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ホロコースト否定派の代表サイトの一つ、「逆転ニュルンベルク裁判」をやっつけよう!――どこまで出来るかわからんけど。(4)

前回:


6:アウシュヴィッツ収容所のガス殺について クレーマー日記

ブンカーはどこにあるのかもわからないし、あったという記録もない?

ブンカーに関しては建物跡はおろか、どこにあったのかわかっていない

いい加減なソフィアの説明を真に受けてはいけません。ガス室は合計7つですし、ブンカーの位置はわかっています。二箇所あったブンカーのうち、ブンカー2または「白い家」と呼ばれた場所は、当時の航空写真が残っています。

もちろん現在では、GoogleマップやGoogleアースでその跡地を見ることも簡単です。

ブンカー1、あるいは「赤い家」と呼ばれた場所は、ビルケナウの火葬場の本格稼働開始とともに撤去されてしまい、現在では住宅地の一部になっているようで、跡形もありませんが、場所はわかっています。

ブンカーの意味は、ブンカーは英語でもドイツ語でも「bunker」と表記し、実はこれゴルフで言うバンカーと単語としては同じです。かなり幅広く使われる単語のようで、ソフィアの書くように「=貯蔵庫・待避壕・防空壕といった意味」には限定されません。ドイツ語読みを日本語でカタカナ表記した場合に「ブンカー」となるので、このアウシュヴィッツの最初の農家を改造したガス室のある箇所が「bunker」と呼ばれていたため、日本では割と一般的にアウシュヴィッツのその場合だけを特に区別して「ブンカー」と呼んでいるだけのようです。でも、アウシュヴィッツに関連した証言でも他の場所を「bunker」と呼んでいることがあり、翻訳には頭を悩ませました。そう言えば、英語を使うアウシュヴィッツの専門家ですらこの「bunker」について「ガス室しか意味しない」と間違ったことを言っているのも見たことを覚えています。ヴァンペルトだったかな。たくさん翻訳したり調べていると、色々な知見も増えて専門家の間違いまで少しは指摘できるようになったようです、もちろんトータルの知識では専門家に全く敵いませんが(笑)

収容所の記録にも残ってない

いいえ、残っています。

3s ifd cuner gebeten, das nacu dom Bunker I., Birkenau, gefimmte Ka-bel - 4x6 qm 1 KV-, welches nicht cenr benötigt wird, für diesen Zweck der Standortverwaltun un Verfügungu stellen.

3s ifd cuner は、ビルケナウのブンカー I で使用されている、必要のないケーブル(4x6 平方メートル、1 KV)を、この目的のために場所管理者に提供するよう依頼されている。

Die Zentralbauleitung ist bereit, das von der provisorischen Zuleitung nach Bunker 1, Birkenau freiwerdende Xabel 4 x 6 qaum für die Steuerleitung der Sirenen der 38-Standortverwaltung leihweise sur Verfügung zu stellen. Es wird jedoch gebeten, für die Rückgabe des Kabels besorgt zu sein, da dieses Kontingentiert und für andere Zwecke bestimmt ist und nur auf Grund der besonderen Wichtigkeit der Anlagen abgegeben werden kann. Die Übernahme des Kabels bittet die Zentralbauleitung, unter Angabe der genauen Länge, zu bestätigen.

中央建設管理部は、ビルケナウのブンカー1 への仮配線から解放される Xabel 4 x 6 qaum を、38 拠点管理部のサイレンの制御配線用に貸与する用意がある。ただし、このケーブルは割り当て済みであり、他の用途に割り当てられているため、設備の重要性を考慮して特別に提供するものなので、返却についてはご配慮願いたい。ケーブルの引き渡しについては、正確な長さを明記の上、中央建設管理部に確認願いたい。

前にも述べましたが、ソフィアは「悪魔の証明」をまるでわかっていません。いったいどうやって、存在しないことを存在しないと確認できると言うのでしょう? ソフィアがロシアの文書館やアウシュヴィッツ博物館のアーカイブ、あるいはその他の公文書館、さらには研究者らによる文献等を細かく調査したわけもありません。ソフィアは結局はマットーニョなどの修正主義者の主張を鵜呑みにしているだけなのです。

なお、ブンカー2(白い家)については、当時の航空写真のほか、当時のビルケナウでの建設又は土木工事中の写真の中にすら存在しています。

え? どこだかさっぱりわからない? とりあえずは画面中央のトロッコの列、の左先端部くらいをよーく見てください。

より詳しい話は以下の記事を参照ください。

なお、上記写真は、ネットに巣食うホロコースト否定派がバイブルにしていたらしい、以下の極右による修正主義者のページにも、「アウシュヴィッツは単なる労働収容所だった!」の説明の中で使われている写真の中にもあります。もちろん、それらの否定派の目はただの節穴なので、ブンカー2が写っているなどと気づきもしていないようです。


クレーマーの日記は、「チフス・赤痢・マラリアによる下痢のこと」?

ヨハン・パウル・クレーマーの日記は、以前に翻訳したペリー・ブロードの報告(回想録)が掲載されていた本に一緒に掲載されていたのですが、翻訳まではしておりません。

KL Auschwitz seen by the SS

しかしその一部は、以下に訳出してあります。

さて、ソフィアは

「「特別行動」をガス殺と見なすのは難しい。
なぜならクレーマー日記1942年9月2日の記述によれば「特別行動」は外部で行われたからだ。
ガス室でガス殺が行われたのならば内部で行われるはず。
さらにチクロンBの用途の説明は1942年9月1日に書かれているが、はっきりと「ブロックの燻蒸(vergasungs eines Blockes)」と書かれている。
どこにもチクロンBがガス殺に使われたとは書いてないぜ

と書いていますが、まず、クレーマーは確かに「初めて、午前3時に屋外で特別行動に参加した。(Zum 1. Male draussen um 3 Uhr früh bei einer Sonderaktion zugegen.)」と書いてはいますが、ブンカーのガス室は、農家を改造しただけの小屋に過ぎず、ガス室がその中にあるというだけで、当然周囲は屋外です。ユダヤ人たちはそのブンカーのある小屋の周辺にあるバラックで脱衣した後、そのバラックを出て一旦屋外を歩いて、そのブンカーの小屋に入れられるのです。もちろんその一連のユダヤ人の行動を指示し、あるいは監視しているドイツ人たちは、ずっと屋外にいます。中を覗いたりはしたかもしれませんが。クレマーは医者なので、医者は通常、屋外で仕事はあまりしないものです。だから、日記にわざわざ屋外と書いたのでしょう。

