贅沢さからゆたかさへ。ローカルのナラティブが生み出すラグジュアリー
ラグジュアリーとは何か?
10月からの3ヶ月半をかけてLetters from Nowhereの「新しいラグジュアリー」講座の中で取り組んできたこの問い。
今回の講座では、「本をつくる」をテーマに毎回課題を進め、概要や目次、装丁など本の企画作成を通して「ラグジュアリーとは何か」を深めていきました。
全7回を通して改めて考えさせられたのは、自己顕示欲のための「贅沢さ」ではなく、本当の意味で自分が意味を感じることができ、充実感を得られる「ゆたかさ」への転換でした。
以下は、課題の中で書いた本の「あとがき」を想定した文章です。
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あとがき:贅沢さの消費から、ゆたかさをつくり出す側へ
意味のあるお金の使い方がしたい。本当に「いいもの」が欲しい。
これはお金持ちであるかどうかに関わらず、消費者である以上誰もが抱く願望だと思います。しかし多くの人にとって課題なのは、「本当に自分を満たしてくれるもの」が何なのかを探し出すのは至難の業であるということです。この答えがすでに見つかっている人は、それだけで幸運であるといっても過言ではありません。
そして多くの人は本当に自分を満たしてくれるものが何かの答えが見つからないからこそ、甘い言葉で語られる広告やマーケティングにほだされて、本来は必要ではないものを手に入れては「これではなかった」と落胆を繰り返しています。
本来、ゆたかさとは人の数だけ答えがあるものです。しかし、自分なりのゆたかさを見出すのは面倒くさい。だから手っ取り早く他者に定義付けされた「ゆたかさ」をお金で買うことで満たそうとする。しかし、それらをどんなにたくさん手に入れても本来の自分のゆたかさに向き合っていない以上、本当の意味で満たされることはありません。そして私たちの興味は次の「自分を満たしてくれそうなもの」へと移り、永遠に終わることのないループを繰り返しています。
私は、ラグジュアリーについて考える際いつもドラッカーの「自分は人生の終わりに、どのような人間として記憶されたいか」という問いを思い出します。
高いものを買い集めた人間として後生に記憶されたいのか?豪邸を建てたことを讃えられたいのか?
多くの人はこの問いに「No」と答えるでしょうし、実際にラグジュアリーを「消費した」側として記憶されている人はほとんどいません。将来にわたって記憶されるのはラグジュアリーに限らず何かを「つくった」側であり、未来に向けて何かをつくることこそが「よい祖先になる」ということだと思います。
ラグジュアリーという言葉に「自分は関係ない」と感じる方も多いかもしれませんが、誇りの持てる豊かさをつくり、未来に残すことはあらゆる人が目指すものではないでしょうか。その内容が人によって異なるだけで、多くの人は自分の住む場所、関わったものや人が他者からも認められる価値あるものにしていきたいと思っているはずです。
そのためのひとつの視点として、私は今回「ローカル」という軸からラグジュアリーを語ってきました。本文にも書いた通り、ローカルとは田舎だけを指すのではありません。都市の中にも郊外にも、そこに土地ならではのナラティブがあるかぎり、あらゆる場所に「ローカル」はあります。
私たちは、ラグジュアリーをどこか遠くにある桃源郷のように捉えがちです。しかし、本当のゆたかさは誰しもの身の回りにある何気ない風景の中にあるのです。自分にとっての当たり前は、誰かにとっては憧れのゆたかさになりえる。ローカルの伝え方を少し変えるだけで、日常の風景はかけがえのないラグジュアリーへと変貌を遂げます。
ラグジュアリーは、受動的な消費者としてではなく能動的に作る側として捉える方が、より充実感を感じられるのだと私は信じています。
土地と歴史が育んできたものに健全な誇りを持ち、未来にゆたかさを継いでいくために。
自分にとっての「ローカル・ラグジュアリー」を見出すきっかけとして、この本が何かのヒントとなっていれば幸いです。
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本を作る上で、その本の概要や課題意識を整理するための「はじめに」を書くことは多いですが、本の全体を俯瞰した上でまとめとしての「あとがき」を書いたのは初めての経験でした。
そしてこの「あとがき」を書いたことで、この本を通してもっとも伝えたいこと、自分が「ローカル・ラグジュアリー」というテーマ設定をした意味を整理することができました。ローカル・ラグジュアリーとは単に地方に人を呼び込むためのものではなく、都市や郊外も含めてあらゆる土地の人々が自分たちの足元のゆたかさを捉え直し、コミュニティ外にも伝わるかたちに普遍化・一般化することで誇りを取り戻すプロセスである。
これこそが私が10万字をかけて伝えたいことであると再認識しました。
その上で、当初想定していた目次も大幅に修正しました。以下が最終稿として提出した目次です。
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目次:
1. ラグジュアリーを追い求めて、私たちは幸福になったか?
