寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第5回 イタリア・ナポリ篇(10)
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(10)過去からの目に射抜かれた国立考古学博物館
ナポリ3日目の朝は迷うことなく国立考古学博物館へ向かう。駅への道すがら見かけた、聖母子画を納めた祠のようなものは日本でいうところのお地蔵さん的存在だろうか。街に慣れ始めたせいで、祠の前で自然と足を止め、今日の無事を祈る余裕まであった。
トレド駅から2駅先のムゼオMuseo駅で降り、地上に上がると博物館は目の前。ポンペイ遺跡同様、規模も見どころも壮大で、心身とも早晩バッテリー切れになること必至だから、ポンペイと同様、歩き出す前にマップの必見エリアに印をつけ、外すエリアについてはあっさり断念することとした。すべてを吸収するには知識も体力も足らないのだ。


まず直行したのは、ポンペイとその隣エルコラーノから出土した小さめの絵画や彫像などを集めた最上階(2階)。ポンペイ人の姿を伝える『ネオと妻の肖像』(西暦62〜79年)や、「女性(サッフォ)の肖像」(同55〜79年)が放つ静謐な存在感と美意識の高さにいきなり心をつかまれる。
彼らが手にした黒板、天秤、書類、ペン、本は、“知”こそが人間にとって至上の格であることを表しているよう。
古代の出土品を集めた博物館というと、現代人が過去の遺物を “昔の作品にしては” という、なんとなく思い上がった視点で鑑賞したり論評する場になりがちだけど、ことポンペイ出土物に関しては、自分自身が表象する “今” が過去から逆照射される感覚に見舞われた。少なくとも美意識においては現代人のはるかに上ゆく彼らの視線に、早い話が服や髪型など自分がまとう意匠の野暮ったさや貧しさがあらわにされるような。
絵画であれ、彫像であれ、アクセサリーであれ、ポンペイ出土品群が伝える人々の暮らし、生きる喜びといったもののなんと自由で優美で放埒なことだろう。モザイク画の美しい一欠片に目を奪われ、描かれた顔や衣装の繊細さに吸い寄せられていると、今ここを幽体離脱して、はるか2000年前の絢爛豪華な時空を旅している錯覚に陥った。

夫が持つ証書は司法職、妻が持つ天秤と黒板は知への関心を表現。
妻の衣装や髪型、アクセサリーも優美。(※以下、撮影した展示物などはすべて撮影許可あり)


夕方5時の閉館が近づいても予定の3分の2ほどしか回れなかった。ギリシャ彫刻をローマ時代に模刻した貴重な作品を集めた1階に至っては、広大な展示室を小走りで通り過ぎるのがやっと。
時間に急かされながら最後に観たのは “傑作” と称えられる紀元前3世紀の、幅5×高さ3mはありそうな大理石彫刻『ファルネーゼの雄牛』。ギリシャ・ローマ神話から題材をとった彫刻群で、かつて母を王妃ディルケに虐待された兄弟が、いま母の見ている前で王妃を雄牛に縛り付けて拷問している姿だ。筋肉のリアリティ、今にも動きだしそうな躍動感などの芸術的価値以上に、古今東西変わらぬ、母なるパワーの凄まじさに感じ入ってしまった。自分をいじめた人への復讐を息子2人に代行させ、その姿を冷ややかな顔で眺める母。古代ギリシャ・ローマの時代から母なるもののおそろしさよ。

隠れて見えないけれど、反対側にはそれを見る母の姿が!
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