ソフィアはちゃんと脳を使っていないと言わざるを得ません。

で、

『世界の肛門』という表現は絶滅収容所ではなく、チフス・赤痢・マラリアによる下痢のことを意味しているのだろう。

これですが、クレマーの日記について、修正主義者は喜んでこの解釈を使いたがりますが、修正主義者はアウシュヴィッツで疫病がそこそこ蔓延していた事実などからそれを結びつけてそう言っているだけで、クレマーの記述した「特別行動」などについて、そうした疫病のことを意味することについては、別に何の証明もありません

しかも、ソフィアはクレマーの日記をコピペした先を「ttp://www.holocaust-history.org/auschwitz/19420901-kremer/)」と明示しているのに、そこにあったクレマーの戦後の証言を全く無視しているのは極めて不誠実だと言えます。

戦後、クレマー博士は自身の日記について証言した。その抜粋が「古き良き時代」(The Good Old Days)258ページに掲載されている。

「特に不快だったのは、女性収容所のやせ細った女性たち、通称「ムスリム」のガス処刑であった。私はかつて、この女性たちの集団のガス処刑に一度立ち会ったことを覚えている。集団の規模は言えない。私がブンカーに近づいたとき、彼女たちは地面に座っていた。まだ服を着ていた。彼女たちは使い古した収容所服を着ていたため、脱衣小屋には置かれず、屋外で服を脱がされた。私はこの女性たちの態度から、自分たちにどのような運命が待ち受けているか、疑いようもなく理解していたと結論した。彼女たちはSS隊員に命だけは助けてほしいと懇願し、哀願した。しかし、彼女たちはガス室に追い立てられ、ガス処刑された。解剖学者として、私はこれまで多くの恐ろしいものを見てきた。死体には多くの経験があったが、その日に見たものは、これまで見たことのある何物とも異なっていた。見たものにまだ完全にショックを受け、私は1942年9月5日の日記にこう書いた。「最も恐ろしい恐怖。ハウプトscharführer Thiloが今日私に言ったように、これは anus mundi、世界の肛門だ」と。私はこの表現を使った。それ以上に嫌悪感と恐怖を感じるものを想像できなかったからだ。」
SS医師 クレマー、1947年7月18日 クラカウでの聴聞会にて

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/19420901-kremer/

日記を書いた本人がそう言っているのですよ? 他のクレマーの証言も以下にあります。

もちろん、戦後のクレマーの証言も、フォーリソンなど修正主義者によって攻撃されていますが、それらのより詳細なクレマーの日記に対する攻撃とその対処については、以下を参照ください。

では、以降はソフィアのどうでも良さげなダラダラした文章が続いているだけだと判断し、次のページに移ります。目次の数字見たら、42番目まであるので、何でもかんでも反論していては身が持ちません(笑)

7:アウシュヴィッツⅠのガス殺について ルドルフ・ホェッス(アウシュヴィッツ所長)の証言

アウシュヴィッツのプール

アウシュヴィッツ第一収容所にあるプールについては、死ぬほど説明してきたので、ここではいちいち説明しません。以下などを参照してください。マルク・クラインが何を書いたかもここに書いてあります。

マルク・クラインはプールについて書いた同じ報告で、ちゃんとガス室のことも書いていたのに、ガン無視のようです。たとえ何か言っていたとしても、マルク・クラインは直接見ていない、とか何とか言われるだけなのでしょう。ところが修正主義者はその一方で、ガス室のことを「知らなかった」と語る元囚人が出てくると、喜んでそれをガス室がなかったことの証拠の一つとしようとするのですから呆れます。直接見てない人でも知っていたということが重要だと思うのですが(もちろん何人もいます

なお、今現在はアウシュヴィッツのプールなど、わざわざ現地に行くまでもありません。それこそGoogleさんに頼ればよろしい。こういう感じで、観光客も自由に見ることができます。

プールの存在について質問すると、露骨に嫌そうな顔をするらしい。

それが本当に事実なら、「また修正主義者かよ」と博物館に嫌がられているだけでしょう(笑)

実際、アウシュヴィッツ博物館のXアカウントでは、頻繁に修正主義者っぽいリプライがつけられるので、毎日ブロックしまくっているそうです。私が知っている日本人のネオナチアカウントもブロックされたと文句言ってました。

なぜ消防用貯水池に飛び込み台がついているのか?という質問には答えてくれない。

アウシュヴィッツの親衛隊員に囚人が作らされたからです。ネットを調べれば、作った(確か作らされたのは「階段」だったかな)という元囚人の証言もあります。それに、そんなのちょっと考えればわかる話で、せっかくプールっぽい防火用貯水槽作ったんだから、実際に遊興用に使えるようにしよう!とアウシュヴィッツの親衛隊員が考えても何の不思議なこともありません。司令官だって自宅にプールあるじゃん、だったら俺らも、みたいな。

アウシュヴィッツ基幹収容所のすぐ隣にあった司令官邸宅内のプールで遊ぶルドルフ・ヘスの家族(INDEPENDENTより)

なお、2025年現在では、アウシュヴィッツのプールについてなんか解説してくれている動画までありますよ。


ユダヤ人のホロコースト否定論者だったデヴィッド・コールはホロコースト否定論者を辞めたんだが…

ソフィアのページは、作成時期が2000年代前半頃だと思うので、これを知らないのも無理もないのではありますが、デヴィッド・コールはホロコースト否定論者であることをやめていたようです。それは、例のビデオを作ってユダヤ人の過激派に脅迫されて足を洗う宣言をしてから、さらに随分経ってのことで、アウシュヴィッツは認めないままらしいですが、少なくともコルヘア報告にあるおおよそ250万人の虐殺は認めるしかないという立場に変えているそうです。コールのビデオが間違いだらけであることと、ホロコースト否定論者を辞めていることについては以下に解説があります。

アウシュヴィッツ初代司令官ルドルフ・ヘスの証言

この辺、だらだらとアウシュヴィッツ司令官ルドルフ・ヘスの話が羅列されていますが、これもすでに記事にしてあるので、ここでちょこちょこ解説するよりは以下マガジンにある記事を参照していただけると学べるのではないかと思います。

それにしても何や?「ベウツェック」って? と思ってちょっとググってみたら、本当に木村愛二はそう書いていた(笑)

https://www.jca.apc.org/~altmedka//nise-17.html

私は学者先生的な人に多いように思える、「正しくはこう書くんだ」にはあんまり拘らないんですけど、さすがに「ベウツェック」はないかと。発音しにくい上にキーボード入力もしにくいぞ(笑)

