見出し画像

60代のリアル|第2幕、第3話【実録・介護の崖っぷち】母の「おうちに帰りたい」は、私たち家族が世界一幸せだった証拠


「おうちに帰りたい」

母が口にするこの言葉を聞くたびに、私の胸の奥はぎゅっと締め付けられます。そして、答えの出ない問いが、頭のなかをぐるぐると回り始めるのです。

みなさんは、どう思いますか?

母は本当に、物理的な「今の家」に帰りたいと思っているのでしょうか?

それとも、かつて家族みんなで笑い合って過ごした、あの頃の家に帰りたいのでしょうか?

でも、父が他界したのはもう16年も前のことです。父のいないあの家に、今帰ったとしても、母の思うような時間は流れていません。

それに今の母は、体が自由に動かない状態です。

もし家に帰ってきたとしても、自由に動くことができず、ただ現実の辛さに直面するだけかもしれない……。

それでも母は、本当に家に帰りたいのでしょうか?

ここから先にお話しすることは、長年一番近くで両親を見つめてきた、娘である私の「勝手な妄想」です。

でも、母の切ない口癖の理由を探していくうちに、私はある愛おしい記憶の扉を開けることになりました。





◆ 第1章:笑いのツボから抜け出せなかった、あの頃の我が家


それは、私がリストラにあって無職だった頃のこと。

今思えば将来への不安もあったはずの時期ですが、我が家の居間には、何とも言えない温かい時間が流れていました。

当時から両親はどちらも耳が遠く、二人で喋っていても会話が噛み合いません。すると決まって、間に挟まれている私に助け舟を求めてくるのです。

「お母さん、今なんて言ったの?」
と父が聞いてくれば、私は
「〇〇〇〇だって
と通訳します。

すると今度は母が
「お父さん、なんて?」
と聞いてくるので、また
「〇〇〇〇だって
と伝える。

このやり取りを何度も繰り返しているうちに、だんだん面倒くさくなった私は、ついに途中を全部端折って「……だって!」とだけ言いました。

すると、それを聞いた父が
「えっ!?そんなことお母さん言わないよ!アハハハハハ!」
と大笑いし始めたのです。

それにつられて母も笑い出し、気がつけば三人で笑いのツボにハマって抜け出せなくなってしまいました。


テレビを見ていた時もそうでした。

「この人、誰か分かる?」
と父に聞くと、
「分かるよ……分かるよ……えっと、お母さんに聞くからちょっと待って……」
とカンニングしようとします。

私がすかさず
ダッメー!
と遮ると、母もテレビの前にやってきて
「ええっと、誰だっけ?顔は分かるんだけど……」
と言うので、私も
「みんな、ダッメー!」。

正解を言う前に、私の
ダッメー!
の言い方がツボに入ったようで、またもや家族みんなで大爆笑。

客観的に見れば、何がそんなに可笑しかったのか分かりません。

でも、あの頃の私たちは、他愛もないことで箸が転がってもおかしいくらい、毎日のように笑い転げていたのです。母が焦がれる「おうち」の原風景は、きっとこの笑い声の中にあります。



◆ 第2章:小さな「幸せだね」を見つける天才だった母


それに、大したことでもないのに、母は昔からよく「幸せだね!」と口にする人でした。

母はこれまでに幾度も手術を繰り返し、両膝には人工関節が入っています。お体のあちこちに痛みを抱え、思うように動けない日々が続いていました。それなのに、母は日常のほんの小さな一瞬に「幸せ」を見いだす天才だったのです。

たとえば、私がスーパーで少し奮発して買ってきた金時芋を、電子レンジのワット数を切り替えながら「600Wで2分30秒。旨味を逃がさないよう表面を温めてから、200Wでじっくり16分。」じっくり丁寧に温めて、二人で一緒に頬張ったとき。

黄金色のお芋を口にした母は、顔をパッと輝かせて
「美味しいね!幸せだね!
と笑ってくれました。

またある時は、大好物の筑前煮を食べて
「ああ、幸せだね!
としみじみ呟いたり、ベッドからお体を起こしただけでも、トイレのお手伝いをした後でも、私に
幸せだね!ありがとう!」と声をかけてくれたりしました。

傍で聞いている私が
「そんな些細なことで幸せなの?」
と驚いてしまうような場面でも、母はいつも笑顔で小さな喜びを見つけては、周囲に温もりを分け与えてくれていたのです。


けれど、病院のベッドにいる今の母は、すっかり元気がなくなってしまいました。

あの何気ない日常のなかで、何かしら小さな光を見つけては「幸せだね!」と微笑んでいた、愛おしい母の姿はそこにはありません。

その姿を見るたび、私の心には黒いモヤのような問いが突きつけられます。

母にとって、一番いい選択肢は他になかったのだろうか?
本当に施設に入れるという決断で良かったのだろうか?

