寺田和代【Book Review】バルカン前篇〔1〕アレクサンダル・ヘモン『ノーホエア・マン』岩本正恵訳、白水社
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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」第6回 バルカン前篇~ザクレブからモスタルへ
【Book Review】〔1〕

アレクサンダル・ヘモン『ノーホエア・マン』岩本正恵訳、白水社、2004年
なんて不思議な小説だろう。語り手が誰か、その立ち位置はどこか、読み手には最後まで明かされないまま、故郷の旧ユーゴスラビアから渡米中に母国で紛争が勃発したために帰るに帰れなくなり、アメリカで生きることを余儀なくされたヨーゼフ・プローネクという青年の過去と現在、虚と実がメビウスの輪のように表になり裏になりながら7つの物語が繋がっていく。
英語も不十分な若者が母語も出自も封印し、家族も知人もいない異国で生きていくために、個別訪問のセールスマンや、身の安全も約束されない探偵のアシスタントや、社会活動の勧誘員などのアルバイトを転々とする日常のあちこちで不意に裂け目ができ、スレブレニツァ(ボスニア・ヘルツェゴビナの街)で数千人が虐殺されたジェノサイドや、クロアチアの凄惨な内戦の状況に、新聞やTV映像という形で直面させられる。
かと思えば、同僚、上司、客などから、ボスニアという出自をめぐって無神経さや無関心をむき出しにした言葉を浴びせられる。たとえば、母国の名を口にしたとたん「君の国はひとつの大きな家族だろう、誤解があるなら君の力で解決していかなければ」とドヤ顔で説教されたり、同胞がみな過激な民族主義者ではないのに「セルビア人がムスリムと戦っているんだろ。あんたはなんなんだい」と不躾に尋ねられ、吐き気を堪えつつ「僕はボスニア人です」と民族名ではなく国の名で応えたりする。
戦争や悪政から逃れて生きるために、異国で新たな根を張らざるをえない人々は多かれ少なかれ似た体験をさせられているのだろう。それだけに、日々の些事をあえて淡々と流すように生きてきたプローネクが、ガールフレンドとのささいな行き違いから感情を爆発させたエピソードは、読みながら心臓が握り潰されそうにいたましく、救いがなかった。あの結末で放心した彼のほほをなでていたのは、著者自身の手だったのかもしれない。
著者は1964年サラエボ生まれ、92年シカゴ滞在中にサラエボがセルビア人勢力によって包囲されたため、アメリカへの移住を決めたいきさつやその後の苦労は、プローネクのそれと完全に重なるけれど、著者自身は自伝的小説であることを否定しているそう。
作品をいち個人の打ち明け話にとどまらせず、人間の普遍的な物語として飛翔させたいという試みは、最終章で場所も時空も超えたスペクタクルドラマへと昇華させた発想と手腕で見事に成功している。
作風も時代もテーマもまるで違うけれど、読後、物語から離れた時にわき上がったこの世の無常と、運命への諦念、その2つへの痛切な感慨は同じボスニア生まれの作家イヴォ・アンドリッチが半世紀近く前に書いた『ドリナの橋』に感じたものとも重なった。
■ その他の「本と歩く 第6回 バルカン前篇 book review」
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