どうも、「lzec」を「ツェック」と発音すると思ってたみたいですが、例えばGoogle翻訳を使って発音させてみると、Belzecは「ベウジェツ」にしか聞こえないんですけどね。Wikipediaの表記もそうなってます。ま、どうでもいい話なのですけどね。ちなみに「ベウツェック」はググると8つのサイトしか出てきません。全部、木村愛二のサイトからのコピペのようで、他には誰もそうは言わないっていう……それをソフィアはそのまま記述するのですから、何なんだこいつらは?っていう……

で、多分ですけど、私のヘス関連記事で記事化してない内容は、以下くらいかな。

しかも、ホェッスの家族の証言によれば、ホェッスは英語を読めない

家族のこの証言なんて知らないんですけど、多分インタビュワーはフォーリソンなんじゃないかなと思われます。ヘスの残された妻?子供?たちは、全員がそうかどうかまでは知りませんが、ホロコースト否定派とまでは言えないものの、多少は疑問を持っているような発言があったようであることを知ってます。犠牲者の人数が多すぎるんじゃないか? みたいな。ヘスに誇りを持っていたような感じもあります。そんなには調べてませんけれど。

でも、ヘスは自伝で、英語をマスターしたって書いてるんです。

自由時間に、私は、英語に精を出し、教科書をとりよせ、後には、英語の本や雑誌をたえず送らせるようにした。そんな風にして、私は、ほぼ一年のうちに、誰の助けもかりずに、この言葉をマスターした。これは、同時に、私にとっては、効果的な精神的鍛錬法になった。

ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、p.115

これは、ヘスが1924-1928年にある事件が元でブランデンブルグの刑務所に拘禁されていた時期の話です。で、この「ヘスは英語を読めなかった」説への反論としてこの自伝の記述が引用されるんですけど、たとえヘスが英語が読めなかったとしてもそんなの関係ありません。例えば、ヘスはニュルンベルク裁判に出廷して、検察か弁護側が法廷で読み上げた宣誓供述書を、その法廷で聞いています。もちろん、通訳付きです。以下、そのニュルンベルクの法廷で証言台にいるヘスの映像です。

いちいちこんなの、とも思いましたが、サービスです。裁判ですから、ちゃんと言語がわからないと困るので、見てわかる通りちゃんとヘスはヘッドホンをしており、同時通訳もあったのです。

さらに、ヘスの証言は、逮捕された最初の頃の供述調書から、ニュルンベルク裁判での宣誓供述書、裁判での証言、クラクフ法廷の証言(これは私自身はほぼほぼ知りませんけど)、そして自分で書いた自伝等、ヘスは最初からずーっと一貫して同じことしか言っておらず、「英語が読めなかった」なる難癖は何の意味もないのです。

火葬場1のガス室は捏造?何故?

この辺もぐだぐだ書かれていて、要点がよくわからない話の流れになっていて、どこをこっちの反論ネタにしようかと迷うところですが、まずは、以下の記事でも読んでいただくと事前勉強になるのではないでしょうか。

これも、散々、私自身が色々と記事を起こしてきた内容でもあるし、ソフィアの記述を読んでいても、単にアホくさくなるだけだったりします。

さて、この火葬場1は、一応はアウシュヴィッツ博物館に今も現存していることもあって、修正主義者たちの集中攻撃を浴び続けてきました。

戦時中に一旦防空壕に改修され、戦後はポーランド当局(当局ってどこなのか知りませんけど)によって復元工事を受け、ガス室が機能していた当時を再現したものであるかのように示されてきましたが、その復元工事自体が色々と間違いだらけだったことも重なって、修正主義者たちは「戦後にガス室を捏造したに違いない!」と言い続けています。

しかし、仮に修正主義者たちの考えを理解しようとしても、否定派の捏造ストーリーの方が極めて不合理極まりない為、どーーーーしても受け入れることはできません。不合理極まりない理由は上のブログに書いた通りです。

そもそも、ガス室の捏造など必要ないとしか思えません。実際、三つのラインハルト作戦収容所(ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ)は、何もありません。ソ連、あるいはポーランドはガス室があったはずの場所にガス室を捏造しなかったのです。あるのは、基本的には証言証拠と文書証拠だけです。1944年中にはラインハルト作戦収容所の場所はソ連に発見されているにもかかわらず、です。つまり、捏造したいならラインハルト作戦収容所の方が、十分時間さえあったのです。なぜそっちを捏造せずに、アウシュヴィッツの基幹収容所の第一火葬場だけを捏造したのでしょう??? 意味がさっぱりわかりません。それに、アウシュヴィッツ収容所はニュルンベルク裁判では現地調査すら行われていない!というのが修正主義者たちの主張ではなかったのでしょうか? 証拠調べもしないのに捏造の必要ありますか?

このように、修正主義者らの言ってることはめちゃくちゃなのです。

さらに、ソフィアは第一火葬場のガス室に換気扇がなかったことを問題にしているようですので、少しだけ述べておきますが、どーしてどいつもこいつもガスマスクがあったことを無視するのでしょうか? アウシュヴィッツ等、チクロンBという猛毒の害虫駆除剤を使用する以上、ガスマスクの常備は必須です。チクロンBの取扱説明書にガスマスクが必須であることが書いてあるのを修正主義者だって知っているはずです。

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0018.shtmlより

Ⅳ ガスに対する保護

チクロンで燻蒸する場合は、ベルリンのアウエルゲゼルシャフト社またはリューベックのドレーゲルグループ社による挿入フィルター「J」(青茶色) などの特殊フィルターを使用すること。マスクからガスが漏れた場合は、直ちに建物から退去し、マスクとその装着がしっかりできているかを確認した上で、フィルターを交換すること。

<中略>

Ⅵ 準備物

各メンバーは、以下のものを常に携帯しなければならない。

自身のガスマスク
チクロンの青酸に対する特殊挿入フィルターを2個以上
「青酸中毒の応急処置」のリーフレット
作業命令書
認可証明書。

<後略>

そして、アウシュヴィッツにはシアンガス検知キットも常備されていました。必要なら、その検知キットを使って安全かどうかを確かめることもできたし、ガスマスクもあったし、あるいはガス室内の殺害後の遺体の処理は、いつ死んだって構わないユダヤ人ゾンダーコマンドがやってたんだから、問題なんかあるわけないのです。

