第5節の入り口で、ここまでで明らかになった命題が確実なものになった、そう書きながらも究明の途は終わらない… それは、ここまでに明かされたことが、これから先の前提に過ぎない、そういうことしょう… 連載 超訳プロレゴメナ 179 読書会編124
超訳プロレゴメナ読書会 第十四回から
曽根康夫:
第5節の入り口で、ここまでで明らかになった命題が確実なものになった、そう書きながらも究明の途は終わらない、そんなふうに取れるところがありますね。
なぜならこの命題は、すでに疑う余地がない確実性をもっているからだ。ぼくたちがこれから取るべき方法は、分析的であるのは疑いない。すなわち総合的で純粋に合理的な認識が目前に実際に存在するという事実から始めるわけだ。
しかしそれを進めるなかで、ある問いが生まれてくるのをぼくたちは気づくはずだ。
この可能性の理由、その使用条件、その範囲、その限界はどうすれば決定できるのか。そしてそれらの認識がどうすれば可能なのかを問わなければならない。
牧野照邦:
それは、ここまでに明かされたことが、これから先の前提に過ぎない、そういうことしょう。その意味では、池田君が言ったように、第5節までは、前書きだといえますね。そして、この第5節は、プロレゴメナの本文に入るための最後の前書きであり、これからの究明のための心がまえを説いたものだと、言っていいでしょう。
山際このみ:
それに続いてこんなふうに書くんだから、けっこう思わせぶりって思えるんだけど!
ア・プリオリに基づいた総合的命題は可能なのか?
でも、カントの文章に慣れてくると、これは必ず肯定されるって、今からでも思えるのが不思議じゃない?
栗林雄太:
その後すぐに、こんなふうに書かれてます。
でも、カントの文章に慣れてくると、これは必ず肯定されるって、今からでも思えるのが不思議じゃない?
栗林雄太:
その後すぐに、こんなふうに書かれてます。
ここを読んでいる君たちには、下記を心に留めておいてもらうことを望んでいる。
いままでに表わしたことを土台にして、純粋な理性の認識を考える際には、分析的な認識を対象にするのでなく、総合的な認識を対象にしなければならない。
山際さんが指摘した箇所からカントがこう書くだろうって、想像できますかからね。
前島幸太郎:
けれどもこれから先は、かなり苦難が続くこと予測されます。カントはこうも書いていますから…
形而上学は、この問いに答えることができなければ壊滅するだけだ。この問いには形而上学の存亡がかかっている。
だれかが形而上学を対象にもっともらしいことを語って、ぼくたち圧倒させたとする。だがそれがこの問いに答えることができてないならば、そのすべて空論であり根拠のない哲学であり、誤った考え方だとぼくは言う。それこそが正当される考え方だと確信する。
桐川夢見:
でもわたしたちはその苦難を、歓びに変えていくことが、できるんじゃないかしら?
須田隆雄:
そうだね! 解らないことを解いていくのが、人間の本能なんだから…
山際このみ:
でも、常識に頼っちゃ、ダメなんだからね!
前島幸太郎:
それがホラチウスにつながるわけですね。
" Quodcunque ostendis mihi sic, incredulus odi."
君がぼくに示すすべてを、ぼくは信じない、そしてこれを嫌う。
桐川夢見:
カントって裏づけがない常識が、ほんんとうに大嫌いだったんですね!
