それまでは、完成された世界の中の対象を、人間が実体として把握しているとだけ考えられていた。でもそれじゃあ、辻褄が合わないことが多すぎた。ライプニッツも世界の根源として世界の創造者を考えだして、有名な誤謬を創り出してしまった… 連載 超訳プロレゴメナ 230 読書会編 157
第21回目の読書会 まとめ
プロレゴメナ前半の高峰を、いよいよ迎えた、そんな感じの読書会だった。人間がものを観察する視点こそが、世界をかたち創っている。大半が、それを考え始め出したのではないだろうか。
人間はどんなものを観察しても、対象の実体を完全には把握できない。いいえ、まったく把握できないって言うのが正解かもしれない。でも、対象が与えているものから、いろんなことは想像できる。それを、人間にとっての対象の真の姿と観てしまっても構わない。
その積み重ねが、今の世界を創っているのだから…
でも、それを言葉にしたのは、カントが最初だった。
それまでは、完成された世界の中の対象を、人間が実体として把握しているとだけ考えられていた。でもそれじゃあ、辻褄が合わないことが多すぎた。ライプニッツも世界の根源として世界の創造者を考えだして、有名な誤謬を創り出してしまった。
ライプニッツは解析学では、重要な業績を残しているけど世界を観る眼には人間が欠けていたんじゃないのかな。世界を観るは人間の視点が欠かせないって、わたしは強く思う。それは、去年の九月からのことになる。
あのときゼミでは、人間がいなくても世界があるかってディスカッションしんだ。そして結論は、人間がいなければ世界もないってことになったんだね…
いま、ようやく解ったけど、あの時が、わたしにとっての、コペルニクス的転回の始まりだったんだ!
だから、この話も含めて、『純粋理性批判』第二版序文の話を読書会の中でも、いつかしたいと思っている。
ただでさえ、進行速度が遅い読書会だから、それで、もっと遅くなるかもしれない。でもいいよね!
早く先に進むことなんか、まったく考えてない読書会なんだから…
(山際このみ 記)
付記:
このまとめを全員に配布した後で、全員に問いかけて、次回の読書会の主題を、「『純粋理性批判』第二版序文」とすることを了承していただきました。
(前島幸太郎 記)