それでも換気が〜と言いたいのならば、第一火葬場は地上型であり、天井のチクロン投入穴や、出入り口を開放しておいて、危険濃度以下になるまで待てば良いだけです。部屋に投入されたチクロンBからのシアン化ガス放出時間が気になるのなら、よほど気温が低くない限りは、3時間もあれば放出しなくなるので、3時間以上〜半日程度待てばいいだけなんじゃないでしょうか? あるいは残ったチクロンのペレットに水ぶっかけてガス放出をなくすとか。

そんな証言はあるのか?って? そんなの知りませんけど、不可能だっつーから可能だっつってるんです。奴らは本当に考えるということを知らないのか、あるいは無駄な考えをしているだけなのです。

https://jojolar.com/mudamuda/

なお、第一火葬場のガス室については、火葬場の火葬能力は低かったため、毎日のようにガス室で大量処刑を行うことは実質的に不可能でした。修正主義者は、「毎日昼夜を違わずガス処刑をしていたのではなかったのか?」とストローマンを立てて否定論を主張することがありますが、アウシュヴィッツの第一収容所の第一火葬場がユダヤ人絶滅に本格的には使いにくいから、ビルケナウで実施するようになったのです。

あと、修正主義者のゲルマー・ルドルフが何か言ってるようですが、

プレサックは、解放直後にソ連側が撮影した焼却棟の屋根の写真を掲載している。 そこでは、屋根フェルトのうえの3つの黒い点が、チクロンBの投入穴のくぼみであったという。[163]、[165] しかし、彼の著作に掲載されている写真は、何かを識別するには質が悪く、まして、建築上・技術上の結論を下せるような素材ではない。だから、プレサックの憶測には根拠がない。

ここで言っている「写真」とはこれのことです。

若干わかりやすくするとこうなります。

https://note.com/ms2400/n/n9af8432f92ef

私が言いたいのは、ゲルマー・ルドルフの疑問に対して、ではなく、どうしてこんな写真が残っているのか?です。ソ連が残したんです。ソ連って捏造の主犯じゃないんですか? なら、どうしてチクロン穴が空いてるはずの天井に、その穴が空いてない写真を残すんですか? 捏造ならこんな写真残すはずがありません。これだけじゃないんですよ、煙突が写っていない写真まで残しているんです。

これも、捏造説支持者が捏造の根拠としている写真です。他にも色々と捏造ならあまりに不自然すぎる点が多いのです。何故ガス室には気密扉であったとは考え難い扉が面しているのか? 何故、ガス室当時にはなかったはずの出入り口がそのままなのか? 何故、ガス室当時とされる図面にあった室内の壁が一枚少ないのか? 等々、あるいは、防空壕にされていた時期の図面が残っているだなんて、不自然極まりありません。

この図面は、フォーリソンが1980年代にはアウシュヴィッツから入手していた図面です。おそらくフォーリソンからアウシュヴィッツを調査するように言われていたプレサックからもらったのでしょう。変じゃないですか、だってアウシュヴィッツ博物館は「当時のままだ」と言っていたと、修正主義者はずっと文句言ってるじゃないですか。しかし、プレサックはアウシュヴィッツの文書館からこれを入手しているのです。別に忍び込んで入手したのではありません。おそらく、アーキビストから正式に入手してるんです。

てことは、当時と現在とで違っていることを博物館側は隠してなんかいなかったことを意味します。――ちょっと話が違う方向へ脱線しているので、元に戻しますと、こんな風にガス室が捏造なら、あるはずのない写真や図面、あるいはその内部状態が存在していることは、極めて不自然なのです。捏造するってことは、その捏造がバレないようにするはずです。もちろん、仮にもっと完璧な捏造だったとしても、バレることはあります。

例えば、上で言ったような不自然さを全て消し、ガス室と書いた図面を捏造してまで残していたとしましょう。そして、その図面をよく調べたら、ガス室と書かれたその文字が、アンネ・フランクの日記でしばしば疑いをかけられるように、ボールペンで書かれていた!みたいな。

そういう捏造者の失敗程度ならわかります。しかし、現実のガス室捏造説に立った場合の失敗ぶりは尋常なレベルではありません。

あとは、さらっとルドルフ説をやっつけて終わりにしましょう。

1944年秋、焼却棟は防空シェルターに改築された。建物の変更、とくに、薄い隔壁を厚い壁と取り替えたことは図22から見てとることができる。[166] 
それが存在していたと推定する場合に限るが、チクロンBの投入穴と換気穴はふさがれたという。この改築作業は、資料の中で、細かく記述されてい る。[167] 屋根にあけられていた古い穴をふさぐことはまったく言及されていない。むしろ、ガス気密窓とドアおよび新しい穴を開けることが言及されて いる。
「ガス気密ドア、窓シャッター、窓の設置、暖房炉、および換気出口、吸入穴、パイプのために石壁に開口部を作ること。」
このことは、この時期以前には、ガス気密ドアや窓、換気装置のための開口部、その他の目的の開口部(チクロンBの投入穴)が存在しなかったことを強く示唆 している。もし存在していたとすれば、古い開口部がこれらの目的のために使われたであろうし、もしくは、それらをふさぐことが言及されていたはずであろう。

しかし、こちらを読むと、「屋根の改造」も書かれているそうなので、天井の穴を塞ぐこともそこに含まれる可能性は大いにあると思えます。同じく、書かれていない改造は他にもあるそうなので、このルドルフの説明には根拠がありません。

しかし、今日現存しているチクロンBの投下穴以外には、屋根に穴が存在していたことを示すものはまったくない。それ ゆえ、別の場所に存在していたとされる穴は存在していなかったのである。

? あるはずですが。例えばこんなのとか。

上記写真は、マザールらの報告書からですけど、天井に空いている現状のチクロン投下穴については、戦後に開口されたものであることがわかっています。天井に塞いだ型が残っていたから、それを目安に再開した、との証言があります。しかし、その型が残っていた位置が、本当にチクロン穴として使用された穴かどうかはわかりません。別の目的で開けられた(換気用など)ものかもしれないし、開けたはいいが間違って開けたのですぐ塞いだ穴なのかもしれない。どれかは確実にチクロン穴なのだろうけれど、確定はできません。ですから、不自然な位置に空いているとの言いがかりは、間違って空いている可能性を無視しており(間違ってないのかもしれません)、無意味なのです。修正主義者はガス室出入り口のすぐ入った位置にある穴を特に問題視しますが、犠牲者が出入り口に殺到したなる証言も見たことがあり、それが理由でそこに開けた可能性もあるでしょう。

