いつの間に東照宮が!?御朱印巡りの途中で"欲棒が滾る街"裏道後の姿を見た【松山市】
愛媛の県都、松山といえば、道後温泉、現存天守の松山城、そして情緒を感じる路面電車といった観光要素がたっぷりある街だ。
そんな街に昨年、新たに東照宮ができていた。
松山の歴史をちょっと知っている人なら松山に東照宮が創建されること自体に違和感を覚えないだろうが、さすがに令和の御代に新規で東照宮が創建されたというわけではない。
正確に言えば東照宮へと「改称」されたのだ。
全国各地の御朱印巡り、神社巡り、そして東照宮巡りが好きな私は、三泊四日の宮崎旅行からの帰路にあたる四日目に松山東照宮へと参拝しに行くことにしたのだった。
なお、初日(八幡浜・佐伯)、二日目(串間・日南)、三日目(高千穂・臼杵)についてはこちらの記事で書いている。
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宿泊先である八幡浜市内のホテルを出て、ホテルのすぐそばにあったマクドナルドで朝食として朝マックを食べるところから始まる。

あまり言い方は良くないかもしれないが、こんな小さな市に新規でマックが出店してくれたことが驚きだった。
衰退しているとはいえ、交通の要衝というのはやはり強いのだろう。
需要が見込めなければファストフード店など出店しない。

朝マック初心者である私は、朝マックにはバンズがなくマフィンしかないことに衝撃を受けた。
マフィンが口に合わないとまでは言わないが、心情的にはハンバーガーを食べるために来店したつもりだったので、マフィンでは物足りなさを感じざるを得なかった。
朝マックはもう利用しないだろう。
松山東照宮(愛媛県指定有形文化財)

八幡浜市を出ておよそ1時間20分ほど走り、目的地である松山東照宮へ到着した。
松山東照宮は道後温泉本館から北西方向の小高い丘の上にあり、参道となる階段の入り口付近が広場のようになっていた。
付近にここを除き駐車場らしき場所はないので、ここが駐車場だと判断して車を停めて参道を登った。
しかし、参拝した際に漏れ聞こえてきた他の参拝者と神職の方との会話から舗装された駐車場は社殿の後背にあったことを知る。
慣れた人はそちらに停めるのだとか。
駐車はしやすいが、さらに住宅街の細い道を通り抜けていかなければならないので、確かに慣れていないと行く気にはならないかもしれない。





社殿の手前にある門は唐門だが、他の東照宮にあるような唐門とは形状が異なり独特だ。
形式で言えば向唐門なのだろうが、一般的な門に軒唐破風の装飾を施したような意匠であり、唐門といった感じはしない。

これが松山東照宮の社殿だ。
幕末の元治2(1865)年、13代松山藩主松平勝成公によって建立された。
松山藩を治めた久松松平家は徳川家の親戚である御家門の一家であり、同家にとって東照大権現として徳川家康公を祀る東照宮の建立は歴代藩主の悲願だったという。
創建当初は松山東照宮だったが、明治43年に明治政府による合祀令で客天満宮と合祀したことを機に松山神社へと改名させられてしまった。
これは徳川家を敵視した明治政府の意向や意図も影響しているのだろう。
長きに渡り東照宮を名乗らせてもらえなかったが、令和7年12月16日に正式に社号を松山神社から松山東照宮へと変更したという経緯だった。
ネットニュースでこの件を知るまでは松山に東照宮があったことも知らなかったし、東照宮でなければ足を運んでいなかった。
むしろ私は東照宮だからこそ足を運ぼうと思ったので、改称した意義は大いにあったと思っている。

社殿については拝殿、石の間、本殿が一体化した権現造で、日光東照宮や久能山東照宮などと同じ形式となっている。
しかし、東照宮らしい豪華絢爛な金の装飾や朱塗り、極彩色の彫刻などはなく、白木造り(※)の非常に簡素な外観をしている。
※木材に彩色等を行わず、木地のまま用いることをいう。

私はこれを幕末における松山藩の予算不足による簡素化、早い話がカネがないためケチったのかと思っていた。
しかし、それは全くの見当違いで、この簡素な作りは本来の伝統的で古風な東照宮建築に回帰したものであり、むしろ最高級の材料と技術を用いて建設されたものだった。
一切の装飾を加えない白木造りは、使用する木材に妥協ができないため誤魔化しがきかない。
節目や色ムラがなく木目が美しい巨木の良質な部分を切り出して使わなければならないからだ。
対して木材の表面を漆や朱塗りにして加工する前提であれば節目や色ムラなどがあっても誤魔化しが利くため、使用する木材も白木造りほど上級なものにこだわらなくても済む。
もちろん、その分塗装や彩色には費用が嵩むので、トータルコストでどちらが安価になるかを単純比較することは出来ない。
要するに、白木造りだからといって安上がりになるわけではないのだ。

また内部構造にもこだわりがあり、あえて柱の数を減らして内部空間を広く取る構造にしていた。
これは江戸時代末期の最新技術だそうで、高い技術を持つ宮大工などへの人件費は高額なものだったことだろう。
こういう簡素なスタイルも渋くて美しいとは思うが、東照宮といえば日光東照宮や久能山東照宮などの絢爛豪華なイメージが強い。
そんなイメージを抱いて訪れるとギャップを感じるかもしれない。





道後ヘルスビル(裏道後)

