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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第5回 イタリア・ナポリ篇(9)

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(9)究極の非バリアフリーを謳歌する人々


 円形闘技場をめぐって遺跡を後にした映画の2人同様、私も自然と遺跡(都市)のはずれにある円形闘技場へと足を向けた。有名なローマのコロッセオより150年も前、紀元前70年に完成した世界最古の闘技場で、ポンペイ全市民約2万人が集うと想定され、その混雑緩和のため街はずれに建てられた。クマ、ライオン、ヒョウなどローマ帝国各地から集めた猛獣と人(剣闘士)、人と人との闘いが連日繰り広げられ、市民を熱狂させたそう。
アリーナや登場口に砂が敷き詰められたのは、剣闘士や猛獣たちが流した血を吸わせたため。じゃりじゃり鳴る自分の足元の砂は“血を吸ったそれ”ではないとしても、なんとなく落ち着かない。

円形闘技場の一部。大きなイベントには市民の大半=約2万人が集まった


 見えない血痕を避けるようにつま先立って早足になりながら周囲を巡って出口に向かう道すがら、大勢の支援者にサポートされて見学する障がいのある人々の一行とすれ違った。

すれ違いざまに聞こえた言葉はフランス語だから、隣国から国境を越えた旅の途中なのだろう。闘技場はおろか、巨岩を組み合わせたすべての歩道、車道で車椅子の通行は不可能で、歩行器や杖を使うのも危険だから、障がいのある人たちは神輿型の椅子や簡易ベッドを利用し、それぞれ数人の介助者に担がれて移動していた。
彼らに比較的平坦な歩道を譲るため、周囲の見学者は歩道から高低差20〜30㎝の車道にヨイショと降りて待つ。どこからも文句ひとつ出なかった。それどころか、究極の非バリアフリー施設である遺跡を、障がいのある人たちが健常者と同じように楽しむ光景が、居合わせた人々の気持ちをも和ませていた。
日本で果たしてできるだろうか。障がいをもつ人たちに “迷惑かけるから/何かあると困るから” 遺跡見学は控える、と言わせてしまいそうな国で。

車道と歩道がきっちり分けられたポンペイの街路。高低差がきびしい



 ナポリに戻る電車内からマルティナにWhatAppで「部屋の近くで、おいしい惣菜が買える店があったら教えて」とメッセージを送ると、ナポリ中央駅に到着するまでに返信をくれた。教えてくれたのは、どれも部屋から数分内の食料品店、パン屋、ミニスーパーなど。

マルティナとは結局、最後までメッセージのやりとりのみだったけど、彼女だけがこの街で私の存在を知っていてくれるただ1人の人だと思うと、部屋自体の印象と相まって特別な親しみと信頼感を抱いたし、幸運なことにそれが裏切られることもなかった。文章の雰囲気から、私と同世代のおば(あ)ちゃんではないか(外れたらすみません)との予感も。

教えてくれた店は案の定ハズレなし。電車を降りて早速目指した彼女のイチ押し食材店は、プレビシート広場からマルティリ広場に向かってすぐという場所といい、規模といい、『ナポリの物語 2』でリラが元夫と営んだ食料品店のイメージがピタリと重なった。
その日の夕食は、そこで買ったチーズとハムで簡単なサンドイッチを作って食べた。簡素ながら確かな食材のおかげで、お腹も心もこれ以上ないほど満たされた。

マルティナ推しの食料品店。『ナポリの物語』が頭に浮かんだ
うっとりするほどおいしい、リコッタチーズ入り貝の形をしたナポリ名物のパイ
「スフォリアテッラ」(右手前)を毎日朝食に


イタリア・ナポリ篇(10)へつづく

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