しかし、戦後に天井の穴が再開されたことはわかっているのですから、未発見の当時の図面か文書でも出てこない限り、戦時中当時の穴の正確な位置は不明です。

8 アウシュヴィッツⅡ「ビルケナウ」のガス室(クレマⅡ、Ⅲ)について

経済管理本部人事部のフランケ・グリクシュ親衛隊少佐の報告

このグリクシュ・レポートは、戦時中にアウシュヴィッツのガス室・ガス処刑の様子を記述した唯一の親衛隊自身の文書史料なので、証拠価値が高すぎて、修正主義者は絶対に否定しなければなりませんでした。こうした文書史料の証拠性を否定するやり方には大きく分けて二種類あり、

  • 文書を捏造とはしないが、書かれている内容を歪曲解釈して証拠性を否定する

  • 文書を捏造と認定する

グリクシュ・レポートはこの後者の方法で否定されます。しかし、グリクシュ・レポートは最初は1976年、アメリカの歴史家が入手した(発見者は別のようです)とされているようですが、これはレポートの原本ではなく、タイプライターを用いて手作業でコピーされたものでした。作成者は、米軍将校のエリック・リップマンでした。

ですから、当初、修正主義者らは原本ではないので、偽造したのだろう、と考えていたようです。しかし、長らく原本の所在は不明でしたが、2019年になって、反修正主義者のサイトへの常連寄稿者の一人が、ドイツ連邦公文書館(BArch)をネット上から調査したところ、電子的写真画像として保管されていた原本が見つかったのです。

タイプコピー時の誤字はあるものの、内容は正確に一致していました。この原本は、当時は現代に普及しているコピー機などありませんでしたから、タイプライターでの清書時に、カーボンコピーという手法を使って、要するに何枚かの用紙を重ねてタイプすることで、重ねた用紙に転写された、そのうちの一枚であるカーボンコピーになるものだということです。

従って、常識的に考えてこれは間違いのない証拠であるはずです。ところが、修正主義者らはそれでも断じて認めることはありませんでした。どっちにしろ偽造なんだそうです(笑)

当然、Holocaust Controversiesブログサイトの常連寄稿者の一人、この原本を発見したハンス・メッツナー氏は、修正主義者たちがそのような反応を示すであろうことを十分熟知しており、発見報告時に極めて詳細な記事を書いています。

さて、ソフィアはなんと言っているか見ていきましょう。

現存するクレマ2、クレマ3の柱が何よりの証拠だ。あれはコンクリート製で中身は空洞ではない

しばしば修正主義者はこれを言ってきたようです。グリクシュの記述はこうです。

この部屋には大きな柱が3本ある。この柱には、地下室の部屋の外から、ある物質を投入することができる。300人から400人の人々がこの部屋に集まった後、扉が閉められ、物質が入った容器が上から部屋の中に落とされる。この容器が柱の床に触れると、ある物質が放出され、1分後に人々を眠らせる。

グリクシュは、コンクリート製の柱などとは一言も言っていません。これは、金網投入装置などと呼ばれるチクロンB投入用の金網でできた柱のことです。

天井を支えるコンクリート製柱とは別に、金網投入装置となる柱があったのです。以下の図で、Hがそれで、Cが天井を支える柱です。

この金網投入装置は火葬場の解体撤去時に取り外されたと考えられ、その行方は不明です。解体撤去の証拠なんかあるのか?と言われたら、絶対にあったはずの火葬炉なども無くなっているのですから、実際に解体撤去作業はあったという他はありません。ですから、「現場にはコンクリート製の柱しかない!中空でもない!」みたいな文句はアホかと……。

というか、アウシュビッツ博物館の説明では、クレマ2,3のガス殺は天井の穴からチクロンBを落とし、すぐさまにシャッターを閉じてガスを充満させるというやり方だったはずだ。
つまり、お前が言っている説明は新説だということだよ。お前の説明を肯定すると、自動的にアウシュビッツ博物館の説明が嘘ということになるが、いいのかそれで?

そんな説明は聞いたことがありません。それは、クレマⅣ or Ⅴの話を混同しているだけでしょう。クレマⅡとⅢには、天井の穴は小さな煙突上になっていて、そこから金網投入装置に内側にあるワイヤーに繋がれたバスケットにチクロンBが投入され、そのバスケットをワイヤーで部屋に下ろして行った後は、小煙突に、おそらくはコンクリート製の蓋を嵌めて封鎖したと考えられます。以下、パサジェルカという古いポーランド映画でその様子が再現されていますので確認ください。

なお、くれぐれも言っておきますが、これは史実を元にした創作映画であり、厳密に正確に再現したものではありません。「ガス室に入ってく人から丸見えで作業していたのか!wwwww」みたいな馬鹿げた文句を言う人までいるので、そんなバカなことを言う人になってはいけません(笑)

ともかく、この映画でもチクロンBを入れる箇所が、金網投入装置の内側のバスケットであることまでは再現していませんし、バスケットを下ろすためのワイヤーも再現されていません。

なぜそんなバスケットを使ったのかといえば、このクレマⅡやⅢのガス室として使用された部屋は、ほとんど地下になっているので、換気装置以外には吸排気の方法がない上に、数百人〜二千人という多数の犠牲者を連日処理する必要があったためです。チクロンBからはおよそ3時間程度は青酸ガスが放出し続けるので、そのままガス室にチクロンBがあったら、ガス放出が終わるのを待たないと作業開始できなくなります。しかもガス放出が続くと言うことは、室内のガス濃度がどんどん高くなる一方であり、無駄にガス濃度が高くなって、換気装置による換気も時間がかかることになるのです。そこで、犠牲者が全員死んだのを確認したら、バスケットごとチクロンを部屋から除去してしまいます。さらに、金網装置分の面積の部分だけは空間が空いていることになり、青酸ガスを部屋中に拡散させやすくなるのです。

この金網装置を使用したことにより、半地下構造のガス室でも、犠牲者の搬出はチクロン投入後から長くても1時間以内に作業可能だったと考えられます。例えば、計算上は、30分以内に致死濃度以下になると言う計算結果もあります。

嘘をついているのはソフィア自身でした(笑)

新鮮な死体は特によく燃えるので、全工程で必要なコークスは1/2〜1ゼントナーである

グリクシュの記述はこうですが、ソフィアのような主張は本当によく見かけます。しかし、実際の死体の燃焼など、研究したり見たりした人はほとんどいないと思います。人体の燃焼に詳しい学者か火葬場の従業員くらいしか知らないのではないでしょうか?

