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「AIがダメなら二次創作もダメ」の違和感。同人文化が赤字覚悟で守ってきた「愛と黙認」の境界線

AIの学習を巡る戦いが勃発すると、必ず出てくるのが「素材」の問題。
AI作成者は「学習とは二次創作と同じようなものだ」と主張するわけです。まあ、言わんとしたい「感覚」はわかる。

ここで見たように、法律的には「類似性(似ている)」「依拠性(元の作品をベースにしている)」の2点が揃えば、著作権侵害になるそうです。
二次創作はそういう意味ではまあ正直なところ「著作権侵害物」ではありますね。
「それが許されてるのに、なんでAI生成物は法的に守られないのか?」というのが趣旨になるかと思います。

侵害が成立する条件とされない理由

結論から言えば「原著作者および権利管理者が訴えたら、全部アウト」ではあるんです。
だって著作権侵害は基本親告罪だから。
アウトになってないのは訴えが上がっていないから。
訴えが上がらないのは「その二次創作で著作権者の懐や名誉が痛まないタイプのCM活動がガイドラインと黙認を元に行われているから」にすぎません。

これらの記事に出てきた権利者の方が訴えないのは「厚意」でしかないわけです。その上で、
・対価を得る目的(商売目的)であること
・原作をそのままコピー(デッドコピー)していること
・原作の利益が不当に害されること
非親告罪
要件であるこれら3つに該当しないのであれば、二次創作は「人間の創造的な表現」があるのなら、特殊な著作物のうちの二次的著作物という合法著作物と日本では位置付けられています。

ここで学んだように現代著作権解釈は「その行為自体の合法・違法に関わらず創造性によって判断されている」からですね。
ただバ〇クシーの壁の絵は、壁の持ち主の所有権の主張如何によって便所の落書きと同じ扱いを受けても仕方ないというのと同じで、原著作者が被害を申告したらそっちの方が優先されます。

その法的判断で2023年にアン〇ィー・ウォーフォール財団は負けました。
リン・ゴール〇スミス(写真家)が撮った写真をアン〇ィー・ウォーフォールがマリリン・〇ンローとおんなじような感じで使って作品を作った。そのことにゴール〇スミスが怒ったという件です。
盗用か公正利用(リスペクトやオマージュ)かで争われました。……芸術家のプライドとお金がかかってますから、なあなあではいきません。
ウォー〇ォール側としては「別に元の写真や商品の市場価値をおとしめるわけじゃないし」「既存の素材を「素材」として使って、全く別の芸術作品に昇華させてる=著作権を得るに足る新たな著作物」だからええやん、と抗弁したようです。が、負けました。
「現代では元になる著作物の権利者の許諾を得て、きちんと取り決めないと、勝手なことをしてはならない」という前例になった判決です。

AIポン出しがボロカスに言われる理由

この記事でAIポン出し=パブリックドメインであると明らかにしました。
にもかかわらず、それを生成したプロンプト作成者が、プロンプトの生成結果について「私がかきました!」って言いがちだからじゃないですかね(初期はそうでした。最近はどうなのか、火中の栗は覗いてないんですが)。
でも違うんですよ。
プロンプターの主観としてはそうかもしれませんが、法的には「おさるのジョージがカメラでとった写真」扱い
法的には「パブリックドメインだからって何してもいいわけじゃないからね」という制限をかけてはくれてますけど、「著作権の主張は基本できない」のです。

さらにひどいのが、学習元になったコンテンツに極めて「似て(類似性)」たりすること。
最近ではセー〇ームーンに似たポスターとかありましたね。
これ、PCやデータベースの中を漁られて「ベースにしている作品(依拠性)」が立証されてしまうと、2アウトで著作権侵害となる極めて危うい使用状態なのですよ。
この立証をディ〇ニーや〇天堂が本気を出してやったら……と考えれば、どれだけヤバい橋を渡っているかというのはお判りいただけるかと思います。
あと、プロンプターさんの著作権は「言語の著作物」にあるので「絵の著作物」の権利を持つ絵師ではやはりないのですよ。
それらに無自覚だから原著作権者含め界隈から『オマージュ』ではなく『パクリ』扱いされているというのが現状かと。

