見出し画像

理解力の活躍結果が、知覚判断の中から、客観的な妥当性をもった経験判断が抽出される… 理解力の意義について書いている個所は、ぼくたちのディスカッションからも必然って言える、そうではないですか?… 客観的妥当性を持ったものが何なのか、しぜんにわたしたちの中に忍び込んでくる… 連載 超訳プロレゴメナ 313 読書会編 209

312

第32回読書会(つづき)
 
前島幸太郎:
 ぼくたちは生きているってことだけでも、周りの状態やその変化を体験、いや… 今は味わっているって言ったほうがいいかもしれませんね… その味わいってのが、すべて経験になるわけでないのは、いうまでもないでしょう…
 
山際このみ:
 幸太郎が、体験って言いかけて、味わいって言いなおしたけど、それは体験って言葉に潜む紛らわしさを懸念したからなんだよね…
 
須田隆雄:
 体験って、経験っていうよりも、たんに味わっているのにすぎないのに、普遍的な妥当性を持っているように考えている人もいますからね…
 
栗林雄太:
 観ただけでは、それが今後も役立つものになるのか、それは判らないってことなんですね。だからその段階のぼくたちの判断を、カントは知覚判断と命名したわけでしょうね。
 
桐川夢見:
 それに、知覚判断の時点では、対象のオブジェクトが一つであっても、だれもが同じように感じているわけでもないってことなんですね。
 
山際このみ:
 そこにこそ、さっき夢見ちゃんが言ったように、理解力が活躍する場が与えられるってことなんだろうね…
 
池田幸男:
 その理解力の活躍結果が、知覚判断の中から、客観的な妥当性をもった経験判断が抽出されるって、言うのがカントの考えにあるわけですね…
 
曽根康夫:
 ぼくは考えでなく確信だったと捉えています。理解力の意義について書いている個所は、ぼくたちのディスカッションからも必然って言える、そうではないですか? こんなふうに書いていますからね!

これが感覚のすべての対象に当てはまることになり、経験判断は、その客観的妥当性を対象の直接の認識(それは不可能である)からではなく、ただ経験的判断での普遍的妥当性の制約の中から受け取ることになる。すでに述べたように、それは決してそれは経験的、つまり感覚的な制約に基づくのではない。理解力という純粋な概念に基づいている。

第310回 本編51

桐川夢見:
 ここを前提にして、知覚判断と経験判断の相違が、語れていくってことなんですね… 結論ばかりを追わなくたって、カントが言っている言葉を、一つひとつ吟味していけば、客観的妥当性を持ったものが何なのか、しぜんにわたしたちの中に忍び込んでくるような気さえしています…
 
山際このみ:
 忍び込んでくる… そうなのか! いいじゃないの、わたしたちの五感に客観的妥当性が語りかけているみたいで…

314

いいなと思ったら応援しよう!