「ラグジュアリー=一生もの」という誤解
高級品を買うための競争と狂乱
ブランドものをねだる子どもたち
「ロゴドン」の忌避とクワイエットラグジュアリー
ラグジュアリーは消費者との共同作業
私たちがラグジュアリーに本当に求めているもの
この章で語ること:
もともと貴族のライフスタイルをベースに発展してきたラグジュアリーなアイテムをそのまま庶民の暮らしに取り込むことによる誤解(高い=長く使えるわけではない、むしろ繊細なのでお手入れや保管にコストがかかるなど)を紐解きつつ、これまで私たちが享受してきたラグジュアリーが本当に私たちが求めていた「豊かさ」なのか?の疑問を提示する。
お店に入るのに並ばなければならない、欲しくもないものを買わないと本当にほしいものが手に入らないといった状態は本当に「ラグジュアリー」なのか?
またロゴを大きくつけた製品を忌避する流れやクワイエットラグジュアリーの台頭も、本当のラグジュアリーを求める機運として紹介。さらに、ラグジュアリーは受け取るだけでなくこちらも参加しなければ作り上げられないものであるという視点も提案。
<関連note>
2. ラグジュアリーは “贅沢”から”ゆたかさ”へ
富裕層ほど「意味ある使い方」が求められる時代へ
「贅沢」と「ゆたかさ」の違い
ブランドはローカルのナラティブをベースに始まる
都市の中の「ローカル」
この章で語ること:
前章を受けて、本当に意味のある豊かな使い方が求められていることを解説。人に自己顕示するために無駄をつくり消費する「贅沢」ではなく、「よき先祖(Good Ancestor)」になるための「ゆたかさ」への投資への発想の転換を提案する。
その上で、ゆたかさを作るには土地に根付いたナラティブが重要であることを解説。また、ローカルとは地方だけを指すのではなく、都市や郊外にもあることを強調する。(=地方創生の文脈ではなく、都市生活者も含めたあらゆる人々が豊かさ、ラグジュアリーを作る担い手である)
3. ローカルのゆたかさを遠くに届く「ラグジュアリー」へ
ゆたかさをラグジュアリーへ “翻訳”する
土地固有のナラティブを普遍的な哲学へ
プレミアムな価格をつけることの意味
ラグジュアリー・ツーリズムにおける「ガイド」の役割
ローカル・ラグジュアリーを構成するもの(※要研究)
この章で語ること:
ローカルの豊かさはその地域の外側にも価値が伝わることで「ラグジュアリー」になる。また、ここでプレミアムな価格をのせることで、お金を払ってもらえる価値があるという気づきがその土地の誇りになる。豊かさを内側だけで完結させず、外にも理解してもらおうとすることが結果的にその土地の誇りと活気につながる。また、その橋渡し役としてのガイドの重要性も解説。
※具体的なラグジュアリーの作り方、伝え方は要研究
<関連note>
4. ローカル・ラグジュアリーを訪ねて
ケーススタディ①
ケーススタディ②
ケーススタディ③
ケーススタディ④
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上記の目次を見ていただくとわかるとおり、この本は「実践」の部分が欠落しています。足元の「ローカル」を、文化圏の違う人にも理解できる「ゆたかさ」として理解してもらうための翻訳とは具体的にどういうことか?プレミアムな価格を支払ってもらうための具体的な設計とは?
