実家から離れただけでは足りなかった――毒親・毒家庭育ちの私が「毒」を薄めるまで
シリーズとして告知していなかったが、この記事は前回書いた記事の続きだ。
前回は『家庭の毒は大人になってから牙を剥く』というテーマで解説をした。毒親・毒家庭育ちで浴びた毒が本領を発揮するのは、むしろ成人してからだという内容だ。
かくいう私も、その毒にしばらくはやられていた。
今回は、解毒に関する私の体験を書いていく。
念のために言っておくと、私もまだ完全な解毒には至っていない。そもそも20年以上も毒を浴びていたわけだから、完全な解毒にはお金と時間をかけてもたどりつけないかもしれない。
なので、解毒という言葉を使いはしたが、正確には毒を薄める方法だ。
毒親・毒家庭育ちはよく、独り立ちを推奨される。
毒となる環境から離れた方がいいという、当たり前といえば当たり前の手法だ。
結論から言うと、私の場合は家を出るだけでは足りなかった。
なぜなら、家族との物理的距離だけでなく、仕事・住む場所・価値観まで家庭由来の基準で決めていたからだ。家を出るだけでは足りなかったのである。
ここからは、私が時間をかけて毒を浴びる環境から抜け出した過程を書いていく。参考になるかはわからないが、解毒を目指している人にはぜひ読んでほしい。
親に気を使って公務員を選んだ
私は19歳の頃から公務員をしていた。
公務員試験対策の専門学校に通い、自治体の学校事務職員の試験を受けて合格し、仕事に就けたという流れだ。
公務員になった理由だが、私は公務員になりたいわけではなかった。
安定と親の安心を最優先に考えて、カバーできる仕事を選んだに過ぎない。
どの道、大人になれば働くのだからこの仕事で良いだろうという妥協もあった。つくづく当時の私は、自分の願望に耳を傾けていなかったと思う。
公務員になったと言えば聞こえはいいが、裏には勝手に母親に配慮したという事情がある。正確に言えば私の母親は毒親ではない。毒は兄で、私は母親に気を使っていた。なので、母親が望んだわけではないが、結果的には家庭や母親の影響で人生の舵を切った形になる。意思決定の中に、勝手に生み出した母親が介入しているといったところだろうか。
22歳の頃に実家を出て一人暮らしを始めたが、それでもこの毒は消えなかった。同居していなくても、意思決定や生き方の中に影響が残っていたからだ。
一家離散しても、実家の近くに住んだ
詳細は省くが、私の実家は十数年前にバラバラになった。
兄の借金・家庭内暴力が原因で母親も私も実家に住めなくなった。
結果、私は一人暮らしをすることになったのだが、そこでも気を使ってしまった。引っ越し先は、実家に徒歩10分ほどで行ける距離のマンションだ。今思うと、独り立ちというには微妙な距離である。
しかし、実家の一軒家を大切にしている母親のことや、母親と兄が顔を合わせて起こるトラブルや暴力沙汰を考えると、近場に住む以外の選択肢はなかった。
物理的には実家から離れたのだが、生活圏が実家と被ってしまっていた。
家から出ただけで、まったく離れられてはいなかったのだ。
そのまま精神が壊れ、仕事を辞めた
仕事の話をしよう。
私の仕事は学校事務職員だったが、実家で身につけた歪んだ処世術は職場の人間関係にも悪影響を及ぼした。私は若手の部類だったが、勤務先の若手教師にはあまり馴染めなかったのだ。もっと赤裸々に言うと、大人になってからの人間関係構築がまるでできなかった。
学校事務という、勤務校に1人の職種だったためにいじめや嫌がらせはなかったが、同じ教員だったら嘲笑の対象にされていただろうと思う。
つまり、私は社会適応に失敗したのである。
さらに一家離散の時期には盛大なパワハラを受けてもいた。毒親・毒家庭育ちで他人の機嫌に敏感になると、一部の攻撃的な人間の標的になりやすいのかもしれない。
※パワハラの詳細に関してはこちら
結局、私は24歳の頃にうつ病の診断を受け、半年間休職した。
