「理解できない」とSlackに書く前に、たぶん読むものがある
Slackを眺めていると、ときどきこんな投稿があります。「この方針、正直よく分からない」「もう少し説明してほしい」「何を考えてこうなったんだろう」。上司へのメンションはない。質問でもない。ただ、オープンなチャンネルにぽつりと置かれている。すると誰かがリアクションをつけ、「私も分からないです」と返す。会社員なら、たぶん一度くらい見たことがある光景です。そして自戒を込めて言えば、私は昔、自分でもやっていました。
そのときは、問題提起をしているつもりだった。組織を良くするための健全な批判、とまでは言わないものの、少なくとも誰かを攻撃しているつもりはありませんでした。でも今振り返ると、だからこそ少し怖いのだと思う。本人に悪意がなくても、コミュニケーションの構造としては、相手を一方的に評価する形になってしまうことがあります。
「私は分からない」が、いつの間にか「あの人が悪い」になる
もちろん、上司の方針が分からないことはあります。説明が足りないこともあるし、実際におかしな意思決定もある。上司だから正しい、という話ではありません。ただ、「私は理解できていない」と「相手の説明が悪い」は別の話です。
ところが本人に聞かず、周囲へ「理解できない」と書くと、この二つが簡単に混ざります。
私は分からない → 説明が足りない → この意思決定はおかしい → この人はちゃんと考えていない。
気づけば、自分の理解状態について話していたはずなのに、相手への評価になっている。しかも本人はいない。本人がいない場所で、いつの間にか一方的な裁判を開いているようなものです。
もちろん、書いた本人はそんな大げさなことをしているつもりはない。でも、周囲に評価だけが共有され、本人には質問が届かない。この非対称さが問題なのだと思う。
仲間が増えるほど、情報は増えない
さらに厄介なのは、こうしたぼやきには小さな報酬があることです。「あの方針、分からないよね」「分かります。私もそう思っていました」。こうなると少し安心する。自分だけではなかった。自分の見方はおかしくなかった、と感じます。
でも、ここで増えたのは情報ではありません。同意してくれる人が増えただけです。
ぼやく → 同意が集まる → 上司への評価が固まる → 本人への確認が減る → 上司が持つ背景情報に触れなくなる → 自分の解釈とのズレが広がる → さらに理解できなくなる。
この循環が厄介です。本人に確認しないほど、方針の背景にある一次情報へ触れる機会が減る。その一方で、周囲との会話によって自分たちの解釈だけは強化されていく。すると、情報の差だけでなく認識の差まで広がっていきます。
上司との距離は広がる一方で、同僚との仲間意識は強くなる。だから、本人に聞くより仲間内で話したほうが気持ちいい。組織が分断するとき、必ずしも大喧嘩が起きるわけではありません。「あれ、意味分からないよね」という小さな会話が、毎週少しずつ積み上がっていくこともあるのだと思う。
「説明してください」の前に、こちらが文脈を読んでいるか
ここで以前の私は、「だったら上司がもっと説明すればいい」と考えていました。でも、これも少し怪しい。
組織の方針は、ある日突然、一枚のスライドから生まれるわけではありません。その前に経営目標があり、事業の状況があり、過去の意思決定があり、関連部署との調整がある。長いコンテキストの末尾だけが、自分のところに届くことがあります。
タイトルに書いた「読むもの」とは、必ずしもどこかに存在する一枚の説明資料ではありません。普段から流れている経営の発信、事業計画、他部署の目標、過去の議論など、組織が積み上げてきた文脈そのものです。
にもかかわらず、普段の経営発信をほとんど読んでいない。自分のチームの目標しか見ていない。隣の部署が何に困っているのかも知らない。そして、自分に不都合な方針が出た瞬間だけ、「説明が足りません」と言う。これは少し都合がいい。
説明を求める前に、自分にできることは意外とあります。
普段の組織の発信を読む。
関連資料や過去の意思決定を探す。
自分の目標だけでなく、経営目標や関連部署の目標も見る。
今回の判断を、これまでの方針とつなげて考える。
それでも分からなければ、そこで初めて本人に聞けばいい。「Aを優先した判断だと理解していますが、この認識で合っていますか」。ここまでくれば、ずいぶん会話が変わります。
理解することと、賛成することは違う
もちろん、調べた結果として反対することもあります。それはまったく問題ない。理解したから賛成しなければならないわけではありません。むしろ、コンテキストを踏まえたうえで、「その目的なら、私は別の方法がいいと思います」と本人に言えるほうが健全です。
大事なのは、文脈を踏まえて反対することと、一部分だけを見て周囲にぼやくことを同じにしないことだと思う。前者は議論です。後者は、本人にそのつもりがなくても、周囲に相手への否定的な評価だけを残すことがあります。
上司も、役職のついただけの人間である
会社では、上司から部下への攻撃には比較的敏感です。権限を持つ側なので、それは当然だと思います。一方、逆方向の小さな攻撃は見落とされやすい。「上司なんだから、それくらい受け止めればいい」「説明するのも仕事でしょう」。そう言われると、それっぽい。
でも上司も、役職という鎧を着て24時間歩いているわけではありません。ただの人間です。リスペクトするとは、何でも従うことではない。反論しないことでもない。まず理解しようとする。分からなければ本人に聞く。反対なら本人に伝える。それくらいのことなのだと思う。
だから、本人には言わず、周囲にだけ何かを書きたくなったとき、私は一度この問いを挟みたい。
私は問題を解決したいのか。それとも、理解する努力を飛ばして、この人への評価(非難)を周囲と共有したいだけなのか。
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