二次創作者界隈の暗黙の了解

私が中学生のころは、二次創作同人誌の稼ぎでハワイに旅行へ行ったり、高級車を買ったりという噂の作家さんがたくさんいました。
しかし今、そういう作家さんの存在を聞きません。何故か。
どうやら昨今の二次創作作家さんたちは、多くの場合は赤字か、せいぜいトントン程度の値段しかつけていないからです。つまり自腹でお金を出して本を作り、赤字覚悟で愛を叫んでいるわけですね。

昨今では非親告罪要件にひっかかるから、という理由もあるんですが、結構この伝統は二次創作系同人誌界隈では暗黙の了解らしいです。
本の販売の事を「頒布」という言い方をするのもそのためだとか。販売だと「「利益」を目的」としますが、頒布というのは「有料無料を問わず「読み広げる」」意味を含むので、慣習的に使われているらしいです(本当は映像権利用語ですが)。もともとは作った本を同好の士で物々交換する、という文化性から始まっていることを示しているとのこと。
この行為は公式の売上を奪うどころか、むしろ「こんなに好きな人がいるんですよ!」と熱量を持って宣伝してくれる存在となっている。原著作者のコストゼロで行われる、最高精度のファンマーケティングといえます。だからある程度のガイドラインを策定し、それを守ってくれるならと黙認されているのです。

ただAIが登場してからは特に、それを知らない年齢層が営利目的で公式の業務や利得を侵害し始めたんですね。この人たちはたぶん非親告罪要件も原著作者の「厚意」も知らないと思われます。
だから最近では原著作物(ゲームとか、漫画とか)になりそうなものは、そのコピーライトガイドラインとして「儲けるな」等の項目を付随させていたりしています。
警告はしたぞ、ということです。守らなければ法廷で会おう、という話。

「AIポン出し」は同人文化とどこがちがうのか

ここが「二次創作もAIも同じじゃないか」論の最大のズレです。

コミケ文化を公式が黙認してきたのは「作品への愛があり、赤字覚悟で、公式の市場を奪わない」からでした。もちろんその活動を支持する人たちは原著作を無視して「私のコンテンツです!」なんて口が裂けても言いません。
だから法的にはグレーだとしても「これは敵じゃなくて仲間だ」と公式を含めて判断できる要素が揃って黙認されていたわけです。

けれども利益を二次創作に求める活動はその条件をことごとく満たしません。
愛情よりも利益や歪んだ承認の効率が優先され、大量に作られ、安値で市場に出回ることで公式や同人作家の市場を浸食し、著作者人格権を土足で侵害していきます。
公式から見れば、共生できる相手ではなく、寄生してくる存在に映るのは当然のことなんですね。

というわけで、論点がズレている理由をまとめると

「AIがダメなら二次創作もダメ」という主張は、法律の表面だけを見た議論です。
二次創作が長年グレーゾーンで生き延びてきたのは、法の抜け穴を使ってズルをしてきたからではありません。
作品への本気の愛情と、赤字覚悟の熱量と、公式の市場を奪わないという絶妙なバランスがあったからです。

「好きだから、損をしてでも描く」という人間の情熱が、日本独自の巨大なコンテンツ文化を支えてきたというのは、考えてみると本当に面白い現象だと思います。

AI活用の是非を議論すること自体はとても大事です。
ただ「二次創作と同じだ」という論法は、二次創作文化が積み上げてきた独特のバランスを無視した比較だと、個人的には感じています。

※本記事は知的財産検定3級の学習記録をもとに、著作権法の条文と各社の調査報告書を参照してまとめたものです。
法的な判断・アドバイスを提供するものではありません。

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