空間も時間も、人間には実体として把握できるものではないけれど、そこで表現されている多くの現象が、その存在を示してるってこと… ぼくたちは、ここに来るまでに、分析や総合という手続きを通して、オブジェクトを観察する眼を養ってきています… それがあって、「その過程での演繹に至った推論」というのが、可能になるわけなんですね?… 連載 超訳プロレゴメナ 219 読書会編 150
第20回 超訳プロレゴメナ読書会より
ディスカション(承前)
栗林雄太:
前島さん、さっき「代用特性的なもの」って言われましたけど、それはどの箇所からの連想でしょうか?
前島幸太郎:
それは最後の個所の、ここなんですよ。
(Zoomの資料表示機能を使って下記を示した)
これにより 空間と時間の概念の超越論的演繹は, 純粋な数学の可能性を持つことができる。しかしその過程での演繹に至った推論がなければ、真実として認めてもその存在が理解できるわけではない。ぼくたちの感覚(空間における外部の感覚、時間における内部の感覚)に与えられるものはすべて、それ自体ではなく、ぼくたちに見えるもの(現象)を直観が捉えた結果なのだ。
牧野照邦:
つまりは、空間も時間も、人間には実体として把握できるものではないけれど、そこで表現されている多くの現象が、その存在を示してるってことが、前島君の代用特性的なものなんでしょう。
曽根康夫:
ただし、ここだけを取りしても、カントを深く読んだことがない人には解らないところだとも思います。ぼくたちは、ここに来るまでに、分析や総合という手続きを通して、オブジェクトを観察する眼を養ってきていますから…
桐川夢見:
それがあって、「その過程での演繹に至った推論」というのが、可能になるわけなんですね?
(ため息のような声も聴こえていた。たぶん社会科学研究会のだれかだろう)
山際このみ:
最初のころは、分析や総合が何の意味があるかって気もしてたけど、それを培ってきたから、概念ってものも把握できるし、カテゴリーの分類の必要性を納得できるんだと思う。
池田幸男:
だから、そうした考え方が納得できるまでは、抽象的な純粋数学を、あまり前面にもってくることも避けたんだと思いますね。
須田隆雄:
その意味では、第4節の後半も抽象度は高い個所でしたね。
栗林雄太:
だから、先生は、日本の流布本より、カント全集の構成のほうが、納得できたんではないでしょうか?
(笑い声が聴こえていた。たぶん、荒川先生の笑い声だろう)
