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なぜ仕事ができる人は、成功・失敗を決めないのか

プロジェクトが予定どおり終わると、「今回は成功でしたね」と言われます。目標を達成しても成功、商談を受注しても成功。反対に、納期に遅れたら失敗、目標未達なら失敗、失注しても失敗です。
本当にそれであれば、ずいぶん分かりやすい話です。結果を見て、成功と失敗の箱に仕分ければいい。

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成功と失敗は、物差しを動かすと入れ替わる

でも、期日に間に合わせるために、予定していた機能を大幅に削っていたらどうでしょう。目標を達成できたのも、最初から低めに設定していたからかもしれません。商談だって、提案する前から先方の社内では発注がほぼ決まっていた可能性があります。

反対に、前年を大きく上回る高い目標を置き、いろいろな工夫を重ねたものの、最後は目標の95%で終わったとします。目標を90に置けば成功、100に置けば失敗です。本人の成果は一ミリも変わっていないのに、目標線を少し動かしただけで評価が反転します。

時間軸を変えても同じです。初年度は赤字だったプロダクトが、数年後に会社の主力事業になることがあります。華々しく立ち上がった事業が、その後の市場変化についていけず撤退することもある。最初の赤字は失敗で、最初の売上は成功だったのでしょうか。

どうやら成功と失敗は、出来事そのものではなさそうです。何を目標にするか、いつ評価するか、誰の立場から見るかによって、後から貼られるラベルです。

期日内に終わった、目標の95%だった、受注した、障害が起きた。ここまでは観察できる事実です。ところが「成功」「失敗」と名づけた途端、出来事が急に人物評や人生訓へと膨らみます。「今回は失敗だった。だから、あの判断が悪かった」。少し話が飛びすぎています。

複雑な仕事を成功か失敗かという二元論にすれば、報告資料はすっきりします。でも、削られた情報のなかに、次に使える学びもかなり含まれています。

いちばん危ないのは、うまくいった悪い判断

丁寧に顧客の課題を聞き、競合を調べ、相手に合った提案をしても、先方の予算が凍結されれば失注します。反対に、提案の詰めが甘くても、競合が辞退すれば受注できるかもしれません。

それでも、受注した提案は高く評価され、失注した提案には改善点がたくさん見つかります。受注した提案書はどこか輝いて見えますし、失注した提案書には、なぜか最初から敗因が書いてあったように見えてきます。

似たことは研究でも確かめられています。BaronとHersheyが1988年に行った五つの実験では、不確実な状況で行われた意思決定について、参加者に意思決定者と同じ情報を与え、その判断を評価してもらいました。それでも、その後に良い結果が出たと知らされた人ほど、意思決定の質や意思決定者の能力を高く評価しました。結果を知った後では、その情報を脇に置いて過去の判断を見るのが難しいようです。これは「アウトカム・バイアス」と呼ばれています(Baron & Hershey, 1988)。

結果を無視したいわけではありません。会社にとって受注と失注は同じではないし、障害が起きたかどうかも大事です。ただ、結果には、市場環境、競合の動き、タイミング、社内事情、そして運が混ざっています。結果だけを見ても、判断の質がどの程度よかったのかは分かりません。
もっと厄介なのは、危うい判断だったのに、運よく良い結果が出たときです。

例えば、リリース直前に重大な不具合が見つかり、たまたま詳しいエンジニアが残業して修正した結果、予定日に間に合ったとします。結果だけなら成功です。でも、事前のテストは足りなかった。詳しい人がその場にいなければ、障害になっていたかもしれません。

この出来事を成功として処理すると、「多少準備が足りなくても、最後は誰かが何とかしてくれる」という方法まで強化されかねません。あまり持ち帰りたくない成功体験です。

DillonとTinsleyの研究では、学生に加えてNASAの職員や契約スタッフも参加し、成功、失敗、偶然に助かったニアミスという三つの結果を生んだマネージャーを評価しました。すると、ニアミスを起こしたマネージャーは、失敗した人よりも成功した人に近い評価を受けました。さらに、ニアミスの情報を得た人はリスクを低く感じ、その後、より危険な選択をする傾向も示されています(Dillon & Tinsley, 2008)。