こうした具体的で実践的な知識は、まだこれから勉強していく必要があると思っています。一方で、昨今のインバウンドブームの前からローカルの文脈を丁寧に「ゆたかさ=ラグジュアリー」へと昇華し、まちの誇りと活気を取り戻している事例を私自身、実際に目にしてきました。
まだ体系化されていないこうした取り組みを訪ね、その取り組みの手法を紐解くことで、あらゆる土地で「ローカル・ラグジュアリー」に取り組む人が増えるのではないかと思います。
あとがきにも書いたとおり、私たちの身の回りにはすでに「ゆたかさ」の萌芽は存在しています。ただ、幸せの青い鳥と同じでその土地の人自身にはそのゆたかさが見えていないことが多い。そしてよそのゆたかさにばかり惹かれてしまう。
以前書いたnoteで、「ななつ星」をデザインした水戸岡鋭治さんのこんな言葉を引用したことがあります。
たぶん高級でなくてもいい。駅のホームにいいベンチがあって、きれいな緑や借景があって、整理・整頓・清掃・清潔・躾というくらいに町をデザインすることによって、街は商品価値が上がって「桃源郷」になってゆくんですね。
(中略)
それこそが本当の観光地で、インバウンドが増えればいいという発想とは違う。桃源郷を作るのが観光の目的です。
桃源郷というのは、探して彷徨うものではなく自らの手で作り出すもの。贅沢さを手っ取り早く買って消費するのではなく、未来に残したいゆたかさをつくるためにコツコツ取り組むことこそが、本当のラグジュアリーなのではないかと私は思っています。
そしてこの桃源郷づくりは、世界遺産になるような景観や名所があるような特別なまちだけのものではなく、自分が住んでいるまちを愛し、誇りに思う人たちが住む場所すべてにそのポテンシャルがあるはず。その土地で受け継がれてきた豊かさを、外の人にも伝わるラグジュアリーに昇華するには?そのための伝え方、ナラティブ設計がこの本のメインテーマです。
連載「ローカル・ラグジュアリーを訪ねて」をはじめます
とはいえ、「ローカル・ラグジュアリー」を実現するための具体的な手法がまだ自分の中で体系化できていないのも事実です。
そこで、まずはそれぞれの地域でラグジュアリーに取り組む事例を訪ね、自分なりに考えたことをまとめる連載をnoteのマガジンではじめたいと思います。ケーススタディに関しては全文無料で読んでいただけるようにするつもりです。
連載記事のイメージは、昨年宿泊した他郷阿部家の感想noteです。実際に自分で足を運んで感じたそれぞれのゆたかさを言語化していきたいと思っています。
今回、「新しいラグジュアリー」講座に一緒に参加した方々もそれぞれの土地でラグジュアリーに取り組んでいる方が多く、まずはそこも訪ねていきたいと思っています。
また、まだまだ私が知らないだけでそれぞれの土地でラグジュアリーを創り出している方はたくさんいらっしゃると思います。「こういうところを尋ねてみるといいよ!」というおすすめがありましたらぜひnoteのクリエイターへの問い合わせかXのDM宛にご連絡いただけると嬉しいです!(知人のみなさまはFacebookのメッセンジャーやInstagramのDMでも)
まだ具体的な出版計画すらない企画ではありますが、まずはケーススタディを貯めていくこと自体にも価値があると思っているので、ぜひご協力いただけると嬉しいです!
あと、今回の受講者のみなさんと「新しいラグジュアリー」をテーマに書いたnoteをまとめて読むためのマガジンも、主宰者の安西さんが作ってくださいました。受講後の感想を「卒論」のようなかたちでまとめたnoteも今後アップされていく予定なので、ぜひあわせてチェックしてみてください!
今回、参加者のみなさんの「卒論」に私からも軽くアドバイスをさせていただいたのですが、長らく発信を専門としてきた身としても、本質的なゆたかさに向きあい取り組む方々が外に向けてどう発信すればその価値を広く普遍的に届けられるのかについて探究していきたいと思っています。
こうした探究の成果はメンバーシップ内でもシェアしていきたいと思いますので、編纂室の方もどうぞよろしくお願いします!
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