まずは写真を見てもらったほうがいいだろう。
ここは道後ヘルスビルという直球ストレートなネーミングが強烈な雑居ビルで、この周辺は通称裏道後と呼ばれている風俗街がある地区なのだ。
まさに「欲望が滾る街」と呼ぶに相応しい堂々とした佇まいをしており、ここまで包み隠さず大っぴらにしているのは、いっそ潔いとすら言える。
「ヘルスビル」という名前のとおり、このビルにはもちろんファッションヘルスと呼ばれる形態の性風俗店が入居している。
実は数ヶ月前にもネットで話題になった場所で、面白スポットだと思っていたくらいだったのだが、まさか目的地のすぐ近くにあるとは思いもしなかった。

位置関係はこのようになっている。
私たちは車で道後温泉本館の横にある愛媛県道187号で右から回り込んできたので、ちょうど風俗街のド真ん中を通過することになった。
地図で見るとよく分かるが、この風俗街は観光地である道後温泉及び周辺の宿泊施設から徒歩圏内にあるほど近接している。
こんな場所にと思う人もいるかもしれないが、むしろ風俗街とはこういう温泉にこそあるものだ。
私が知るだけでも、別府(大分)、嬉野(佐賀)、片山津(石川県)、皆生(鳥取)、玉造(島根)といった著名な温泉地には性風俗店があった。
中でも圧倒的な知名度を誇るのは、近畿地方では神戸の福原と並ぶ規模の一大ソープ街として有名な滋賀の雄琴だ。
おっさん相手に「雄琴」へ行ってきたなんて言えば、まず間違いなく風俗を利用したと思われてニヤニヤした笑顔を向けられることだろう。

このように温泉地に性風俗があるのは不思議なことではない。
近世以来、温泉や宿場町など人の往来が激しい場所には風俗街があり、遊郭や飯盛女(※)といった様々な形態で性風俗産業が置かれてきた。
道後温泉も例に漏れず、現在の風俗街とは少し離れた場所に遊郭跡があるそうだ。
※江戸時代に宿場などの飲食店で従業員という建前で雇われ、店舗の二階などで売春していた売春婦のことをいう。遊郭以外での売春(私娼)を取り締まっていた幕府からも黙認されており、宿場ごとに定員が決められていた。宿場女郎ともいう。
ちなみに私たち二人は性風俗店を利用していないので風俗レビューは出来ない。興味がある人は爆サイでも見に行ってくれ。
出先の風俗で遊ぶのも粋な旅人だとは思うので否定はしないが、私たち二人は大人のお店で遊ぶ金や時間があれば観光に費やすようなタイプなのだ。

伊佐爾波神社(重要文化財)
道後温泉には、松山東照宮とは別にもう一つ立派な神社がある。
八幡神を祀る伊佐爾波神社だ。
松山東照宮とは逆に道後温泉の東側にあり、こちらも小高い丘の上に鎮座している。
一応、二年前に道後温泉へ足を運んだ際に参拝し御朱印も頂戴しているが、美しい社殿をもう一度見たかったことと、参拝したことがない友人にも見せたかったので再訪することにした。
二年前に参拝した際の記事
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何度見ても美しい八幡造の社殿だ。
回廊と一体化してそびえ立つ楼門は威容を感じられる。
前回参拝した時は曇天だったが、今回は晴天ということもあり一層美しく見えた。
やはり再訪して良かったと思う。



石段とそれに連なる参道を見下ろすと、見事に道後温泉駅まで一直線であることが分かる。
この直線上に何もない景色がとても美しい。
これこそまさに参道だ。


奥に見えるのが本殿で、本殿と回廊の間(賽銭箱から本殿までの間)が申殿という。拝殿はない。

湯月八幡とは伊佐爾波神社の異名だ。
社殿そのものが八幡造であることからも分かるように、この神社の主祭神は八幡神だ。
社号が八幡神社でも八幡宮でもないから分かりにくいかもしれない。









参拝を終え、ちょうどいい時間になったので松山市内で昼食を取ることにした。
道中では路面電車が走る光景を見ることが出来る。
地元(尾張)では路面電車はほぼ消えたので、こうした風情のある光景には毎回新鮮さを感じる。




昼食はGoogleマップで見つけた松山市内のイタリアンレストラン、ラボンタへ。
駐車場は店舗左側にある。



昼食を済ませて松山を出発し、あとはもう休憩しながら帰るだけだ。
行きと同様、淡路島を経由して神戸淡路鳴門道で帰路についた。
愛知に到着したのは午後8時頃と少し遅くなったが、深夜ではないので十分許容範囲だ。

さいごに
フェリーを使って九州へ行ったのは人生で二度目だ。
海路でショートカットしたこともあり、今回の走行距離は1848kmと控えめとなった。

過去に陸路だけを使って鹿児島に行った際の走行距離は2312kmにも達しており、今回もフェリーを使わなかったら似たような距離になっていたことだろう。それだけ効果は大きい。
カーフェリーの利用は費用負担も大きいが、肉体と車両への負荷も大きく軽減されるためメリットも大きい。
そして、船旅ならではの情緒を感じられるのもよい。
そして今回はまともに行ったことのなかった宮崎県をガッツリ観光し、併せて愛媛県の観光も出来た。
行くまではあまり観光が強くなさそうな印象の宮崎県だったが、行ってみると見どころがとても多く、また機会があればリベンジしたいと強く思っている。
次は宮崎カーフェリーでも使ってみようかな。
【関連記事】
陸路だけで鹿児島へ行ったときの記事
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最初にフェリーで九州(大分)へ行ったときの記事
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