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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第5回 イタリア・ナポリ篇(6)

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(6)地中海交易の一大拠点だったポンペイ


 ナポリ中央駅から徒歩約10分のヴェスヴィオ周遊鉄道ナポリ・ポルタ・ノラーナ駅から満員電車で約1時間、左手にヴェスヴィオ山を眺めつつ、ポンペイ遺跡の最寄駅ヴィッラ・ディ・ミステリに着いた。

 車中で読んだガイド本で、西暦79年ヴェスヴィオ山の噴火で灰燼に帰した街ポンペイの起源はさらに遡る紀元前8世紀以前と知る。海岸まで500m(現在は約2km)、サルノ川からも近い水路の利便性からギリシャ人の植民都市として築かれ、ギリシャ人やフェニキア人の地中海交易の拠点になってきたそう。

ヴェスヴィオ周遊鉄道
(作図:三月社

その日その時まで、ポンペイはローマ帝国の一大港湾都市という以上の知識がなかったから、遺跡の中心に残る最も古い神殿がアポロというギリシャ由来の名だったり、広大な遺跡のあちこちにギリシャ神話を思わせる建物や壁画が残るわけを知って納得する。

約3.2キロの城壁に囲まれたポンペイ遺跡へは7〜8基(見学時/発掘進行中)ある門のうち最も海側の、降車駅からも近いマリーナ門から入った。歩道と車道の2つのアーチを持つ門の磨かれた石畳は、地中海各地からの来訪者に、夜、月光を反射させて進むべき方向を示すためだったというから驚く。ちなみに同時期の日本は縄文からやっとこさ弥生への移行期。自国の歴史が世界最古と言い募る “日本スゴイ” 教の方々、一度狭い国を出て……。

車道と歩行者専用道がきちんと分けられたポンペイのマリーナ門
※以下、撮影した場所やものはすべて撮影許可あり)


マリーナ門から最初に出合う広大な広場フォロでは、開門時間の9時を過ぎたばかりだというのに、杖、帽子、サングラス姿で、手に手に水のボトルを持った少なくとも数百人が各ガイドを囲んで円になり、その円が広場いっぱいに広がっていた。この広大な遺跡をガイドツアーに参加せずにめぐろうという私のようなソロ見学者は少数派。ビギナーがガイドの助けも借りず一日で見尽くそうと考える方が無謀なのだ。

フォーラム(公共広場)の語源でもあるフォロは、街の政治、宗教、経済の中心地だった場所。その端っこに突っ立って場の空気に心身を慣らしつつ、地図の必見ポイントに印をつけ、だいたいのルートを頭に入れる。その選択が妥当かわからないけど、そうでもしなければ “大海” で溺れるのは必至。それほど広い。
おまけに草木や日陰がほぼない遺跡は10月というのに夏の海岸みたいに暑い。コートを脱ぎ捨て、マフラー代わりに首に巻いてきたクーフィーヤを頭からかぶって顔全体の日焼け対策をする。パレスチナ支援スタンディングの時とほぼ同じ格好だ。シオニストの旅行者に何か言われたら面倒くさいなと思ったけど、その時はきっと周囲の誰かが助けてくれるだろう。

フォロ(公共広場)の片隅からヴェスヴィオ山(正面)を望む


イタリア・ナポリ篇(7)へつづく

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