介護医療院なのか、特養なのか……何が正解なのか?
未だに答えが見つからない現実がそこにあります。




◆ 第3章:現実の正論と、母の淡い期待


今の母から元気を奪っているのは、処方されているロナセンテープの副作用のせいかもしれません。あるいは、このところ続いている発熱のせいかもしれません。

理由ははっきりとは分かりませんが、病院のベッドに横たわる母を見ていると、ある一つの予感が胸をよぎるのです。

母はきっと、
「あの我が家に帰りさえすれば、また元気になる。また昔のように動けるようになる」
と信じているのではないか?

そんな淡い期待を抱いているような気がしてならないのです。

けれど、介護者である私の頭の中には、どうしても冷徹で現実的な正論が浮かんでしまいます。

「病院の至れり尽くせりの環境でさえ動くことができないのに、設備も不十分な家に帰ってきたら、もっと何もできなくなる」と。

家に帰れば万事解決するわけではない。

むしろ、現実はもっと過酷になるかもしれない。
そんなことは分かっているはずなのに、それでも母の口からは
おうちに帰りたい
という言葉がこぼれ落ちます。

それは弱音というよりも、かつてあの家で当たり前のように笑い、小さな幸せをたくさん見つけていた「自分自身」を取り戻したいという、魂の叫びのようにも聞こえるのです。

現実という壁を前にして、娘としての正論を突きつけざるを得ない私。
それでもなお、あの場所を焦がれる母。
相容れない二つの想いを抱えながら、私たちは今、正解のない暗闇のなかに立っています。



◆ 第4章:それでも、母が帰りたい場所


現実を見れば、帰っても辛いだけ。体が思うように動かない現実を、突きつけられるだけかもしれない。それでも、母は本当に家に帰りたいのでしょうか?

この問いに、まだ明確な答えはありません。

けれど、一つだけ確信を持って言えることがあります。それは、母がそれほどまでに焦がれる「おうち」を、私たちは確かに一緒に作り上げてきたという事実です。

耳が遠い両親の間で
だって!
と端折って大爆笑した夜も、テレビの前で
「みんな、ダッメー!
と笑い転げた日々も、
レンチン焼き芋を食べて
幸せだね
とパッと顔を輝かせた瞬間も。

あの他愛のない、でも奇跡のように温かかった時間こそが、母にとっての「おうち」の正体なのだと思います。

もし、我が家がいつも冷え切っていて、暗い会話ばかりの場所だったなら、母はこれほどまでに「帰りたい」とは願わなかったはずです。

母の「おうちに帰りたい」という言葉は、裏を返せば、
「お母さんはね、あの家で、お父さんとしずると一緒に、世界一幸せに暮らしてきたんだよ」
という、人生の勲章のようなものではないでしょうか?

何が正解なのかは、未だに分かりません。
施設なのか、病院なのか、家なのか。
その選択に冷や汗を流し、悩み続けるのが、私の「60代のリアル」です。

けれど、どんな場所にいたとしても、私たちが紡いできた「あの笑い声の記憶」が消えるわけではありません。

たとえ物理的な家に帰ることが難しくても、母が心の中に持っている「いちばん大好きな居場所」の灯りは、私がずっと守り続けていきたい。

母の切ない口癖を、これからは「それだけ愛し合ってきた証なんだね」と、心の中でそっと抱きしめながら、私は今日も母の手を握り、正解のない明日へ歩みを進めていきます。



🌿次回予告

こうして母の言葉の正体に想いを馳せながらも、私の日常は容赦なくノンストップで動き続けます。

次回からは、少し時計の針を進めて、6月29日(月)からの日常編をお届けします。

ただでさえ気合が必要な「月末の超多忙期」。
そんな絶妙なタイミングで、私の職場で大変なことが発生してしまいます。

一応、課長には報告したものの、やっぱりというか何というか、まったく埒(らち)が明かない状態に……。結局、主任と私の二人で、冷や汗を流しながら大苦戦する羽目になってしまうのです。

介護の模索の次は、職場の荒波!?
60代・パート事務員のリアルな奮闘記、第4話もどうぞお楽しみに。


▼ 第4話はこちらです。



▼ 第2幕の最初から読みたい方はこちらからどうぞ


▼ 第1幕から読みたい方はこちらからどうぞ


いいなと思ったら応援しよう!