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LIRE CINÉMA #04|『スパイダーマン:ブラン・ニュー・デイ』を観て、「何者か」である前に、自分でいられるかを考えた。

人は、何かに所属する。

学校、会社、家族、コミュニティ。

初対面の人に「何をしている人ですか」と聞かれれば、多くの人は会社や職業を答えるだろう。

所属は、自分という人間を説明するのに便利だ。

「私はここにいる人間だ」と言えることは、ときに、自分が何者なのかを自分自身に教えてくれる。

けれど最近、その逆もあるのではないかと思うようになった。

所属することで、自分が何者なのか分からなくなることもある。

映画『スパイダーマン』の新作を観ながら、私はずっとそんなことを考えていた。

「何かの一部」だったピーター・パーカー

これまでのピーター・パーカーは、いつも何かの一部であろうとしていたように思う。

アベンジャーズの一員。

トニー・スタークに認められた少年。

そして、スパイダーマンである自分。

もちろん、ピーター自身がヒーローになることを望んでいた。

けれど、彼の周りにはいつも自分より大きな存在があり、その期待に応えようとする姿があった。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。

スパイダーマンという存在を象徴する言葉だけれど、ピーターはその責任を、少し背負いすぎるくらいに背負ってきたのかもしれない。

今作でも、それは変わらない。

むしろ印象に残ったのは、彼がスーパーヒーローであることを背負うために、普通のピーター・パーカーとしての生活を、どこか意識的に諦めようとしているように見えたことだった。

