見出し画像

AIが何でもやってくれる時代に、子どもは何を覚えるのか

子どもの宿題を横から見ていると、ときどき妙な気分になります。

漢字を書いている。計算している。知らない言葉を覚えている。私たちも子どもの頃、だいたい同じことをやっていました。違うのは、その机のすぐ近くにAIがいることです。聞けば教えてくれるし、文章も書く。計算もする。最近では調べて考えて、かなりのところまで代わりにやってくれる。

そうなると、「ちゃんと覚えなさい」という親の言葉は、ずいぶん旗色が悪い。

AIが何でもやってくれる時代に、子どもは何を覚える必要があるのだろう。

「勉強しないと困るよ」が、だんだん苦しくなってきた

昔なら、答えは簡単でした。知らなければできないから、覚える。

漢字を知らなければ読めない。公式を知らなければ解けない。英単語を知らなければ意味が分からない。知識は、何かをするために頭の中へ入れておく必要がありました。

でも今は、知らなくてもかなりできます。

しかも面白いことに、仕事の研究では生成AIによって大きく生産性が上がったのは、熟練者より経験の浅い人だったという結果もあります。ベテランが何年もかけて身につけたコツを、AIが新人の隣でささやいてくれる。

これを見ていると、ますます困る。

「勉強して知識をつけないと仕事ができないぞ」と子どもに言った瞬間、AIが横から「その仕事、私でもできます」と割り込んできそうです。

では、本当に覚えなくてよくなるのか。

「できた」と「できるようになった」は、かなり違う

ここでもう一つ、面白い研究があります。

高校数学でAIを使った実験では、生徒はAIを使っている間、とてもよく問題を解けました。ところがAIを外して試験をすると、”教育用途に設計されていないAI”を使っていた生徒は、AIを使わなかった生徒より成績が低くなった。

一方で、”答えをすぐ教えず、ヒントを出して本人に考えさせるよう設計したAI”では、この悪影響はかなり小さくなりました。

なるほど、と思った。

AIを使って「できた」ことと、本人が「できるようになった」ことは別なのです。

だからといって、「子どもにはAIを使わせない」という話でもない。それでは電卓を隠して暗算大会を続けるようなものです。

考えたいのは別のことです。

AIに渡してよいものが増えるほど、何を本人の中に残しておくのか。

知識は、答えより先に「気づき」をつくる

以前、「勉強すると世界は違って見える」ということを書きました。

植物を知らなければ、公園にあるものはだいたい「木」です。でも少し知ると、桜とケヤキとイチョウが分かれる。さらに知れば、葉の形や季節による変化まで気になってくる。

世界は変わっていません。変わったのは、自分が見つけられる違いの数です。

歴史を知れば、ニュースを見て「前にも似たことがなかったか」と思う。経済を知れば、値上げを見て「高くなった」で終わらない。言葉を知れば、自分の中にあった曖昧な感情にも名前をつけられる。

ここで、知識の役割を少し考え直した方がよさそうです。

知識は、答えを頭の中に保存しておくためだけのものではない。世界の中にある違いに気づくためのものでもある。

そして、違いに気づくと、「なんで?」が生まれる。

何も知らないことには、意外と疑問すら持てません。

AI時代には、「面白がれる人」がますます強くなる

これは仕事でも同じ。

仕事を面白くする人は、最初から仕事が大好きなわけではありません。少し知っているから、「これ、もっとこうできないかな」と気づく。気づくから、一歩余計に試す。その結果を見て、また考える。

産業革命では機械が仕事を変えました。IT化ではコンピュータが仕事を変えた。そして今はAIです。

そのたびに、人間が直接やる作業は減ってきました。

でも、新しい道具を見て、
「これを使ったら、今までできなかったことができるのでは?」
と考える人は、ずっと残っています。

Excelが入ったときに、表を作るだけで終わる人もいれば、「この集計、毎月自動でできるのでは」と考える人がいた。AIでも同じでしょう。

AIに文章を書かせて終わる人もいる。一方で、「そもそもこの資料、作る必要があるのか」と考え始める人もいる。

AIにできないことを探す人より、AIに何をさせたら面白いかに気づく人の方が、たぶん強い。

だから、子どもにはたくさん知ってほしい

最初の問いに戻ります。

AIが何でもやってくれる時代に、子どもは何を覚えるのか。

私は、歴史も、科学も、数学も、言葉も、文化も、社会の仕組みも、できる範囲でたくさん知っていてほしいと思う。

AIより速く答えるためではありません。

AIにできない仕事をするためでもない。

世界を見たときに、「あれ?」と思える場所を増やすためです。

知る。
すると、違いが見える。
違いが見えると、気になる。
気になるから、AIにも聞く。試してみる。さらに知る。

たぶん、この循環はAIがない時代より速く回せる。

そう考えると、子どもに「今日は何を覚えた?」と聞くだけでは、少しもったいない。

「今日、何が気になった?」

と聞いてみてもいいのかもしれません。

AI時代にも知識は必要です。ただ、その目的が少し変わる。

知識は、答えを出すためだけではなく、まだ誰も聞いていない問いに気づくために持つものなのだと思う。


あわせて読みたい

子どもたちへ。勉強すると、世界は違って見える

勉強する意味は、正解できることだけではありません。アサガオを例に、知識が増えることで同じ世界から見つけられるものが増えていくことを書いています。今回の記事の直接の前編です。

知識を増やす前に、「気になること」を一つ増やす。

少し興味を持つだけで、それまで通り過ぎていた情報が急に目に入るようになる。知識、関心、好奇心がつながり、日常そのものが学習材料になっていく仕組みを考えています。

仕事を面白くする人が伸びる —— 「性格」を変えずに「小さな行動」から始める成長の法則

仕事を面白がる人は、一歩余計に調べ、試し、その経験から学びます。「知る→気づく→試す→さらに学ぶ」という今回の記事の先に、大人になってからの成長がどうつながるのかを書いています。

AI時代の読書とは思考訓練である

答えを知るだけならAIで十分な場面が増えました。それでも本を読む意味はどこにあるのか。知識だけでなく、自分がまだ持っていない問いや世界の見方を手に入れるという読書の価値を考えています。

AIで思考を外注しても良い。ただし理解は外注しない。

AIに調査、比較、文章化を任せても、自分がその内容を理解できていればよい。AIに任せてよいものと、人間の中に残しておくべきものの境界を考えた記事です。


いいなと思ったら応援しよう!