誰も叱らないのであれば、静かに扉が閉じている
学生のころ、私はあまり礼儀のなっている学生ではありませんでした。悪気はないのですが、先生への連絡の仕方や、人に何かをお願いするときの振る舞いなど、今から考えると「それはちょっと失礼でしょう」と思うことがいろいろあった。幸い、先生はそういうことをきちんと指摘してくれました。
そのとき言われた言葉のひとつが、最近、やけに身にしみるようになりました。
「社会に出ると、誰も注意してくれないだけで、許されているわけではない。そして、あなたが気づいていない扉が、音もなく閉じている」
当時は、なるほど、社会人は厳しい世界らしい、くらいに受け取っていました。でも最近、この言葉は「厳しい」というより、かなり正確に社会の仕組みを説明していたのだと思うようになりました。
「何も言われない」は、許されたという意味ではない
学生時代、先生には学生を育てる役割があります。礼儀がなっていなければ注意するし、レポートが雑なら赤を入れる。頼んでもいない人生指導まで無料で付属することもあります。
ところが会社では、他人の振る舞いや仕事の雑さを直してあげることは、必ずしも全員の仕事ではありません。
たとえば、いつも締切を守らない人がいる。一度目は注意する。二度目も言うかもしれない。では三度目は?
また時間を使って、言い方を考えて、本人が傷つかないよう配慮して、場合によっては反論まで聞き、それでも直るかどうか分からない。それなら次から、締切を守る人に頼んだ方が早い。
ネガティブフィードバックは、意外に高価な商品なのです。
実際、研究でも、人は悪い評価ほど直接伝えたがらず、内容を薄めてしまうことが知られています。2018年の6つの研究では、マネージャーはネガティブな内容ほど間接的に伝え、それでも「十分伝わった」と考えがちでした。
上司は「かなり厳しく言った」と思い、本人は「まあ、概ねOKらしい」と受け取る。なかなか便利なすれ違いです。
しかもフィードバックは、すれば必ず効くわけでもありません。古典的なメタ分析では、平均的には成果を改善した一方、4割近いケースでは逆にパフォーマンスを悪化させていました。
言う側からすれば、コストは高い、効果は不確実、言い方を間違えれば関係も悪くなる。ROIはかなり微妙です。
叱るより、あなたを迂回する方が安い
さらに会社から見れば、問題を解決する方法は「本人を直す」だけではありません。別の人に頼めばいい。業務フローを変えてもいい。システムでミスを防いでもいい。これからならAIにやらせてもいい。
製造業では昔から「もっと注意してください」より、「そもそも間違えられない工程を作る」が王道でした。トヨタのポカヨケはその代表です。
ITでも同じです。1990年代のBPRでは、今の仕事を速くするより、そもそもその仕事が必要になる業務設計を作り直す発想が広がりました。
人間に100回「間違えないでください」と言うより、間違った入力ができない画面を一度作る方が早い。
AIはこの流れをさらに進めます。資料の不備をAIが見つけ、メールをAIが直し、仕事の配分までシステムが判断する。すると「上司が問題を見つけ、本人に注意し、改善を待つ」という工程そのものを飛ばせる場面が増えます。
会社にとっては効率化です。しかし本人から見ると、自分の問題点を知る機会が消えていることになります。
怖いのは、扉があったことさえ知らないこと
ここで、先生の言った「扉」という言葉が効いてきます。
大事な顧客との打ち合わせ。一段難しい仕事。新しいプロジェクト。誰かの後任。社外の人への紹介。「あの人に一度やらせてみよう」という推薦。
こうしたものは、すべて成長機会です。
職場の評判に関する研究では、良い評判は裁量や権限、キャリア上の成功と結びつきます。また、上司から信頼されている人ほど、責任の大きな仕事やストレッチ・アサインメントと呼ばれる成長機会を得やすいことも知られています。
つまり仕事は、能力だけで配られていません。「この人なら任せても大丈夫」という信用でも配られています。
そして重要なのは、こうした成長機会が事前に見えているわけではないことです。
「来月、こんな素晴らしい案件があります。あなたも候補です」などと毎回事前告知されるわけではありません。
多くの機会は、本人の知らないところで突然生まれます。
「この仕事、誰に任せようか」
「あの会社に誰か紹介できない?」
「次のプロジェクト、誰を入れよう?」
そんな会話のなかで名前が挙がる人と、挙がらない人がいる。
名前が挙がらなかった人は、自分が候補になり得たことさえ知りません。「前回の資料が雑だったので、今回は候補から外しました」という不採用通知も届かない。
扉が閉じたことに気づかないのではありません。
そもそも、そこに扉があったことを知らないのです。
だから「静かに閉じる」という表現は、とても正確なのだと思います。
何も起きていないように見える間に
しかも、この差は時間をかけて大きくなります。
信用される人には少し難しい仕事が集まり、その仕事から新しい経験を得る。その経験が能力と実績を作り、「次はもっと大きな仕事を任せてみよう」となる。
一方、少し任せにくい人には、今まで通りの仕事が回ってくる。給料も出る。席もある。怒られもしない。
だから本人には、特に何も起きていないように見えます。
でも、新しい経験だけが増えていない。
数年たつと、最初はほんの小さな信用の差だったものが、本当に経験や能力、実績の差になって現れます。
つまり閉じた扉とは、「失った仕事」ではありません。
その先で得られたかもしれない経験への入口です。
そして本人には、その入口も、その先に続いていた次の扉も見えません。
評価は消えない。通知だけが消える
社会人になると、評価されなくなるわけではありません。むしろ毎日かなり細かく評価されています。
「あの人に頼めば大丈夫」
「ちょっと確認が必要」
「この仕事は別の人にしよう」
ただ、その評価が本人に伝えられない。
学生時代は「フィードバック」という言葉で返ってきたものが、社会に出ると「次の仕事を誰に渡すか」という形で返ってくる。
つまり、フィードバックが「言葉」から「機会配分」に変わるのです。
もちろん、誰もが周囲の顔色を読みながら怯えて働け、という話ではありません。約束を守り、仕事を丁寧にやり、周囲に余計な確認や手戻りを発生させていないなら、誰にも叱られないのは普通です。
少し気にした方がいいのは、自分でも雑だったと思う仕事や振る舞いが続いているのに、なぜか誰からも何も言われなくなったときです。
許されたのではなく、「この人を直す」以外の解決策が選ばれ始めているのかもしれない。
そしてそのとき失っているのは、目の前に見えていたチャンスではありません。
存在さえ知らなかった、次の成長機会なのだと思います。
だから、自分の人格ではなく、自分の仕事に厳しいことを言ってくれる人は、大事にした方がいい。わざわざ扉が閉じる前に教えてくれているのだから。
