批判に素直でいることと、無防備でいることは違う
人からアドバイスをもらうのは、ありがたいことだと思っています。
大人になると、わざわざ耳の痛いことを言ってくれる人は少なくなります。上司でも同僚でも、「こうしたほうがいいと思う」「あの言い方はよくなかった」と伝えてくれる人がいたら、私は一度はかなり真面目に考えるようにしています。
以前、「伸びる素直、伸びない素直」という記事で、伸びる素直さとは、人の言うことをそのまま信じることではなく、他人の意見と現実の結果を使って、自分の考えを更新できることだと書きました。
この考えは今も変わっていません。
ただ、いろいろな立場で組織を見てきて、もう一つ覚えておいたほうがいいことがあると思うようになりました。
それは、すべての批判が、あなた自身について語っているわけではないということです。
本当に、その「行動」に怒っているのだろうか
以前、ある人の発言について、かなり強く批判している人がいました。
「ああいう言い方はよくない」
「周囲への配慮がなさすぎる」
「あんなことを言うべきではない」
なるほど、と思って聞いていました。
それからしばらく日が経ったあと、別の場面で、別の人がほとんど同じような発言をしました。すると、以前はあれほど強く批判していた人が、その発言には楽しそうに笑っているのです。
「あれ?」と思いました。
私には、二人の発言にそれほど大きな違いがあるようには見えません。
だとすると、最初の批判は本当に「その発言」に向けられていたのでしょうか。
もしかすると、その人は発言が嫌いだったのではなく、発言した人のことが嫌いだったのかもしれません。
そう考えると、いろいろなことがつながります。
同じ強い言い方でも、好きな人なら「率直でいい」。嫌いな人なら「高圧的だ」。細かく確認する人も、信頼している人なら「品質へのこだわりがある」。嫌いな人なら「重箱の隅をつつく」。
同じ行動を見ているはずなのに、誰がやったかによって意味まで変わってしまう。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはよく言ったものです。
人への評価には、評価する側の人間も映り込む
このことを考えていて、おもしろい研究を見つけました。
Scullenらは、管理職に対する360度評価を分析し、その評価のばらつきが何によって生まれているのかを調べています。
その結果、人への評価は、その人自身のパフォーマンスだけでなく、「誰が評価したか」によって大きく変わっていました。評価の違いを統計的に分解すると、評価する人それぞれの見方や採点傾向による部分が半分以上を占めていたのです。
もちろん、「他人からの評価の半分以上は間違っている」という意味ではありません。
上司、同僚、部下では見ている場面も違えば、仕事で重視しているものも違います。それでも私がおもしろいと思ったのは、私たちは人からの評価を「評価された人についての情報」だと考えがちですが、実際にはそこに、評価した人自身もかなり映り込んでいるということです。
「あの人はコミュニケーション能力が低い」という言葉には、その人の振る舞いだけでなく、「私はどんなコミュニケーションを好むのか」も入っています。
「あの人はリーダーとして強すぎる」という評価には、「私はどんなリーダーを心地よいと感じるのか」も入っている。
批判とは、批判された人だけを映す鏡ではないのかもしれません。
批判の理由が、批判の中に書いてあるとは限らない
さらにややこしいのは、批判している本人さえ、その理由を正確には分かっていないことです。
たとえば、上司について非常に強い不満を話している人がいたとします。
「部下をちゃんと評価していない」
「マネジメントがよくない」
「判断がおかしい」
話だけ聞けば、上司のマネジメントに対する批判です。
でも、少し事情を知ると、その人自身が上司から低い評価を受けていたり、自分が欲しかったポジションに別の人が就いていたりする。
だとすると、「低く評価されて腹が立っている」「自分がやりたかった仕事を任せてもらえなかった」といった感情も、批判の中に混ざっているのかもしれません。
もちろん、その状態でも批判内容が正しいことはあります。
ただ、「マネジメントが悪い」という言葉だけを受け取ると見えない感情が、その後ろにはあるかもしれません。
職場の地位競争についても興味深い研究があります。Rehらの実験と職場調査では、自分より速く成長している同僚を「将来、自分の地位を脅かす存在」と感じると、競争的な環境では嫉妬が生じ、その同僚を弱体化させる行動につながる経路が確認されました。
人は、いつも公平な第三者として同僚や上司を見ているわけではありません。
自分の評価も、ポジションも、居場所もかかっています。
そう考えると、組織の中で交わされる批判を、額面どおりにだけ読むのは少し危ないと思うようになりました。
5人に言われても、「5票」とは限らない
もう一つ、組織で働いていると気になることがあります。
会社にはどうしても、気の合う人たちの集まりができます。
同期、元同僚、昔から一緒に働いている人、同じ職種の人。いわゆるオールドボーイズクラブのような関係もあるでしょう。
それ自体が悪いわけではありません。人間なので、気の合う人と仲良くするのは自然です。
ただ、そのコミュニティの中で人物評価まで共有され始めると、少し話が変わります。
「あの人、ちょっと問題あるよね」
「分かる。私もそう思ってた」
「やっぱりみんなそう思ってるんだ」
こうなると、ある人への評価がどんどん強くなります。
でも、5人から同じことを言われたからといって、必ずしも独立した5人が別々に観察して、同じ結論へたどり着いたとは限りません。
仲のいい人たちの間で、同じ見方が少しずつ共有されていったのかもしれない。
私は組織にいるうちに、「何人が言っているか」だけではなく、その人たちは本当に別々にそう考えたのかも気にするようになりました。
「話半分」とは、半分無視することではない
では、批判なんて気にしなければよいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
むしろ、自分では気づけないことを教えてもらえるからこそ、他人からの指摘には大きな価値があります。
だから私は、批判は「話半分」で聞くくらいがちょうどいいと思っています。
ただし、半分を聞いて、半分を捨てるという意味ではありません。
言われたことはいったん全部聞く。「もしかすると自分に問題があるかもしれない」と考える。具体的にどの行動を指しているのかも確認する。
そのうえで少し離れて考えます。
この人は、別の人が同じことをしても同じように批判するだろうか。他の、つながりのない人からも同じ指摘を受けているだろうか。自分の実際の行動や結果を見ると、その指摘にはどこまで根拠があるだろうか。
そして、変える価値があると思えば変える。
そうでなければ、「そういう見方もあるんだな」と置いておけばいい。
素直でいることと、無防備でいることは違う
他人から何かを言われるたびに、
「自分が悪かったのかもしれない」
「もっと直さなければ」
「自分には何か問題があるのではないか」
と全部を自分の中へ入れていると、かなり疲れます。
特に、真面目に仕事をしていて、成長したいと思っている人ほど、他人の言葉を軽く扱えません。
だからこそ、組織には少し複雑なところもあると知っておいたほうがいいと思います。
批判には、その人の行動についての情報も入っています。しかし同時に、批判する人の好き嫌い、価値観、利害、過去の関係も入っていることがあります。
私はこれからも、耳の痛いことを言われたら一度はちゃんと考えたいと思っています。自分の考えを変えられなくなったら、そこで成長も止まってしまうからです。
でも、誰かから何かを言われるたびに、その言葉を自分についての「真実」にする必要はありません。
素直でいることと、無防備でいることは違うと思います。
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