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にんげんって、つい自分に都合よく考えちゃういきものらしい | 老後の暮らしを整える

かれこれ10年ほど前のこと、母と同い年の、父の妹が大病をした。幸い一命をとりとめて、今も元気に暮らしている。

母も叔母も60代後半だったと思う。

叔母の手術が成功した旨を母と電話で話していたら、母が、

「この歳になっても、ぜんぜん自分が死ぬ気がしない」

と、素で言い出して、ちょっとびっくりした。(母が認知症と診断される何年も前の話で、この頃の母は、認知機能の問題はなかったと思う)

70代目前というタイミングでは、死というのは、まったくリアリティのないものなのか!と、私にとって、そのときの母の発言は、ある意味、新鮮だった。

当時、叔母が大病をしたことについて、まったく自分とは別世界のように考えていた母も、数年後に認知症の診断を受けることになった。

認知症の診断を受けた母は、

「よりによってこんな病気になるなんて。他の病気だったらよかったのに!」

と荒れた。けれど、どんな病気になるかは、自分で選ぶことはできない。

私の父も母も、親や兄弟を亡くしている。にんげん、年齢を重ねるにつれて、病気もでてくるし、いずれは老いて、弱っていくもの、ということを知らないわけではなかっただろう。

自分も歳をとれば、老いて、弱っていく、ということを、考えなかったのだろうか?

なぜ、自分が老いて、思うように動けなくなる前に、やっておくべきことを、きちんと終わらせなかったのだろう?

母方の祖父は、公正証書遺言をきちんと準備してあった。その遺言書をもとに、母は祖父名義の田舎の土地を相続した。公正証書遺言の必要性を知らないわけでもなかったはずだ。

父も母も、生真面目な性格で、責任感も強く、なんでもきちんとやるタイプだと思っていた。

老後の備えについては、どうして、なにもかもが後手にまわってしまったのだろうか?

父も母も、健康意識は高かった。食事、運動にも気をつかっていた。
実際、長年、大病もしたこともなく、いつも元気だった。

でも、歳をとらないわけではない。健康だから、元気だからといって、老いと無関係、というわけにはいかない。

父は、「ひと様に迷惑はかけたくない」と言いながら、実家じまいを決心するのに数年かけた上に、私に丸投げした。

実家じまいがどんなにたいへんだったかを伝え、今、使っていないものは、少しずつ減らしていってほしい、といくらいっても、不用品を溜め込んでいる。

父にとっては、不用品ではないのだろう。

けれど、20年以上袖を通したことのないたくさんのスーツや、すっかり形の崩れた革靴、自分でも見返すことのない大量の書類など、父が溜め込んでいるものをあげたらキリがない。

今の父は、これらを、地域のごみ回収にだすことさえ、もうできない。数年前なら、自分で、誰に迷惑もかけずにできたことなのに、どうしてやらなかったのだろう。

実家じまいをした際、その物量の多さに途方に暮れ、YouTubeでお片付け動画を見るようになった。

「これは、お棺にいれてもらう」

というセリフがよくでてくる。とにかく、お棺にいれてもらうものの量が多すぎる。どう考えても、お棺に入りきらない。そもそも、お棺というのは、燃えるごみをいれる箱じゃない。

「私が死んだら、好きに処分していいから」

というセリフも頻出だ。自分のものを、自分で片付けるって、当たり前のことじゃないのか?大量の不用品の処分を、なぜ、ひと任せにするのか?

なんというか、ご都合主義が過ぎないか?

自分は、歳の割に元気だから、まだまだこの先も元気なはず、とか
自分は、認知症になんてならないはず、とか
片付けなんて、その気になれば、いつでもできる、とか
遺言書なんて、その気になれば、いつでも書ける、とか

その考えは、いったいどこから来るん?

そもそも、平均寿命より、自分が長生きできる、健康寿命をすぎてもずっと元気でいられる、と考えているひとが多過ぎないか?

もちろん、「平均」という以上、平均寿命より長生きするひともいる。100歳を超えるひとだっている。

でも、私の知る90歳を超えたひとは、口を揃えて「毎日生きていくだけで必死だ」といった。実際、そばでみていても、たいへんそうだった。

もちろん、世の中には、90歳を超えても、100歳を超えても、元気で、気楽に暮らしているひともいるのだろう。

でも、私がみている現実世界では、どんなに健康そうで、聡明なひとでも、75歳を過ぎるころから、病気がみつかったり、足腰が痛くなったり、目に見えて判断力が低下してくるケースが、圧倒的に多い。

私の母は、オレオレ詐欺に遭ってしまった。その半年ほど前に、仲の良い、同年代のいとこが、オレオレ詐欺に遭ったという話を聞いていたのに、なぜ、自分は大丈夫だと思ったのだろう。

そのいとこは、数年前に、自宅のお風呂で、ヒートショックが原因で亡くなった。

私がいくらヒートショックの心配をしても、父も母も「大丈夫、心配ない」という。今も、まったく断熱の効いていない、昔ながらのタイル貼りのお風呂を使い続けている。

80代の老夫婦が自宅で暮らしていくには、80代の体力、気力、判断力に見合った環境が必要、というのは、当たり前のことじゃないのか?

なにも準備をせずに、丸腰のまま、高齢になっていくって、私にとっては恐怖でしかない。

私の親も含めて、多くのひとが、自分は大丈夫!と言い張るのは、どういうことなのだろう。

きっと、自分は大丈夫って思っていること自体が、判断力の低下そのもの、なのだろう。そんな高齢者たちのサポートを、子世代が背負いきれるのだろうか。

子世代も、準備もなしに、親のサポートを始めてしまうと、自分の老後の準備もままならない。

残念ながら、ご都合主義がまかり通るほど、今の社会には余裕がない。
どこかで、だれかが不幸になるのも、しかたがないと思う。


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