さてしかし、これは上にすでに紹介しているグリクシュ・レポートの解説者であるハンス・メッツナー氏も理解していなかったようですが、グリクシュが言っているのは文面から明らかなように、燃料の量の話です。「ゼントナー(ツェントナー)」とは、

Geminiによる回答

です。グリクシュの言っている「全行程」がどっからどこまでなのかさっぱりわかりませんが、言いたいのは燃料が少なくて済むという意味であることがわかります。ここまでわかれば話は簡単です、新鮮な遺体、つまり囚人ではなく、到着したばかりのユダヤ人の犠牲者であるならば、そんなには痩せておらず、脂肪分が多いので、よく燃えるという意味だと考えられます。つまり、新鮮な遺体は燃料として能力が高い、と言っているのです。

確かに、理屈的には人体の水分量は燃焼の妨げになるかもしれませんが、遺体は燃焼が終わって遺骨などの燃え滓になるまでは、ずっと炉の中にあるのです(当たり前)。つまり、理屈的には水分がなくなっていったん燃えだすと、後は炉内で燃え続けるのでそのまま燃料になります。「新鮮な遺体」は痩せた遺体よりも燃料化する部分が多いので、その意味でも、コークス燃料は少なくて済むのです。

火葬場Ⅱ、Ⅲのガス室天井の穴についての航空写真改竄疑惑

写真があったほうがいいかなぁと考えて、スクショを三つも並べてしまいましたが、この馬鹿馬鹿しいジョン・ボールによる議論については、以下で説明しています。

このブログページに大体の参照記事リンクも入れてありますので、このしつこい「穴がなければホロコーストもないのだ!」論については、それらをしっかりお読みいただければいいかと思います。本当に何度も何度も記事書いたりしてきましたので、ここで再度説明することはしません。

サイモン・ヴィーゼンタールのサイトにあった煙突からの煙が書き込まれているとされる写真について。

煙自体が写っている写真なら他にもありますし、そもそも火葬場なのですから、煙は煙突から出ていても何もおかしくありません。これも何度も何度も……なのですけど、一応写真を。

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0341.shtml

火葬場Ⅱを南側から撮影した写真だそうですが、煙突にはちゃんと煤がついています。また、ビルケナウのカナダ区画で作業している風景をとらえた写真には、空に煙が映っていたのがあったのですけれど今回は見つけられませんでした。探し出せて覚えてたらここに追記します。しかし、もう一回言いますが火葬場なのですから煙が出てても不思議は何にもないのです。それに煙は火葬場の活動を示すだけであって、絶滅の証拠にはなりません。ソフィアもストローマンは大概にすべきだと思います。

さてその写真ですが、それも調べたことがあります。確かにその写真は、いわゆるアウシュヴィッツ・アルバムと呼ばれる写真集の中の一枚であり、その写真には煙など写っていません。で、そう指摘されたのに気付いたのかヴィーゼンタール・センターのサイトから、煙の写っていない写真に差し替えられたのち、その写真も削除されました。解説は以下にあります。

どういう経緯でその写真が掲載されていたのかについては、ヴィーゼンタール・センターのサイトが説明していない以上、理由はわかりません。そんな写真を偽造する必要など考えられない(火葬場の煙突から煙が出ていても不自然さは何もない)ので、ヴィーゼンタールセンターの担当者の誰かが、ネットのどこかから引っ張ってきた写真をそのまま確かめもせず掲載した、のようなこともあり得ます。いずれにしても、きちんと確認しておらず、差し替え&削除時にもなんの説明もなく、非常に不適切であったことは確かです。

どうでもいい話だし、別にそこまで指摘しなくともいいかとも思いましたが、ソフィアはフェンス・ポストから煙が出ているように書き込まれていると書いてますが、この人の目は節穴なのでしょうか? 

煙が出ているように書かれているのは以下の矢印で示した位置になっています。これは明らかにフェンス・ポストではありません。撮影場所や方向がよくわからないので断定はできませんが、多分火葬場の煙突だと思います。でもま、煙は書き込まれていたものなので、本当どうでもいい話です。

プレサック本の衝撃

1988年、カナダ在住のドイツ人で、出版社経営の修正主義者、エルンスト・ツンデルに対する裁判の第二審が始まりました。この通称ツンデル裁判の詳細についてはここでは語りませんが、この第二審に先立ち、米国の死刑技術販売業を営むフレッド・A・ロイヒター・Jr氏にツンデル側が依頼して、アウシュヴィッツ収容所等の現地調査が実施されました。この時に作成された報告書をロイヒター・レポートと呼びます。以下に全訳してあります。

このロイヒター・レポートは、アウシュヴィッツのガス室を決定的に否定したものとして、当時、修正主義者から絶賛されていたようです。しかし、翌年の1989年に、それとは真逆にアウシュヴィッツのガス室を決定的に証明したとされる本が出版されました。ここではそれを「プレサック本」と呼ぶことにします。こちらも以下に全訳してあります。翻訳には都合、2年、実質的には3ヶ月かかってます(笑)。

ほぼ同時期に出版されているのは単なる偶然と言えると思います。プレサック自身はツンデル裁判が始まるずっと前からアウシュヴィッツ収容所を研究していました。B4サイズくらいの大きなサイズの本で、全部で564ページもある本です。

プレサック自身は元々は修正主義者でしたが、小説を書くためにアウシュヴィッツ収容所について調査しているうちに、ユダヤ人絶滅があったことを確信するようになり、さらに当時師事していたフォーリソンからアウシュヴィッツの文書館などからの資料収集の依頼もあって、徹底的に調べているうちにそのフォーリソンと袂を分ち、それまで誰もやったことのなかったアウシュヴィッツ収容所のガス室を中心とした技術的な調査資料の決定版とも言える『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』に結実したのでした。なお余談ですが「ガス室の技術と操作」のこの「操作」は不適切な日本語だと思っています。operation ですが「運営」とでもすべきだったかなと思っていますけど、以前からそう訳されることが多かったようなのでそのままにしています。

さてこのプレサック本、ガス室の存在を決定的に証明した、と当時から称賛されていたようです。ですから、「どんなことがあっても絶対にガス室だけは認めない」修正主義者たちがプレサック本を目の敵にするのは当然のことでした。プレサック本発刊以降、アウシュヴィッツを扱った本で、プレサックの名前が出てこない修正主義者の本はなかったのではないか?と思えるほどです。

ところで、なぜ、私がプレサック本を訳出しようと思ったかについて、翻訳ブログでも理由は述べていますが、そこには書いてませんけれど、当初は実はネット上のあるホロコースト否定論者にも読ませたかったから、という気持ちもありました。そのほんの一部だけなら、歴史修正主義研究会にも訳出はされていますが、極めて不十分です。ともかく、読んでもいないのに、このソフィアのように「内容が支離滅裂」などと言ってのける人が大半のようでしたので、ちゃんと確認できるようにしたかったのです。

