AIは仕事を速くする。でも、成長まで速くしてくれるわけではない
最近、仕事が速くなりました。昨日まで1時間かかっていた調査が、数分で終わる。文章の下書きもできる。コードのエラーも直してくれる。知らないことがあれば、その場でかなり丁寧に説明してくれる。すごい。人類はついに「面倒くさい」を少しずつ退治し始めたのかもしれません。
一方で、少し不安になる瞬間もあります。以前なら、難しい仕事を終えた後に「自分は成長した」と感じていました。知らないことを調べた。試行錯誤した。何度も失敗した。そして、ようやく理解した。その過程そのものが、自分の能力になっていたからです。
でも今は違う。資料は完成する。文章もできる。コードも動く。仕事は確実に速くなっている。ただ、PCを閉じたあとに「では、今のテーマについて自分の言葉で説明してください」と言われると、意外と何も出てこないことがある。あれ? 仕事が速くなったことと、自分が成長したことは、同じではないのではないか。そんなことを考えるようになりました。
AI込みで優秀でも、本人が優秀とは限らない
この疑問に近い研究があります。高校生に数学の問題を解かせた実験では、生成AIを使った学生は、当然ながらAIなしの学生より問題をよく解けました。まあ、これは想像通りです。横にいつでも質問できる家庭教師がいるようなものですから。
しかし、その後AIを取り上げて試験をすると、「普通の生成AI」を使っていた学生は、最初からAIを使わなかった学生より成績が悪くなりました。AIがいると優秀。AIが帰ると困る。
一方で、「答えをそのまま教えるのではなく、ヒントを与える」よう設計されたAIを使った学生には、この悪影響がほとんどありませんでした。ここがおもしろいところです。
AIを使って問題を解けたことと、自分が問題を解けるようになったことは、別の話なのです。
問題は、AIを使ったことではありません。測っていたものが違っていたことです。AI込みの環境で高い成果を出せる能力と、AIがなくても自分で問題を解ける能力は別なのです。
これは学習だけの話ではありません。生成AIが仕事の中に入り込むほど、「仕事ができる」と「能力がある」は、これまで以上に分かれていくのではないでしょうか。文章が書ける。コードが動く。分析ができる。資料が作れる。
でも、それが本人の能力なのか、それともAIを含めた仕組みとしての能力なのかは、外から見ただけでは分かりません。そして、おそらく本人にも分かりにくい。なぜなら、ちゃんと成果は出ているからです。
AIには2つの使い方がある
だからといって、「AIに考えさせてはいけない」と私は思いません。むしろ、どんどん考えてもらえばいいと思っています。調査してもらう。仮説を出してもらう。文章を書いてもらう。計算してもらう。コードも書いてもらう。全部自分でやらないと成長できない、という話になってしまうと、そのうちExcel禁止、そろばん研修復活、みたいな方向に行きそうです。
問題は、AIに仕事を任せることではありません。AIを使ったあと、自分の理解が更新されているかどうか。 ここが大事なのだと思います。
AIの使い方には、大きく二つあります。一つは、「成果を出すためにAIを使う」使い方です。
「これ調べて」
「要約して」
「文章にして」
「答えを出して」
そして、そのまま終わる。
この使い方では、AIが成果物を作ってくれます。もちろん、それ自体は悪いことではありません。単純な作業や整理をAIに任せることで、人間はもっと重要な仕事に時間を使えます。ただし、そこで自分の中に何が残ったのかは確認する必要があります。
もう一つは、「理解するためにAIを使う」使い方です。AIの答えに対して、
「なぜそうなるの?」
「その前提は何?」
「もっと簡単に説明して」
「具体例は?」
「逆に成立しないケースは?」
「私はこう理解したけど、どこが間違っている?」
と問い続ける。
同じAIを使っていても、やっていることはかなり違います。前者では、AIがアウトプットを作っている。後者では、AIとの対話を通じて、自分の頭の中を書き換えている。
AIが革命的なのは、情報ではなく理解までの距離を縮めるから
インターネットが登場して、情報を手に入れるコストは大きく下がりました。昔なら図書館へ行かなければ読めなかった資料が、自宅で読めるようになった。世界中の論文にもアクセスできるようになった。インターネットが変えたのは、「情報へたどり着くまでの時間」です。
生成AIは、そこからさらに別のコストを下げています。理解するまでの往復時間です。
分からない。聞く。説明される。それでも分からない。別の言い方を頼む。例を出してもらう。自分で説明してみる。間違いを指摘してもらう。
以前なら、本を何冊も読んだり、詳しい人を探したりしながら何日もかけていたこの往復を、今は数分で回せます。しかもAIは、同じことを5回聞いても嫌な顔をしません。「さっきも説明しましたよね」と言われない。これは地味ですが、かなり大きな変化だと思います。
人間の学習速度を制限していたものは、知識そのものだけではありませんでした。「分からない状態から、分かる状態へ移るまでの時間」も大きな制約でした。生成AIは、そこを大きく短縮した。だから、AIが学習を猛烈に加速するとしたら、私はここが一番大きいのではないかと思っています。
AIは「分かった気になる速度」も史上最速にした
ただ、AIには少し怖いところもあります。説明がうますぎることです。読んでいると、「なるほど、完全に理解した」という気持ちになる。AIを閉じる。翌日、誰かに説明しようとする。何も出てこない。完全に理解したと思ったのに、完全に消えている。そんな経験をした人もいるのではないでしょうか。
AIは、学習速度だけでなく「分かった気になる速度」も史上最速にした。
これは大きな変化です。以前なら、分からないものは分からないままでした。難しい本を読んでも理解できない。人に聞いても説明が足りない。だから、自分で考える時間が残った。
しかし今は、非常に自然な説明がすぐに返ってくる。理解していなくても、理解したような感覚になれる。
だから、AI時代には「成果」と「能力」を分けて考える必要があります。資料ができた。コードが動いた。文章が完成した。それは成果物が増えたということです。
一方で、昨日まで説明できなかったことを説明できるようになった。新しい判断基準ができた。別の問題にも応用できるようになった。こちらは、自分の中に何かが増えたということです。似ているようで、かなり違います。
AIに思考は外注していい。理解は外注しない
AIを使うとき、「こんなに任せていたら、自分の頭が悪くなるのでは」と心配する人もいます。でも、私はそこまで心配しなくてもいいと思っています。思考の作業は、かなり外注していい。むしろAIには、自分より速く調べてもらい、自分より多くの案を出してもらい、自分では思いつかなかった視点まで持ってきてもらえばいい。人間がAIと同じ作業をする必要はありません。それでは、AIを使う意味がないからです。
ただし、その答えを理解しないまま仕事を終わらせない。分からなければ聞く。分かったと思ったら、自分で説明してみる。別の例に置き換えてみる。反対意見を考えてみる。そして、本当に分かっているか確かめる。
AIは、人間が猛烈な速度で学ぶことを可能にしました。同時に、人間がほとんど学ばないまま、猛烈な速度で成果だけを出すことも可能にしました。たぶん、この二つは同じ技術の表と裏なのだと思います。
だからAIを使うたびに見るべきなのは、アウトプットの量ではありません。
AIを閉じたあと、自分の頭の中に何が残っているか。
仕事が速くなったかどうかより、私はそちらの方がずっと大切だと思います。
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