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人間が存在として認識を行う場としては、空間を考慮しなければならない。しかし空間という言葉が… まだ、その前にやることがある… 連載 超訳プロレゴメナ 152 読書会編110

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超訳プロレゴメナ読書会 第十回から
 
読書会のまとめ
 
 今回は「総合」を、中心の話題とした読書会となった。
 
 例としては、算術式や幾何学に類するものが多かった。総合の例が、数学に関連するものに限られる訳ではけっしてないが、カントはそれに限ってしまっている。第2節では、それ以上の例に言及しても、漠然としたものになることを、考慮したのではないだろうか。
 対象を広げて論及を進めていくには、まだ前提が足りないのだろう。
 人間が存在として認識を行う場としては、空間を考慮しなければならない。しかし空間という言葉が登場するのは、第10節以降だ。
 まだ、その前にやることがある。それは、なぜ判断を、分析と総合とに分けて考えなければならないのか、それについて語らなければならないことが、多く残っている。
 
 そして、先に急いで進んで行く必要もまだない。分析と総合の区分を繰り返し語っていても、徐々に内容が変化していることに、ぼくたちは気づかなければならない。
 
 読書会の参加者が螺旋階段に触れていたが、ぼくたちはこの階段を、多方面から観なければならない。
 それは視野を広げるだけでなく、多様性という社会認識に通じるものだとも、考えられる。
 マジョリティのなかのマイノリティを考えると同時に、マイノリティに潜むマジョリティも考えなければならない。
 
 
 ここで本論に戻ることにする。
 
 総合を扱うことは、集合論が発展した現代では、カントの時代よりも容易たやすいものなったのではないだろうか。
 第2節に、下記の言及がある。

 たとえば、a=a、全体はそれ自体に等しい、または a+b>a、全体はその部分より大きい。 そして、これらさえも、単なる概念からは有効であると認識されているが、ある具体例を意識した直感で表現できるから、数学でのみ認められているのだ。

第149回 本編21

 これは教養課程の数学に登場するベン図を、思い起こせば、具体例が直感で浮かんでくるだろう。
 また、超訳者付記として下記があることも、イメージの拡張を可能とすると考えられる。

英文版では日本で直感と言い表してきた[Anschauung]を、[visualization]や、[visual form]としている。視覚化、視覚的な形式と訳すことできて、この方が解りやすくに感じた。しかし超訳では、既訳の他の文献と比較する際のことを考えて従来から用いられている「直感」を採用した。公表の際には再考する可能性があると考えている。

第149回 本編21

 つまり、直感とは、視覚で取れられるイメージに対応する行為と考えることもできるということだ。
 
 総合は形而上学の入り口の一つだが、視覚の観点で見ることが、それを楽園の扉に変えるのではないだろうか。
 
(池田幸男 記)

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