民草が紡ぎし絵巻 第39巻 門の内側で待つ母
夜。
門が、
閉じられていた。
母は、
その内側に立っていた。
そばには、
幼い子どもがいる。
子どもは、
母の手を握っていた。
いつもの夜なら、
もう家にいる時間だった。
火を囲む。
食べる。
子どもが眠くなる。
そして、
皆で眠る。
けれど、
今夜は違った。
村の外へ、
何人かの人が出ていった。
その中に、
夫もいた。
何が起きているのか。
母には、
よく分からない。
昼のうちから、
村の様子が違っていた。
遠くから、
誰かが戻ってきた。
人々が集まった。
短い言葉が、
何度も交わされた。
倉を確かめる者がいた。
濠の向こうを、
見ている者がいた。
そして、
日が沈む前に、
何人かの人が、
門の外へ出ていった。
夫も、
その一人だった。
母は、
止めなかった。
止めても、
行っただろう。
夫は、
戦うことを仕事にする人ではない。
昨日まで、
田にいた。
水路を見た。
畦を直した。
家へ戻ると、
子どもを抱いた。
そんな人だった。
その夫が、
今夜は、
門の外にいる。
母には、
外の様子が見えない。
見えるのは、
閉じられた門だけだった。
遠くで、
音がした。
母は、
顔を上げた。
子どもの手に、
力が入る。
「父さん?」
母は、
答えなかった。
耳を澄ます。
また、
音がする。
人の声のようにも聞こえる。
何かがぶつかる音のようにも聞こえる。
やがて、
静かになった。
「父さん、
帰ってくる?」
子どもが聞いた。
母は、
小さな手を握り返した。
「帰ってくる。」
そう言った。
分かっていたわけではない。
ただ、
そう言った。
門の内側には、
ほかにも人がいた。
夫を待つ人。
父を待つ人。
兄を待つ人。
息子を待つ人。
誰も、
多くを話さない。
ときどき、
誰かが、
濠の向こうを見る。
けれど、
暗くて、
何も見えない。
家の方から、
赤子の泣き声が聞こえた。
すぐに、
誰かがあやす声がした。
母は、
振り返った。
村には、
いつもの暮らしが残っている。
家がある。
火がある。
眠っている子どもがいる。
老人がいる。
倉には、
米がある。
明日になれば、
田へ行かなければならない。
水路も、
見なければならない。
けれど、
その明日が、
今夜だけは、
ひどく遠く感じられた。
子どもが、
母の衣服を引いた。
「寒い。」
母は、
子どもを抱き寄せた。
「家に戻ろうか。」
子どもは、
首を振った。
「ここにいる。」
母は、
何も言わなかった。
二人で、
門のそばに座った。
母は、
子どもの肩へ、
布を掛けた。
待つ。
それしか、
できなかった。
門の外へ出ることはできない。
何が起きているのかも、
分からない。
誰が、
どうしているのかも、
分からない。
ただ、
帰ってくるのを待つ。
時間だけが、
過ぎていく。
子どもは、
いつの間にか、
母にもたれていた。
目を閉じている。
それでも、
母の手は、
離していない。
母も、
その手を離さなかった。
しばらくして、
足音がした。
母は、
顔を上げた。
門の近くにいた人々も、
立ち上がる。
外から、
声がした。
門のそばにいた男が、
耳を澄ませる。
そして、
門が、
少し開いた。
一人。
また、
一人。
人が入ってくる。
暗くて、
顔がよく見えない。
母は、
立ち上がった。
子どもも、
目を覚ます。
「父さん?」
母は、
門を見る。
また、
一人入ってくる。
違う。
その後ろから、
もう一人。
違う。
誰かが、
戻ってきた人へ駆け寄る。
別の誰かが、
門の向こうを見ている。
母は、
動かなかった。
子どもの手だけを、
強く握っていた。
やがて、
暗闇の中から、
一つの人影が現れた。
歩いている。
少し、
足を引きずっているようにも見える。
母は、
目を凝らした。
子どもが、
母の手を離した。
「父さん。」
走り出そうとする子どもの肩を、
母は、
とっさにつかんだ。
まだ、
顔は見えない。
人影が、
門の明かりへ、
一歩、
近づいた。
その母の名は、
残っていない。
どこの村だったのか。
その夜、
何が起きたのか。
誰と誰が争ったのか。
夫が、
無事に戻ったのか。
今では、
分からない。
土の中には、
武器が残る。
濠が残る。
争いの跡が、
残ることもある。
けれど、
門の内側で、
誰かを待った時間は、
土には残らない。
子どもの手を握った母。
遠くの音に、
何度も顔を上げた母。
帰ってくると信じて、
閉じられた門を見続けた母。
歴史が、
門の外で起きた争いを語るとき、
その内側にも、
人々の暮らしがあった。
守る人がいた。
待つ人がいた。
火を絶やさない人がいた。
子どもを抱く人がいた。
母が守っていたのは、
門ではない。
村の境でもない。
その腕のそばにある、
小さな命と、
明日も続いてほしい、
いつもの暮らしだったのである。
『忘れられた日本人の物語』本編と『民草が紡ぎし絵巻』について
『忘れられた日本人の物語』は、その時代の歴史や暮らしを描く本編です。
『民草が紡ぎし絵巻』は、本編から生まれた名もなき人々一人ひとりの物語です。
本編が時代を描き、絵巻が人生を描きます。
どちらから読んでもお楽しみいただけます。
第二部 稲穂を育てる人々👇
📚 本編(ブログ)
🌐 第1話 稲を育て始めた人々
🌐 第2話 水を引く人々
🌐 第3話 土を耕す人々
🌐 第4話 実りを待つ人々
🌐 第5話 米を蓄える人々
🌐 第6話 村を育てる人々
🌐 第7話 糸を紡ぐ人々
🌐 第8話 海をつなぐ人々
🌐 第9話 境を守る人々
🌐 第10話 稲穂を残した人々(9月16日公開)
📚 民草が紡ぎし絵巻(本note)
第1話より
🌐 第22巻 最初に苗を植えた少女
🌐 第23巻 水を引く老人
第2話より
🌐 第24巻 初めて堰を築いた若者
🌐 第25巻 最後に水門を閉じる母
第3話より
🌐 26巻 鍬を直す父
🌐 27巻 初めて稲を刈る娘
第4話より
🌐 第28巻 雨を待つ老人
🌐 第29巻 最初の穂を見つけた子
第5話より
🌐 第30巻 種籾を残す母
🌐 第31巻 倉を守る老人
第6話より
🌐 第32巻 新しい家を建てる夫婦
🌐 第33巻 村で生まれた子
第7話より
🌐 第34巻 糸を紡ぐ娘
🌐 第35巻 母の布を受け継ぐ子
第8話より
🌐 第36巻 鉄を運ぶ舟人
🌐 第37巻 海の向こうから来た女
第9話より
🌐 第38巻 濠を掘る父
🌐 第39巻 門の内側で待つ母(本作)
第10話より
🌐 第40巻 最後の稲刈り(9月16日公開)
🌐 第41巻 父から受け継いだ田(9月17日公開)
🌐 第42巻 村を見下ろす老人(9月17日12時公開)
第一部 火を囲む人々👇
🌐 📚 『忘れられた日本人の物語』本編(ブログ)と『民草が紡ぎし絵巻』(本note)のリンク集
AI作家 蒼羽 詩詠留
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🌐 AIと人間の共創による創作物語(小説)(ブログ)
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