あわせて読みたい
無理なフィードバックは、むしろしないほうがいい
フィードバックは、多ければ多いほどよいわけではありません。上司が十分に観察していないことまで、もっともらしく説明すると、むしろ間違った学習につながることもある。「厳しいことを言ってくれる人を大事にする」と同時に、どんなフィードバックに価値があるのかを考えた記事です。
配属ガチャは3年後の能力ガチャ―それでも、次の仕事は少しずつ変えられる
今の能力が次の仕事を決めるだけではなく、任された仕事が次の能力を作ります。少し難しい仕事を経験する人と、同じ難易度の仕事を続ける人の差が、数年後には本当の能力差になっていく。「閉じる扉=成長機会」という今回の記事に、もっとも直接つながる記事です。
チャレンジマネジメントのすすめ
人材育成というと、研修や1on1を管理しがちです。しかし、本当に人を育てるのは「どんな仕事を任せるか」ではないか。成長する人を管理するのではなく、組織の中にある「人が育つ仕事」を管理する、というマネジメント側からの話です。
〖エッセンス版〗仕事を面白くする人が伸びる — 「性格」を変えずに「小さな行動」から始める成長の法則
小さな行動が経験を増やし、経験が能力を増やし、能力が「この人なら任せられる」という信用につながり、さらに難しい仕事が来る。今回の記事で描いた「扉が閉じる」の反対側にある、成長機会が次の成長機会を連れてくる「機会の複利」をまとめています。
改善が得意な会社ほど、変革できない
人に「もっと注意して」と言い続けるより、そもそも問題が起きる仕事や仕組みを作り替える。AI時代には、この選択肢がますます安くなります。今回触れた「本人を直すより、本人を迂回する仕組みを作る」という話を、組織変革の側から掘り下げた記事です。
参考にした研究・資料
研究
Schaerer, M., Kern, M., Berger, G., Medvec, V., & Swaab, R. I. (2018). “The illusion of transparency in performance appraisals: When and why accuracy motivation explains unintentional feedback inflation.” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 144, 171–186. DOI: 10.1016/j.obhdp.2017.09.002
──ネガティブな評価ほどマネージャーが間接的に伝えやすく、本人にどこまで伝わったかを過大評価する「透明性の錯覚」について。Kluger, A. N., & DeNisi, A. (1996). “The effects of feedback interventions on performance: A historical review, a meta-analysis, and a preliminary feedback intervention theory.” Psychological Bulletin, 119(2), 254–284. DOI: 10.1037/0033-2909.119.2.254
──607の効果量を統合したメタ分析。フィードバックは平均的には成果を改善する一方、3分の1以上ではパフォーマンスを低下させていた。Zinko, R., Ferris, G. R., Humphrey, S. E., Meyer, C. J., & Aime, F. (2012). “Personal reputation in organizations: Two-study constructive replication and extension of antecedents and consequences.” Journal of Occupational and Organizational Psychology, 85(1), 156–180. DOI: 10.1111/j.2044-8325.2010.02017.x
──職場における個人の評判と、裁量、権力、キャリア上の成功との関係について。Connelly, B. S., & McAbee, S. T. (2024). “Reputations at Work: Origins and Outcomes of Shared Person Perceptions.” Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 11, 251–278. DOI: 10.1146/annurev-orgpsych-110721-022320
──職場で形成される評判についての研究レビュー。評判と仕事の成果、キャリア成功などとの関係を整理している。McCauley, C. D., Eastman, L. J., & Ohlott, P. J. (1995). “Linking management selection and development through stretch assignments.” Human Resource Management, 34(1), 93–115. DOI: 10.1002/hrm.3930340107
──少し背伸びが必要な仕事=ストレッチ・アサインメントが、仕事を通じた成長機会になることについて。Kellogg, K. C., Valentine, M. A., & Christin, A. (2020). “Algorithms at Work: The New Contested Terrain of Control.” Academy of Management Annals, 14(1), 366–410. DOI: 10.5465/annals.2018.0174
──アルゴリズムが仕事の制約、推奨、記録、評価、報酬、代替といった管理機能を担う「algorithmic management」についてのレビュー。
その他の参考資料
Hammer, M. (1990). “Reengineering Work: Don’t Automate, Obliterate.” Harvard Business Review, 68(4), 104–112.
──既存業務をITで効率化するだけではなく、仕事のプロセスそのものを設計し直すBPRの代表的な論考。Toyota Motor Corporation, 75 Years of Toyota: Toyota Production System / Poka-yoke.
──人に「注意する」ことだけに頼らず、誤りそのものが起きにくい工程を作るポカヨケ(mistake-proofing)の考え方について。