一番怖いのは、失敗した悪い判断ではなく、結果がうまくいってしまったときの悪い判断なのかもしれません。

明らかに失敗すれば、少なくとも誰かが調べます。幸運に助けられた成功は、表彰されたあと、そのまま次のプロジェクトへ持ち込まれます。

一件の成功から、会社の神話ができる

仕事、とりわけ大型プロジェクトや新規事業では、ほとんど同じ条件を何度も再現できません。メンバーが変わり、市場が変わり、競合も時期も変わります。

それなのに、一度受注すると「あの提案方法が正しかった」と考え、一度売れないと「この市場には需要がない」と結論づけてしまいます。サンプルは一件なのに、結論はずいぶん大きい。

March、Sproull、Tamuzは1991年の組織学習に関する論文で、組織が戦争や事故のような頻度の低い出来事を、わずかな歴史の断片からどう解釈するのかを論じました。論文のタイトルは「一つ以下のサンプルから学ぶ」です。歴史は、因果関係を特定できるほど豊富な経験を、いつも都合よく渡してくれるわけではありません(March, Sproull & Tamuz, 1991)。

大型案件を一件受注しても、その方法に再現性があるかは分かりません。競合がもう少し安かったら、先方の担当役員が別の人だったら、提案が一カ月遅かったら。それでも同じ結果になったでしょうか。

実際に起きた結果だけを見ていると、運よく避けられた別の結果が消えてしまいます。成功した一本の歴史だけが残り、後からきれいな理由がつき、それが社内の勝ちパターンになる。成功談は、だいたい後から読むと筋が通っています。

一度の結果から早く教訓を取り出すより、条件の異なる経験を重ねながら、最初の仮説を少しずつ修正していく。そのほうが、経験から学ぶという言葉の実態に近い気がします。

振り返りに、判決はいらない

成功・失敗という分け方をやめても、結果への責任はなくなりません。納期遅延や障害は事実として扱い、規程違反や情報隠蔽は職務上の責任として問う。そのうえで学習するときは、判断、プロセス、外部環境、運を分けて考える。何でも「失敗」の箱へ入れないほうが、むしろ何に対する責任なのかは明確になります。

振り返りで知りたいのは、誰が成功者で誰が失敗者だったかではありません。何が起きると予想し、実際には何が起きたのか。結果のうち、自分たちの判断や行動で説明できる部分と、環境や運だった部分はどこか。次は何を変えて確かめるのか。ここまで考えると、一つの出来事が次に使える判断基準へ変わっていきます。

ここでいう経験学習については、経験を学習に変える方法を扱ったこちらの記事で詳しく書いています。この記事で考えたいのは、その前段にある「成功した経験から学ぶのか、失敗した経験から学ぶのか」という分け方そのものです。

成功した経験だけを残す必要も、失敗した経験だけを特別扱いする必要もありません。どちらにも判断と環境と運が混ざっています。成功か失敗かを決めるより、その混ざり合ったものをほどいて、次の判断を少し変える。それで十分なのではないでしょうか。

受注の次にも、仕事は続く

成功・失敗という言葉には、物語を終わらせる力があります。「成功したから、この方法でよい」「失敗したから、この方法はダメだった」と、気持ちよく結論を出せるからです。

でも、受注しても次の商談があり、目標を達成しても次の期が始まります。失注したからといって、そこで仕事人生が終わるわけでもありません。
受注は受注で、失注は失注です。その周りには、判断やプロセスや外部環境や運があり、次に確かめられる仮説が残っています。

成功したか失敗したかを早く決めるより、まだ途中だと考えてみる。そのほうが、仕事というものを少し長い目で見ることができます。


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