私自身は、実際翻訳した当人でもありますし、精通しているとまでは言えないものの、否定論対抗の意思を持ってやたらと調べまくってきたのも事実ですから、そこそこは詳しくなったため、プレサック本の記述を鵜呑みにはできない、程度には思っています。それは翻訳ブログ中にも若干は注釈として記述してあります。中には明らかな誤りもあると考えています。しかし、ソフィアの方が比べものにならないほどはるかに「内容が支離滅裂」であることは確かです。それはもうここまで読んできた方ならお分かりかと思います。どの口でそんなことが言えるんだ……と思うほどです。例えばここでも、

スクショの都合上、上が切れてしまっていますが、ソフィアは、せっかくプレサックが、元々は死体安置室と設計されていたものを、その用途を建設中に途中でガス室に変えた、と主張しているのに、それを無視(知らないのだと思います)して、こんなことを言ってのけているのです。

これは、プレサックも見過ごしているのですが、ヘスの自伝の記述と合わせてプレサック本を読むとよくわかります。ヘスの自伝を読むと、当初、ビルケナウのブンカーでユダヤ人絶滅をやっていた時、死体は焼却せずに土中に埋葬していたのです。しかし、ヒムラーの命令でこれを全部焼却処分することになったのですが、野外で大量遺体焼却をやっていると、周辺にその煙を撒き散らすことになってしまい、周辺住民にばれてしまい、さらにはドイツ軍の防空隊からも苦情が寄せられるハメになってしまったのです。そのことがきっかけで、ユダヤ人絶滅の遺体をビルケナウの火葬場で実施することに変えたのです。そして、推測にはなりますが、火葬場の死体安置室をガス室として使うことはアウシュヴィッツ第一収容所の火葬場1で既に前年からやっていたことなので、それならブンカーを閉鎖して、火葬場の死体安置室をガス室として使えば合理的で都合がいいと考えたのでしょう。

ともかくそうした変更意図が、プレサック本に掲載されている1942年12月19日付の図面2003に示されているのです。以下はその一部ですが、

1942年12月19日付の図面2003

これの何が変わっているの比較のために、例えば1942年3月14日付の図面1311を以下に示します。

1942年3月14日付の図面1311

この変化の詳細をここで説明するのは大変ですので、詳しくはプレサック本をしっかり読んでいただくこととして(大変かもですけど)、簡単な説明だけをすると、図面が何か変化していることくらいはわかると思います。

初期の火葬場2の設計時には、火葬場の死体安置室については、その通り死体安置室の目的しかありませんでした。しかし、1942年12月頃になると死体安置室としては非常に使いづらい設計に変わっているのです。半地下構造ですから、死体は地上高さから地下まで下ろす必要があります。そのために最初は死体を落とすシュート(滑り台)があったのですが、図面2003ではそのシュートがなくなっているのです。いったいどうやって死体を下ろせばいいのでしょう?

実はこのシュート、設計変更指示が間に合わず、実際には作られてしまっていたようですが、

今も廃墟跡にある火葬場Ⅲに残る死体シュート。ちなみに、火葬場Ⅱの廃墟には残っていないようですが、火葬場Ⅱにもあったこと自体はヘンリク・タウバーの証言にも見られます。プレサックは木枠で囲まれて使われないようにしてあった、と書いていますが、実際に使用していなかったかどうかはわかりません。私自身はプレサックとは意見が異なって、収容所内の囚人の遺体を火葬場ⅡやⅢで保管するために使うことはあったのではないか?と思っています。あるのに使わないということはその方が不自然です。しかし死体シュートを使っていたからと言ってがガス室がなかったことの証拠になるわけではありません。ここでの議論のポイントは「なぜ設計変更で死体シュートを削除したのか?」であって、その意図が問題なのです。
https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0545.shtml

図面がそのように変更されていたという事実は何を意味するのでしょうか? 地上図面でもシュートのあった位置は部屋になっており、設計変更上はシュートがないことになっているのです。他にもガス室となる位置の扉の向き変更や、地下にアクセスするための階段の位置が変わっていたり。

この件についてプレサックはこう述べています。

2 . 死体シュートは廃止された(これは重要なポイントであり、このシュートが不要になったため、Leichenkeller(死体安置用地下室)はもはや通常の意味での死体安置所ではなくなった、あるいは「死体」は徒歩で運ばれるようになったことを暗示している)。

3 . クレマトリウムIIの北の庭から、金細工室と関連事務室の間の地下の控えの間に直接、そしてLeichenkeller2と1の間の接合部に通じるアクセス階段の設置。Leichenkeller2に直接通じる西側のアクセス階段はまだ計画されていなかったので[建設管理部のファイルで見つかった最初の記述は1943年2月26日の日付であった]、デヤコが引いた階段がLeichenkellerへの唯一の可能なアクセスとなり、「死体」はそこを通らなければならなかった。死体を運ぶために設計されたシュートを普通の階段に置き換えることは、あらゆる論理を無視している--未来の死体がまだ生きていて、階段を歩いて降りることができる状態で入ってきたのでなければ。しかし、もし地下室が生きた人間で満たされていたとしたら、「死体安置所」の機能はどうなるのだろうか?

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0302.shtml

こうして、司令官ヘスの自伝での記述と、プレサックが読み解いた火葬場の設計変更は見事一致していることがわかるのです。

これは、この火葬場ⅡやⅢの死体安置室を、火葬炉の熱を使って温める計画があったという話です。多分以下の文書の話だと思うのですが(とにかくソフィアはソースを明示しないので困ります)、

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-and-operation/pressac0221.shtml

Auf Grund Thres Vorschlages erklärt sich die Dienst-stelle einverstanden, dass der Keller 1 mit der Abluft aus den Räunen der 3 Saugzuganlagen vorgewärat wird. Die A lieferung und der Einbau der hierfür benötigten Rohrlei-tungen und der muckluftgebläses mas schnellstens erfolgen. Wie sie in o.a. schreiben angeben, sollte die Ausführung noch in dieser Woche geschehen. Un Fergabe eines spesifi-sierton Koetenangebotes 3-fach für Lieferung und Einbau wird gebeten.