復職した後は心のシャッターが降りるようになり、多少のパワハラムーブでは何も感じなくなっていた。ダメージがないというより痛覚を遮断した(遮断せざるを得なかった)といった感じだ。
そのまま何年も無感情に最低限の仕事をこなす日々を過ごしていたが、30代手前の時期で限界がきた。所属している自治体の改革によって深夜残業が増えたことも原因だが、蓋をしてきた仕事そのものへの絶望が噴出したのが一番大きな理由だった。
毎日、帰り道で自殺することを考えた。
どう冷静に考えても、何度考えても、仕事を続けるより死んだ方がマシだという結論に至るようになる。こうなってしまうと、もうどうしようもなかった。その年度を最後に、私は学校事務職員という仕事を辞めた。次のあても、仕事で培ったスキルもない、誰が見ても無謀な退職だった。
また、私は地方公務員だったため、仕事を続ける限りは地元に縛られる。
つまり、実家の近辺に住むことを余儀なくされるわけだ。
仕事の辛さが前面に出てはいたが、このままでは実家の近くで人生ごと沈没するという実感もあったのではないかと思う。当時の記憶はあまり残っていないが…。
最初の切断
仕事を辞めて半年もしないうちに、私は県外に引っ越した。
神奈川県の隅っこの賃貸に移ったのだ。
これまでにないレベルで、実家との距離を大きく取ったと言える。
まだ手心をしていたため、電車に2時間半乗れば地元という距離ではあったが、物理的な距離を取ったことは解毒において重要だったと思う。
母親に気を使って始めた仕事を辞め、実家にもあまり気を使わないで済んだ。その頃には母親と兄が比較的穏やかに実家で暮らせるようになっていたからだが…。
これで晴れて解毒、とはならない。
しかし、物理的距離を置くことで初めて、自分の人生の背後に、どれだけ家庭の影響があったかが見えてきた。同時に、私という人間が抱いている願望も少しずつ見えてきた。
解毒というより、服毒を止め始めた段階と言える。
この頃から、私は正社員などの看板にこだわらなくなった。
その日の飯に困らなければいいという生活スタイルに変えたのだ。
煩わしい仕事をするより、自分の飯の心配をしていた方がはるかに楽なことに気が付いたからだ。まぁ、この社会不適合な性質自体が実家の影響ではないかと言われたら、頷くしかないのだが。
さらに離れた
30代半ばになった頃、私はまた引っ越しをした。
思い直して実家に戻ったわけではない。むしろその逆で、もっと圧倒的な物理的距離を確保したのだ。
神奈川県から、一気に兵庫県に移った。
前回の引っ越しは県外だったが、今回は地方ごとガラッと変えた。というか、東日本から西日本という、本州単位の大移動をかましたわけである。
神奈川県、兵庫県で暮らした年数によりそうなったのか、さらに距離を置いたことでそうなったのかはわからない。しかし、『実家の近くで生きる人生』を辞められたことで、だいぶ私は楽になった。
知っている土地、家族の気配、過去の人間関係、過去の自分からも離れて、イチから生活できるようになったことで、より一層楽になったと思っている。以前から関西の食事や雰囲気が好きだったこともあり、生活もだいぶ快適になった。
解毒とは親を許すことではない
毒親を許すことが重要という意見をたまに見かける。
私の実家の毒の中心は兄だったので、私の場合は兄を許すことが該当するだろう。
しかし、産まれてから成人するまでに受けた仕打ちを許すというのは、そんな簡単なものではない。許すにしても相当な時間が必要になるし、そもそも私は実家や家族を許す必要はないと考えている。
思うに、解毒とは親を許すことではない。
家庭由来の人生の判断基準、価値観から抜け出すことだ。
実家を許すことではない。
恨まなくなることでも、仲直りすることでもない。
まして、育ててくれたことに感謝することでもない。
望んでいるなら別にいいが、解毒のために無理に飲み込もうとすると余計に苦しくなるから、私はこういう穏健なやり方にあまり賛同はできない。
親がどう言うか、実家がどう思うか
という歪んだ価値基準を
私はどうしたいか
