

閑話休題

さて、今回もあんまりやりすぎると自主制限の2万字を超えそうになってきたので、そろそろ次回へ移りたいと思いますが、一点だけ。

ポーランドのレジスタンスがチクロンBのことを戦時中に書かなかったからなんだ?

戦争の初期には、アウシュヴィッツでの殺戮手段については、たがいに矛盾した話が語られていた。しかし、ポーランドのレジスタンスが戦争宣伝として広めた 話のなかには、チクロンBは登場していなかった。証人たちが凶器としてあげたのは、毒ガス、電気浴室、空気圧縮ハンマーであった(21)。

グラーフが嘘つきであることは私自身も記事にしていますし、Holocaust Controversiesの常連執筆者も言ってます。

このスイス人のネオナチは、私みたいなど素人よりもずっと知識があるくせに、稚拙な嘘ばっかり言ってるクズです。何ヶ国語か使えるバイリンガルだか何だか知らないけど、調べられたらすぐわかる嘘つくなっつーの。

アウシュヴィッツの絶滅手法に色々な種類が言われてたって話はまたいずれ出てくるのかどうか知らんけど、それはいいとして、こいつは姑息にも「ガス」ではなく「チクロンB」に話を変えやがった。チクロンB自体は、ヴルバ・ヴェッツラーの報告書に既に1944年にはあった、って話はここではどうでもいいのですけれど、ポーランドの地下組織は以前から、アウシュヴィッツではガス処刑が行われていたって言ってたのですが。

こちらの当時のポーランドの出版物および報告書(40)に書かれたリストを見ればそれがわかります。

その一部を抜粋しただけでも以下の通りです。

Kraj(ポーランド地下国家秘密出版物)

・1943年7月15日「強制収容所のガス室」と「マイダネク、アウシュヴィッツ、ソビボルの火葬場からの煙雲」について[フリードリッヒ・クラウス=ペーター、『ポーランドから見たナチスによるユダヤ人殺害:ポーランドの報道機関の姿勢 1942-1946/47』、p.114]
・1944年6月14日、アウシュヴィッツでの10万人のハンガリー系ユダヤ人のガス室による殺害、4つの火葬場での死体処理、2000人のユダヤ人囚人による火葬について[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.116]
・1944年6月26日 「アウシュヴィッツでのユダヤ人殺害」から入手した約40キロの金塊[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.116]
・1943年9月9日 「登録なしに、輸送全体がガスに送られる。殺された人々の数は50万人を超えた...新しい火葬場では、毎日約5000人が焼却され、そのほとんどがユダヤ人であった」[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.151]

Biuletyn Informacyjny(ポーランド地下国家)

・1942年9月17日 「ガス室では1日に1000人のユダヤ人が殺される。死体は3つの火葬場で焼かれる」[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.115]
・1942年10月8日 「死の収容所」アウシュビッツにて[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.115]
・1943年1月14日 アウシュヴィッツにおけるユダヤ人と捕虜のガス処刑について[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.115]
・1943年7月29日 「ヨーロッパ全土から集まった数千人のボリシェヴィスト捕虜とユダヤ人が死亡」について[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.115]
・1943年10月7日、アウシュヴィッツでの1943年8月1-3日の囚人へのガス処刑、1943年9月までの47万人のユダヤ人の殺害、ベジンとソスノヴィッツのユダヤ人の殺害について[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.115]
・1944年6月29日 アウシュヴィッツにおける「ユダヤ人の怪物的殺人」について[フリードリッヒ、『ユダヤ人殺害』、p.116]

確かにここには「チクロンB」は出てこないが、レジスタンスがどんな薬剤を使っているかなんて、どうやったらわかるんだ? 内部通報者がその薬剤名をちゃんと伝えたのでもない限りわかるわけがない(ガス室を知っている囚人でもチクロンBを使っていると知っている人は限られていた)し、そもそも知る必要もない。ともかく、「ガス」はちゃんと合ってるじゃないか。

グラーフは本当に嘘つきです。

次:


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