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無理なフィードバックは、むしろしないほうがいい

以前の私は、「マネージャーなのだから、ちゃんとフィードバックをしなければ」とかなり真面目に考えていました。良かった点は具体的に伝え、改善点も示し、次の仕事につながるようにする。マネジメントの本を読めば、だいたいそう書いてありますし、私もそれが良い上司の仕事なのだと思っていました。
しかし、その考えが変わったのは、ある会議の後でした。

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会議は見ていたが、部下は見ていなかった

あるプロジェクトで、担当しているメンバーが今後の進め方について提案する会議がありました。本人が資料を用意し、現状の課題を整理して、「ここからはこう進めたい」と説明してくれます。
会議中の私は、その提案を評価することより、議論を前へ進めることに必死でした。「この前提は本当に正しいのか」「他の選択肢はないか」「このリスクは誰が持つのか」「今日どこまで決めれば次が動くのか」。他の参加者から意見が出れば整理し、話がそれれば戻し、不足している情報があれば質問する。頭のメモリは、ほぼ議題だけで埋まっていました。
幸い、会議はうまく終わりました。必要なことは決まり、次のアクションも見えた。「よかった、ちゃんと進んだ」と安心した直後、提案したメンバーから聞かれました。
「今日の提案、どうでしたか? フィードバックをもらえますか」
そこで私は急に、「上司モード」に切り替わりました。せっかく聞いてくれたのだから、何か成長につながることを返したい。ただ「良かったよ」では雑すぎる。具体的で、行動に紐づいていて、次に活かせるフィードバックをしなければ。数十分前の会議を頭の中で巻き戻し、「今回良かったところは……」「改善するとしたら……」と、それらしいことをいくつか伝えました。
本人は「ありがとうございます」と言ってくれました。会話としては、きれいに終わっています。
でも後になって、ふと思いました。
私は、何を根拠にあれを言ったのだろう。

「何か言わなきゃ」が、一番危ない

私は会議での発言は聞いていましたし、資料も見ていました。でも、その提案ができるまでの仕事はほとんど見ていません。
最初にどんな仮説を立てたのか。何を調べたのか。どんな案を比較したのか。途中で何を捨てたのか。誰と相談したのか。本人が一番難しいと思っていたのはどこなのか。そこは知りません。
なのに、会議がうまくいったという結果を見て、「論点整理が良かった」「この説明が効いた」と原因まで説明していました。
さらに考えると、少し耳の痛い問いも出てきました。
私は本当に、相手の成長のためだけにフィードバックしていたのでしょうか。
「フィードバックを求められたのに、何も言えない上司にはなりたくない」という気持ちも混ざっていた気がします。「分からない」と答えるより、良かった点と改善点を一つずつ返したほうが、なんとなく上司らしい。ちゃんと育成している感じもします。
でも、良い上司に見えることと、相手が本当に学べることは別です。
ここを私は少し混同していたのだと思います。
そもそも、上司は部下の仕事を全部見ていません。むしろ、全部見ていたら困ります。メールも資料作成も顧客とのやり取りも、横からずっと観察するようになれば、それは育成というよりマイクロマネジメントです。
「具体的なフィードバックをしましょう」という原則は正しい。ただし、その前には「その仕事を十分に観察している」という、かなり大きな条件があるのです。

結果からなら、いくらでも名コーチになれる

そこで、フィードバックや意思決定について調べてみました。
興味深かったのが、結果を知った後、その結果に合うように過去の判断を評価しやすい「結果バイアス」です。提案が通れば「論理的だったから」「準備が良かったから」と言いたくなる。通らなければ「詰めが甘かった」「相手のニーズを捉えられていなかった」と言いたくなる。
でも実際の仕事には、本人にはコントロールできない要因も大量にあります。タイミング、予算、他部署の事情、競合、参加者、その日の優先順位。結果だけを見て「なぜそうなったか」を説明するのは、思っている以上に難しい。
しかも、上司から言われると本人も信じてしまいます。「今回は顧客理解が深かったから成功したんだ」「今回は説明力が弱かったからダメだったんだ」と学習する。
もし、その原因分析が間違っていたらどうなるでしょう。成功理由を間違えれば、次回も意味のない行動を繰り返します。失敗理由を間違えれば、本当は悪くなかった行動をやめてしまうかもしれません。
フィードバック研究でも、「フィードバックは多ければ多いほど良い」とは言えません。KlugerとDeNisiが131研究を統合したメタ分析では、フィードバック介入は平均的にはパフォーマンスを高めましたが、一部では逆に低下させていました。
つまり、大事なのは「何か言うこと」ではなく、その情報が本人の次の判断を良くするかどうかです。
考えてみれば、当たり前です。間違った地図なら、無理に渡さないほうがいい。

フィードバックしない、という選択肢

このあたりから、私の中でフィードバックに対する考え方が変わりました。
フィードバックを求められたら、必ず何か答えを返す必要があるわけではない。本来の目的は「上司がフィードバックをすること」ではなく、本人がその経験から学び、次の仕事でより良い判断ができるようになることだからです。
もちろん、明確に見えていることは伝えます。
「あの質問をした後、議論が具体的になった」
「最初に選択肢を並べてくれたので、判断しやすかった」
こうした観察した事実は、本人からは見えにくいので価値があります。
一方、自分にもよく分からないことまで、無理に原因を作るのはやめました。その代わり、本人に聞きます。
「自分ではどうだったと思う?」
「想定と違ったところはあった?」
「もう一度やるなら、何を同じようにして、何を変える?」
「今回の経験から、次にも使えそうなことは何だろう?」
本人が持っている情報を一緒にテーブルの上へ出し、「本当にそうだったのか」「他の要因はなかったか」と考える。必要なら、私が見えていた事実や別の視点を足す。明確に知識が足りなければ普通に教える。
上司が答えを渡すというより、本人の経験から一緒に学びを取り出す感覚です。
このほうが、少なくとも私には自然でした。

答えがないなら、一緒に考えればいい

今でも、良いフィードバックには大きな価値があると思っています。本人が気づいていない行動と成果のつながりを、実際に観察していた人が返してくれる。それはとても貴重です。
ただ、良いフィードバックには材料が必要です。
よく見ていない。背景も知らない。本人が何を考えていたのかも分からない。それでも「上司だから」という理由だけで、成功や失敗の理由をもっともらしく説明する必要はありません。
あの会議の直後の自分に声をかけられるなら、こう言いたいです。
「ちゃんとフィードバックしなきゃ」と、そんなに焦らなくていい。
見えていることは伝えればいい。分からないことは、分からないと言えばいい。そして答えがないなら、一緒に考えればいい。
フィードバックとは、上司が何か立派なことを言う時間ではありません。
その経験から何を持ち帰るかを、一緒に考える時間なのだと思います。



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