ネッドたちは大学に進学し、学生生活を楽しんでいる。

MJも新しい恋人を作り、自分の学生生活を送っている。

ピーターは少し離れたところから、そんな彼らを見つめている。

友達もいない。恋人もいない。

普通の学生として彼らの輪の中に入ることだって、本当はできたのかもしれない。

でも彼は、入らない。

スパイダーマンとして背負うべきものがあるから。

その姿を見ていると、何かの役割を背負うことと、自分自身として生きることは、ときに両立しないのかもしれないと思った。

ピーターは、ずいぶん大人になった

それでも、今回のピーターを見て最も強く感じたのは、彼がずいぶん大人になったことだった。

以前のピーターは、もっと衝動的だったように思う。

自分がその瞬間に感じたことに突き動かされ、走り出す。

良くも悪くも、それが彼の若さだった。

前作から少しずつ感じていた。

判断の軸に「自分以外」が加わっているということ。

それがよく表れていたのが、今作におけるMJとの関係だった。

自分が彼女の恋人だったことを伝えたい。

きっと、ものすごく伝えたい。

それでも彼は、「自分が伝えたいか」だけではなく、「それを聞いた彼女はどう思うのか」まで考える。

そして、言わないという選択をする。

結局は知られることになるのだけれど、私はその前の、ぐっとこらえるピーターが妙に印象に残った。

昔の彼だったら、言いたくてたまらなくなって、全部ぺらぺら話してしまったんじゃないだろうか。

感情がなくなったわけではない。

むしろ、ある。

その感情を抱えたまま、一歩引いて自分を見ることができるようになった。

それが私には、大人になるということの一つに見えた。

自分を知ることは、他人を知ることでもある

そして、その変化が最も表れていたように感じたのが、ジーンを説得する場面だった。

ピーターは、自分がヒーローとして抱えてきた葛藤を語る。

自分が何を背負ってきたのか。

何に苦しんだのか。

それでも、なぜヒーローであり続けるのか。

彼がジーンに寄り添えたのは、単に二人が近しいシチュエーションだったからではないと思う。

ピーター自身が、自分についてかなり高い解像度で理解できるようになっていたからだ。

自分の痛みを言葉にできるから、似た痛みを持つ他人のことも想像できる。

自分を理解することは、自分の内側だけを見つめることではない。

自分の輪郭が分かるからこそ、自分ではない誰かの輪郭も尊重できる。

今作のピーターの優しさには、そんな成熟があったように思う。

「所属すること」と「自分であること」

ここまで考えて、私は最近の自分のことを思い出した。

仕事をしていると、ときどき、

「そういう言い方はしない方がいいですよ」

「自分の意見を押し付けすぎちゃいませんか?」

と言いたくなる場面が多々ある。

なぜなら、人一倍自我の強い自分が、自分自身にこの疑問を常に頭に抱えながら、自分の意見を押し付けすぎないように心がけて生活しているからだ。

自分はこんなに気を付けているのに…と、つい指摘したくなるのをぐっとこらえ、会社員として働いている。

けれど、私はいつからか、意識的に自分のアンテナを鈍らせるようになった。

本当ならプライベートの私のアンテナに、ガンガン引っかかるはずの発言や出来事。

「なんでだろう」

「それって本当にそうなのかな」

「この考え方と、あの出来事って実はつながっているんじゃないか」

そんなことをいちいち拾って、細かく分解して、考えてしまうのが私だ。

でも、それを拾わない。

考えない。

ぐっとこらえて、

「そうですよね〜」

と適当に相槌を打つ。

その方が、自分を守れるから。

けれど、あるとき思った。

私は今、自分を守るために、自分のアンテナをわざとお粗末にしている。

自分を守るために、自分らしさを削っている。
それは、本当に自分を守っていることになるのだろうか。

自分らしさは、環境によって大きくも小さくもなる

いろいろなものに興味を持つこと。

好きなものを、とことん掘ること。

小さな違和感を拾って、言葉にすること。

一つの出来事をいくつにも細分化して、「これはどういうことなんだろう」と考えること。

私は、自分のそういうところが結構好きだ。

面白い映画や本、コンテンツに出会って、頭の中から考えがどばーっと溢れてくる時間が好きだ。

友人と、とんでもないスピードで言葉を交わしながら、「それ分かる」「でも私はこう思う」と話がどこまでも広がっていく時間も好きだ。

それぞれに違う興味があって、違う考え方があって、それを「違うね」で終わらせずに面白がれる場所にいるとき、私はたぶん一番私らしい。

だから、自分らしさが失われていく環境に居続けることが、最近少し怖くなった。

自分の感度を下げなければ馴染めない場所に長くいたら、いつか、本当に何も引っかからなくなってしまうんじゃないか。

私はそのアンテナこそが好きなのに。

それを失ってまで守らなければならない所属って、なんなんだろう。

所属することが、悪いわけではない

だからといって、私は「組織なんて必要ない」とは思わない。

むしろ、人は一度くらい、何かに所属した方がいいのかもしれない。

自分と違う人と一緒に何かをすることで、協調することを覚える。

一人ではできない大きな仕事もできる。

そして何より、他人の中に自分を置いてみることで、

「私はこういう人間なんだ」

という輪郭が、かえってはっきりすることがある。

ピーターにとっても、アベンジャーズの一員だった時間が無駄だったとは思わない。

トニー・スタークと出会い、大きな世界を知り、自分よりはるかに強い存在たちと共に戦った。

その経験があったからこそ、今のピーターがいる。

大切なのは、所属するか、しないかではない。

所属することを、自分の価値そのものにしないことなのだと思う。

大きな場所にいることと、大きな人間になることは違う

人は、所属先で自分を説明する。

どこの学校を出た。

どこの会社にいる。

どんな仕事をしている。

どんな人たちと付き合っている。

特に日本では、「どこに所属している人なのか」が、その人自身の価値と混ざり合う場面が少なくないように思う。

もちろん、所属は自分を形づくる一つの要素だ。

でも、それはあくまで一つの要素でしかない。

それなのに、所属するために自分の輪郭を削り続け、弱ってしまうのだとしたら、本末転倒だ。

自分を知るために組織に入ったっていい。

そこで成長したっていい。

合わなくなったら、離れたっていい。

また別の場所を選んだっていい。

所属は、自分を知り、自分を活かすための手段の一つであって、目的ではない。

そう考えたら、少し気が楽になった。

最悪、会社なんて辞めてもいい。

会社を辞めれば、その会社の社員ではなくなる。

でも、それで私自身までなくなるわけではない。

むしろ、そこにいるために自分のアンテナを鈍らせ続ける方が、私にとってはずっと怖い。

取り戻して、リニューアルする

今作のピーターを見て、私は「取り戻した」という感覚を覚えた。

でも、昔のピーターに戻ったわけではない。

いろいろなものを失った。

たくさん傷ついた。

アベンジャーズの一員だった時間も、トニーとの時間も、MJやネッドと過ごした時間も消えない。

それらを全部抱えたまま、もう一度、自分の手が届く範囲に目を向けている。

世界のすべてを背負おうとするのではなく、自分が影響を与えられるものに集中する。

それは、スケールダウンではない。

一度失い、考え、自分自身を知ったうえで、

「自分は何を背負うのか」を選び直したのだと思う。

だから私には、今回のピーターが以前より小さくなったようには見えなかった。

むしろ、以前よりずっとピーター・パーカーだった。

何か大きなものの一部であることで、自分まで大きくなったように感じることはできる。

でも、自分らしさを最大限に発揮できる場所が、一番大きな場所とは限らない。

どこに所属しているかではなく、

そこで、自分のアンテナをちゃんと張っていられるか。

自分が感じたことを、自分の言葉で考えられるか。

自分ではない誰かの考えも、面白がる余裕を持てるか。

これから何かに所属するとき、私はそんなことを基準にしてみたい。

「何者か」であることより先に、自分自身でいられること。

たぶん私は、それを失わないためなら、居場所くらい何度でも選び直していい。

何かを失ったからといって、昔の自分に戻る必要はない。
そこで知ったことも、傷ついたことも、全部抱えたまま、また自分に合う場所を選び直せばいい。

そうやって始める新しい一日も、きっと悪くない。

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