もともとここにあった可能性はあるけれど、第4節に移動したのもカントだったのでないか… たしかに、この部分だけが製本の過程で移動したとは考えにくい。さらに、カントが製本をチェックしなかったことも考えにくい… 連載 超訳プロレゴメナ 156 読書会編111
超訳プロレゴメナ読書会 第十一回から
第11回目の読書会が、2018年2年8月18日(土)に、文京区の公民会で開催されました。
今回、荒川先生は参加されませんでした。また牧野さんの仕事の関係で欠席となりました。
今回、対象となっている箇所は、第2節の後半ですが、この箇所は、ドイツのアカデミック版や、哲学文庫では第4節に後半に収めれている箇所なのです。ところが一般の流布本では、今回扱うように第2節の後半に所収されています。そのために、一般には移動したことを、注記はしていますが、それ以上のことには触れてはいません。
荒川先生も、これまでそれを深く考えることもなかったそうですが、英文版の『プロレゴメナ』が哲学文庫に従っていることから、いろんなことを考えたようです。
そして先生が考えた結論は、下記のようになったとのことでした。
もともとここにあった可能性はあるけれど、第4節に移動したのもカントだったのでないかと。たしかに、この部分だけが製本の過程で移動したとは考えにくい。さらに、カントが製本をチェックしなかったことも考えにくい。
カントは読者を考慮したのではないか。この箇所は、重要な内容も含んでいるが、形而上学での総合を考え始めた読者には戸惑いを生む可能性をもった箇所でもある。
この考えの下で、読み合わせをして、その後にディスカションに入ることにしましょう。
この後、既載の「第154回 本編22」の読み合わせを終えると、ディスカッションが始まった。
ディスカッション
桐川夢見:
解らないんだけど、わたしには… 形而上学を理解するには純粋数学を知っていなければならないということなのでしょうか?
前島幸太郎:
そこまでは求められてはいないと思います。ここでは純粋数学の手法の過程、類推の過程を、そこでの順路を知るべきだと言ってるのだと、ぼくは思っています。
山際このみ:
そう言われても解りにくいよ! いったい純粋数学の順路って何なのよ!
曽根康夫:
何か、代用特性とでもいうものを、考えているのじゃないのかな?
栗林雄太:
前回のまとめでも上がっていましたが、集合論でベン図を使うようなことなのではありませんか?