という本来の基準に戻すことが重要だ。
私が公務員になり、最終的に人生を投げうつ覚悟で退職したのはそのためだ。当時はそこまで自覚できていなかったが、今思うと、親や実家の価値基準に自分を合わせることに限界がきたのだと思っている。
実際、今の私の仕事はかなり不安定だし、恥ずかしくて年収も言えないレベルだが、公務員をしていた時よりずっとメンタルはマシだ。精神障害者ゆえにドカ鬱が来ることはあるが、それでも公務員時代よりは精神的に健康である。
距離を取るだけで全部治るわけではない
では物理的距離が解毒の決定打になるかといえば、残念なことにそうではない。冒頭で書いたように、この大移動で私ができたのは解毒でなく、毒を薄めることだった。
実際、今も私は人間関係を上手く構築できない。
殊勝な心掛けで短期バイトをしたことがあるが、人間関係を勝手に悪く想像する悪癖のせいで1日でメンタルを病み、そのまま退職することになってしまった。
人の顔色を過剰に窺う
悪いことを勝手に想像する(人に悪く思われているなど)
大声に過敏に反応する(自分に向けられていなくとも)
自己評価が異常に低い
など、人間関係構築の面で言えば毒の大半がそのまま放置されている。
だから今も、解毒したとはとても思えない。
しかし、実家や母親との悪い意味での精神的繋がりは以前よりかなり薄くなった。帰省は年に1回になったが、自分としてはこの頻度がちょうどいいと思っている。
老いていく母親が心配にはなるが、兄も比較的丸くなったらしい(15年以上会ってないから詳細不明)ので、実家のことは放り投げても問題なさそうだと判断できたのも大きいだろう。この辺はケースバイケースで、自分しか柱がいない状況だと毒薄めるだけでも、相当に難しくなるだろうと思う。
今後の解毒
思い切り物理的距離をとって毒を薄めたが、まだ毒は健在だ。
今後、どのように解毒していくかだが、いちおう計画がある。
まず、生活を安定させて資金をつくり、トラウマ専門のカウンセリングに通う。現在はそのための資金や環境作りの段階だから、まだしばらく先になるが、数年後には毒の中心にメスを入れられるようにしたいと思っている。
だが、そう考えられるようになったのも引っ越しのおかげだ。
神奈川に引っ越して物理的距離を取ったことで、ようやく治療について本気で考えられるようになった。説明していなかったが、兵庫県に引っ越したのは、県内に良さげなトラウマ専門のカウンセリングルームがあったからだ。
引っ越せば解毒できるという単純な問題ではないが、少なくとも自分の場合は引っ越しの連打が大きな転機となった。
今は定職に就かず、不安定な生活を続けている。
貧しくはあるが、実家や母親に気を使わずに、自分基準で物事を選択する練習を続けられている。
思うに、私は引っ越しの連打で家を離れたのではなく
実家の影響下で生きる人生から距離を置いたのだ。
というわけで、第2弾の記事は以上だ。
第3弾も予定しているが、これは少し悲しい内容になる。
毒親育ちは同じ苦しみや痛みを抱えた同胞だと私は思う。
しかし、SNSのコミュニティの中では毒親育ち同士の争いがしばしば見られる。
毒親育ち同士でも、毒の種類、解毒の段階によって見えるものは全く変わってくる。次回は、そんな毒親育ち同士の悲しい争いについて整理していく。
※追記:
毒家庭から離れた際にかかった、生々しいお金の記録。
関連記事:
私が今の生活を維持できている大きな理由は、障害年金を受給できたことだ。毒親・毒家庭育ちで精神障害を抱えた人にとって、障害年金制度は上手く扱えば大きな味方になってくれる。
以下の記事に、私の大まかな体験を書いてあり、記事末尾には障害年金申請や更新で生じる不安や困りごとへのアンサー記事案内も貼ってある。
実家を離れてからの生活を楽にできる可能性が高いので、一読することをオススメする。
毒親・毒家庭記事の第1弾
パワハラの詳細
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