直観が、ぼくたちになければ、世界もないってことでしょうか。物理的な世界あっても、ぼくたち人間にとっての世界はない、そう捉えて良いのでしょうか… 連載 超訳プロレゴメナ 214 読書会編 147
第19回目超訳プロレゴメナ読書会より
曽根康夫:
ぼくも、池田君と同じ気持ちです。11節の冒頭で「対象の出現に先立って純粋な直観が存在することを可能に…」って見えてますからね。
感覚が対象とする経験的直観の基礎には、ア・プリオリな(空間と時間での)純粋な直観が存在している。経験的直観は単なる感性の形式にすぎない、これこそが、対象の出現に先立って純粋な直観が存在することを可能にしている。
須田隆雄:
つまり、直観が捉えることができるものだけが、ぼくたちの世界を構築できるって、いうことになるわけすね。
栗林雄太:
直観が、ぼくたちになければ、世界もないってことでしょうか。物理的な世界あっても、ぼくたち人間にとっての世界はない、そう捉えて良いのでしょうか。
前島幸太郎:
ええ、それでいいでしょう。でも今は断定する段階ではありません。もっと人間が周りの対象をどう捉えられるかを、観ていかなければならないって思ってます。
山際このみ:
あいかわらず、慎重だね。でもゼミでここやって頃は、たしかに11節だけでは気づいては、いなかったのもほんとうだね。
池田幸男:
その意味では、先生が超訳を手掛けたことと、この読書会の継続が意味を持つと言っていいのでしょう。
曽根康夫:
その意味でも『超訳 純粋理性批判』も今後は併読してく必要がありそうですね。
曽根君のここでの発言、下記ページの公開が始まっていたことをさりげなく表現したものだった。
