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結論だけを追っている姿勢では、経験判断を考慮しなければならなくなった原因さえ判らないって思います。ぼくたちの経験が、ぼくたちの感性を基本とした知覚判断から始まることを、明確に捉えておくことが、経験判断に到達することも納得できるはず… カントの結論は安易に出てくるものではありませんから…  連載 超訳プロレゴメナ 307 読書会編 206

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第31回読書会(つづき)
 
牧野照邦:
 結論だけを追っている姿勢では、経験判断を考慮しなければならなくなった原因さえ判らないって思います。ぼくたちの経験が、ぼくたちの感性を基本とした知覚判断から始まることを、明確に捉えておくことが、経験判断に到達することも納得できるはずなのです。

山際このみ:
 それって18節や次の19節を読んでいくことで解ることなのかしら?
 
牧野照邦:
 いいえ、それ無理でしょうね! カントの結論は安易に出てくるものではありませんから… いろんな可能性を並べて、分析を施してから、さらにアンチノミーやアンチテーゼまでも検討する必要がおこってきますから…
 
桐川夢見:
 でも、わたしたちが、いま考えていること、それがいつかはアンチノミーやアンチテーゼで取り上げれることになるんでしょう。
 
須田隆雄:
 すいぶん先のことになりそうですね。だけど、いつかそこに到達するって希望が持てるなら、ここで議論することにも熱が入るって思えますね。
 
前島幸太郎:
 いつかは、この18節も、超訳としては構成を変えていかなければならないって考えています。それは、下記の手前で、指針を示すことではないでしょうか?

 だからある判断が、経験判断と言えるのは、だれが観てもそこに普遍的に妥当と言えるものがあることが必要なのだ。なぜなら、経験の判断の客観的妥当性は、その容認に必要な普遍性以外に得るのものは他にないからである。
 ここで判断そのものに言えること(求めること)は、主観と知覚の関係ばかりでなく、対象そのものの生態を表現することもって判断が実質的になることだとだろう。

第303回 本編 50

 これに対する指針とは、次のようなものです。

 経験的判断を、知覚判断から辿って多くの事象の検討の結果として、下記の判断に到達することになる。

前島幸太郎の指針試案

山際このみ:
 超訳の次回の版は、幸太郎が書くことになんるんじゃないの?…
 
 Zoomの中で笑い声が、共鳴していた。

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