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第1章 声とリズムの源流 アメリカ大衆音楽の胎動

まだジャンルになる前の声とリズム

19世紀後半から20世紀初頭のアメリカでは、後のブルースジャズゴスペルをはじめとするアメリカ大衆音楽へつながる音楽の語彙が、まだ一つのジャンルにまとまらないまま各地で育っていた。

もちろん、これは世界の大衆音楽そのものの始まりではない。同じ時代、世界各地にはそれぞれ異なる音楽文化がすでに存在していた。その中でアメリカでは、後の世界の大衆音楽に大きな影響を与えることになる複数の音楽文化が、互いに接触しながら新しい形を生み始めていた。

南部の畑や教会では、フィールドハラースピリチュアルワークソングが歌われていた。そこには音程の揺らぎ、反復、コール&レスポンス、身体の動きと結びついたリズムがあった。

一方、アフリカ系アメリカ人の間では、複数の声に異なる役割を与えて和音を作るカルテット文化も発達していた。さらに、ラグタイムではシンコペーションが出版音楽として広まり、ワルツやマーチなどヨーロッパ系の音楽も社会に根づいていた。ミンストレルやヴォードヴィルの舞台では、人種的な歪みを伴いながら、さまざまな歌や踊りが商業娯楽として流通していた。

20世紀初頭のアメリカ南部、綿花畑で働く人々。 フィールドハラーの多くは、このような労働の現場で即興的に発せられ、録音や記譜に残ることなく消えていった。
出典:Library of Congress(Public Domain)


黒人の声に見られる音程やリズムの揺らぎとコール&レスポンスが、ブルースの核を形づくった

フィールドハラーやスピリチュアル、ワークソングといった生活の声には、のちにブルースと呼ばれることになる音楽的要素が、数多く含まれていたと後年の視点から評価されている。

  • のちにブルーノートにもつながる音程の揺らぎ

  • 呼びかけと応答(コール&レスポンス)

  • 同じ節を繰り返し、微妙に変化させる技法

  • 叫びと語りの中間のような声の表情

それぞれ用途も歌われる場所も異なっていたが、こうした特徴には、後のブルースにも通じる共通点があった。


こうした歌唱そのものが、当時すでに「ブルース」という一つのジャンルとして整理されていたわけではなかったが、後年の概念で振り返るならば、後のブルースを形作る重要な要素は、すでにそこに見出すことができる。


声はハーモニーの文化へ ── ジュビリーとバーバーショップ

スピリチュアルがコンサートの舞台へ広がっていく一方、アフリカ系アメリカ人の間では、複数の声を組み合わせる文化も育っていた。1871年に巡演を始めたフィスク・ジュビリー・シンガーズなどの黒人大学の合唱団からは男性カルテットが生まれ、一方、街角や理髪店では、耳を頼りに四つの声を重ねるバーバーショップ・ハーモニーが盛んに歌われていた。

20世紀初頭には二つの歌唱文化が交わり、そこへスピリチュアルやワークソングのコール&レスポンスも重なって、黒人男性カルテットの文化が発達していった。この流れは地域社会や教会へ広がってのちのゴスペル・カルテットにつながり、またカルテット歌唱を経験したルイ・アームストロングら初期ジャズの音楽家の形成にも影響を与えたとされる。


口承のブルースが楽譜へ ── W.C.ハンディ

1900年代初頭、W.C.ハンディは南部で耳にした黒人の民衆音楽から、のちにブルースとして整理される語法を吸収していった。1912年には「Memphis Blues」を出版し、1914年の「St. Louis Blues」などへと続いていく。

ハンディがブルースを発明したわけではない。彼の重要性は、すでに黒人社会で歌われ、演奏されていたブルースの要素を、自らの作曲へ取り込み、楽譜と出版市場を通じて広い聴衆へ届けたことにあった。


ラグタイムが、シンコペーションを楽譜と家庭へ運んだ

ジョプリンらのラグタイムは、アフリカ系アメリカ人の音楽文化と深く結びついたシンコペーションを、ヨーロッパ由来の記譜法やピアノ曲の形式の中に組み込み、出版音楽として広く流通させた。

プレイヤーピアノ用のピアノロール(20世紀初頭) 
ラグタイムのリズムは、楽譜や自動演奏装置を通じて家庭へと入り込み、アフリカ系アメリカ人の音楽文化と深く結びついたシンコペーションも、家庭で繰り返し演奏される音楽として広まっていった。
出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

ジョプリンは、アフリカ系アメリカ人の音楽文化に根ざしながら、正式な音楽教育も受け、その二つを作品の中で結びつけた作曲家として評価されている。


ヨーロッパ系舞曲の形式と、ミンストレルという歪んだ流通経路

アメリカ大衆音楽の形成には、アフリカ系アメリカ人の音楽だけでなく、ヨーロッパから持ち込まれたワルツやポルカなどの舞曲、マーチや軍楽隊の文化も関わっていた。そこには規則的な拍節、楽曲の形式、和声、楽器編成など、別の音楽的な語彙があった。

とくにニューオーリンズでは、ヨーロッパ系、アフリカ系アメリカ人、カリブ海地域など複数の音楽文化が接触し、のちにジャズが生まれる重要な環境の一つとなった。

一方、ミンストレルショーは、黒人を差別的に戯画化しながら、黒人文化から取り込んだ要素を商業娯楽として流通させるという矛盾した役割を担った。

19世紀から続く黒塗り芸の伝統は、独立したミンストレルショーとしては次第に姿を変えつつも、20世紀初頭にはヴォードヴィルやレビューといった新しい舞台形式に取り込まれながら、黒人像をめぐる娯楽として流通し続けた。

差別的な表象ではあったが、黒人文化から取り込まれた歌や踊り、演奏の要素は、こうした商業舞台を通じて歪んだ形で広く流通していった。


複数の源流が、次の時代へ流れ込む

1900年代には、すでにラグタイムやマーチ、ワルツといった名前を持つ音楽が存在していた。一方、ブルースやジャズにつながる音楽も、地域ごとの実践の中から次第に輪郭を現し始めていた。この時代には、後の大衆音楽を形作る音楽的要素や、それを広げる仕組みが、まだ別々の場所で育っていた。

  • フィールドハラー、スピリチュアル、ワークソングに見られた声の表情、反復、コール&レスポンス

  • ジュビリーとバーバーショップが育てた複数の声によるハーモニー

  • ブルースへつながる歌唱と、それを取り込んだW.C.ハンディらの出版歌曲

  • ラグタイムのシンコペーション

  • ヨーロッパ系舞曲や軍楽隊が持っていた形式や楽器編成

  • ミンストレルやヴォードヴィルという商業舞台

これらが複雑に絡み合い、1910年代までには、ブルースは出版歌曲として輪郭を持ち始め、ラグタイムは全米へ広がり、ニューオーリンズでは後にジャズと呼ばれる音楽も形を現し始めていた。

次の時代には、都市化、大移動、録音技術とレコード産業が、こうした音楽をより広い地域へ運び、互いに接触させていく。同時に、ブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリーなどが、次第に明確な市場とジャンルとして姿を現していく。


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