プレサック本にこの文書のドイツ語テキストはなかったので、Googleレンズで読み取りましたが、以下のように書いてあります。

ご指摘の通り、第1貯蔵庫(註:死体安置室1を示すと考えられる)は、3つの強制通風設備の部屋からの空気で予熱することにサービスでは同意しています。そのために必要なダクトや送風機の供給と設置は、できるだけ早く行います。ご指摘の通り、今週中に施工を開始する予定です。詳細な見積もりは3枚複写でお願いします。

強制通風設備とは何かと言うと、火葬炉の排熱というか排気ガスは、煙突から外へ逃すことになりますが、この排煙が煙突にうまく流れず、炉内や煙道に不必要なまでに溜まったら設備が損傷する要因になりますし(実際損傷していたようです)、炉の扉を開けた時に火葬場部屋内へ逆流しても困るので、煙道途中に強制通風装置を仕掛けてあり、それにより煙突方向に強制的に煙を流すようになっていたそうです。


追記:通常、煙突がある場合、排煙は自然に煙突に導かれます。

煙突効果(えんとつこうか、英: stack effect)とは、煙突の中に外気より高温の空気がある時に、高温の空気は低温の空気より密度が低いため煙突内の空気に浮力が生じる結果、煙突下部の空気取り入れ口から外部の冷たい空気を煙突に引き入れながら暖かい空気が上昇する現象を言う[1]。

Wikipedia「煙突効果」より

しかし、アウシュヴィッツの火葬場では、本来は不要であるはずの強制通風装置を導入していました。おそらく、基幹収容所の火葬場1では地下に煙道を作ったため排煙を流しにくいと考えて先に同装置を導入していたのと、火葬場2では15マッフルもの多くの炉があったので、上述のようにうまく排煙できるか懸念したためではないかと思われます。ただ、強制通風装置を利用して排煙の熱を利用しようとしていたほど高温だったため、ビルケナウの火葬場2にあった強制通風装置は壊れてしまったようです。結局火葬場2の強制通風装置は撤去され、火葬場3は最初から設置されませんでした。これが、死体安置室を温める計画があったのに放棄された理由のようです。(出典は、プレサック『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』、p.230


この強制通風設備から排熱があるので、その排熱を死体安置室に導いて、死体安置室を加熱しようという計画になっていたようです。……何故?

実は、これも修正主義者は当然知っているはずなのですが、ダッハウには衣服用の害虫駆除室(チクロンBを使う)用に、加熱してシアン化水素ガスを室内に送り込む装置があったんですよ。

https://note.com/ms2400/n/n2367d10d1f0d

加熱した方がチクロンBからのガス放出が早くなる仕組みのようです。実際には、この装置もそうですが、プリュファーから提案された上の計画もアウシュヴィッツには導入されませんでしたが、しかし、何故計画されたのでしょう?

ソフィアは、冬は寒くなることがありそうすると死体が凍ってしまうので、死体を溶かすためだ、と言っていますが、もちろんそんな説明は文書には何も書かれていません。しかしちょっと頭を働かせて欲しいのですが、そもそも「keller」という語は、貯蔵庫を表します。ワインセラーとかあるじゃないですか。このケラーが地下室であることが多いのは、地下室の室温が比較的安定しているからです。

何故か? 当たり前です、外の空気があまり影響しないからです。だから、地下室などの室温が比較的低くて「安定している」場所が貯蔵庫に選ばれるんです。だから、火葬場ⅡやⅢの死体安置室を地下とする設計になったのでしょう。火葬場ⅡやⅢの地下室はかなり広い容積がありますから、死体の安置期間が長くなる可能性も考慮したのかもしれません。死体安置室が二箇所になっているのは、一箇所ずつ交互に使うことを想定していたかのように思えます。もちろん「当初は」ってことですけれど。

だから、プレサックが言う通り、死体安置室を温める計画があったなんて話はおかしいのです。ただし、実際には必要ありませんでした。何故なら、チクロンBからのシアン化水素ガス放出は低温でも十分だからです。

エルコキューブって、アウシュヴィッツで使われたチクロンBと同じシアン化水素を保持している物質・形態のことです。氷点下20度程度になってすら、25%以上ものシアン化水素ガスを1時間もあれば放出します。シアン化水素ガスの液体はアルコールよりもはるかに蒸発しやすいのです。これは、平衡蒸気圧を調べることでわかります。

  • 水(20℃):23.4hPa

  • エタノール(20℃):58.7hPa

  • シアン化水素(20℃):826hPa

見ての通り、シアン化水素はエタノールの14倍も蒸発しやすいことがわかります。また、犠牲者がなかなか死なないと思ったのであれば、チクロンBの投入量を増やせば良いだけです。あるいは、ガス室内は犠牲者の体温で十分温められていると考えれば、そんな考慮は必要はなかったでしょう。ただ、効率をとことん突き詰めたいのなら、もちろん部屋を温めた方が良いに決まってます。

ともかく、ソフィアは脳を無駄にしか使っていないことは明らかです。死体の凍結を考慮してた、だなんて初めて聞いた(笑)。

死体安置室は防空シェルターとしての性能も求められていたから、暖房装置が必要だったのかもしれない。

そんな説は修正主義者が勝手に言っているだけであり、それこそ防空シェルターの計画など何の文書証拠も残っていません。映画『否定と肯定』でもリチャード・ランプトン弁護人に喝破されてましたね。「防空シェルターを親衛隊施設から何キロも離れたところに作って何の意味がある?」と。それともビルケナウの囚人を空襲から守るほどナチス親衛隊は人道的だったとでも言いたいのでしょうか? しかも暖房装置付き? どんだけ親切やねんw

なお2万字制限を大幅に超えている為今回はこの辺にしておいて、8章までは終わったことにしますが、一件だけ。

スクショでは全部入らないので、全文読みたい方はこちら、あるいはこちら

この、ヴァルター・シュライバー(Walter Schreiber)については、シュライバーは赴任した時期が1943年11月1日とあり、この時期には既にビルケナウの火葬場は全て完成していました。そのような時期に、以下のようなことがあり得たでしょうか?

L:コンクリートで強化された天井にあったとされる投入穴について何かご存知ですか。
S:知りません、私の記憶にはありません。しかし、この部屋は副次的目的として防空シェルターとしても使われることを意図されていたので、投入穴[換気口]が副産物として想定されることもあったのかもしれません。もし、そうなった場合には、私は強く反対したでしょうが。

シュライバーは91歳だったと書いてありますし、ご記憶はどこまで大丈夫なのでしょう?

それに「この証言を死後、公表するよう依頼した証人に、その証言を遺したことに感謝する。」って、何だか怪しいと思いませんか? まるで死人に口なしのようだと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。

なお、この記事は「Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung」なる季刊誌に掲載されたものとあり、これ、VHOっていう団体の機関誌なんですけど――。

次:


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