【アダルト・チャイルドワーク③】/インナーチャイルド・ワーク
こんにちは。
「未知の自分に価値を見出す」―――Mystic Pioneer(ミスティック・パイオニア)―――DEUKUです。
書籍『アダルト・チルドレン 癒しのワークブック』に基づいた取り組みについてリポートするアダルト・チャイルドワークシリーズ、1回めは第Ⅰ部のダイジェストと第Ⅱ部のstep7「グリーフ・ワーク」まで、2回めはstep7つづきの「出さない手紙」、step8の「リプロセス・ワーク」について語りました。
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今回は遂に自身のインナーチャイルドに逢いにゆきます。
過去の自分と会話してみての感想について語る記事です。
第Ⅱ部の構成はこんな感じ。
第Ⅱ部『自分の癒しに向き合う』
step6:心の傷を表現する
step7:グリーフ・ワーク
step8:自分の新しい過去をつくる
step9:インナーチャイルドを癒す 👈
step10:自分を受け入れる 👈
step9 インナーチャイルドを癒す
そもそも、インナーチャイルドとは『内なる子ども』と訳され、子どものときについた心の傷が精神的な成長を止めてしまい、大人になってから様々な不具合が生じている状態について触れていることが多いです。
例えばわたしだと、現在の仕事で若手だった頃は女性上司との関係がことごとくうまくいかず、社内ニートに至るまでになりましたが、母親との関わりを再演していたためであることがなんとなくわかりました。
自分の側に要因があるとわかった以上、何か手を打たないと一生ついて回る。
仕事での当時の状況についてもマガディィィーーーンにまとめています👇👇👇
つまり「インナーチャイルドに逢いにゆく」ということは、心の成長が止まってしまった年齢まで遡るということで、わたしの場合は6~7歳の頃でした。約30年も成長が止まっていたことに卒倒しそうですけど(爆)
これはもはや催眠療法的な感じで、意識的にその年齢を選択したわけではなく自然とその年齢の自分が現れた形です。
自分で言う分には自由なので言いますが、母親のしつけが自分で思っていた以上に相当ショックな体験だったようで、いわゆる“トラウマ化”しているよう。
わたしはなぜだか知りませんがもはや特技と言えるほど催眠や暗示にかかりやすいので、ひとりの空間でも普通に意識を飛ばしていました(爆)
○ インナーチャイルドに逢いにゆく
インナーチャイルドはどうやら姿があるようで、でうくの場合、逢ったのは6~7歳の年齢ですが、姿は4~5歳の子どもでした。
見た目は意外にも“ホゴシャ”に似ている・・・ああでもそうか、4~5歳の頃はパーマをかけていてウェーブヘアだったんだっけな。
「お人形さんのようだね」とよその家のママから言われたことを思い出す。


“ホゴシャ”を子どもの年相応に幼くした感じで、でも目は死んでいなくて(爆)、子どもらしい生気はある。感情豊かな表情をしているけれど、そのときは隠れてはいながらも激しく泣いていた。
・・・・・・いずれ、涙だけは勝手に落ちてくるものの、感情としては何も感じなくなることを考えると、出てきたインナーチャイルドはまだその手前の時期の子であると思われる。
向こうの方から寄ってきてしがみついてくることはあるが、こちらから触れようとすると避ける。
話しかけると意外にも素直に応じてきた。そういえば、人をいよいよ信じられなくなってはねつけるようになるのはもっと後の年齢の話で、この年齢だとまだ人懐こさが残っていたのだった。
細かい会話の内容は割愛するが、感想としては
これが自分なのかと信じられないくらいには「いい子」だ。
何がいけなかったのか。原因がわからない罪悪感と、改善しようのない無力感にただただ自分を責めている。
「わたしは“きみ”が心配だよ」と言うと、『ママが心配』と言う。
「・・・きみは優しいね」と言うと、驚きとはにかみの混じった表情で『・・・でも、いじわるって言われるよ!』と言う。
「叩くことって暴力だからね」と言うと、『・・・・・・殴るのは暴力だけど、たたくのはしつけって聞いたよ』と言う。確かにそう言われて育ったが。
とにかく、母親を庇おうとするのだ。
(・・・・・・健気だな!)
ンン・・・ッ!相手は自分なのにそのいじらしさに変な声が漏れそうになる。
『子どもは動物と同じだからたたかないとわからないっていうよ』
「・・・あのねぇ、じゃあ、わんちゃんとかねこちゃんとかが叩かれたり、踏まれたりしてもいいってことになるんだけど、どう?それを見てどうも思わない?」
そう訊くと、顔を真っ青にするので
「でしょ?だから、誰が何をしていたとしても叩くことは絶対にいけないことなんだ。きみを叩くママのこと、わたしは許せないな」
―――そう言ったとき、「・・・ああ、わたしは許せないんだな」と実感しました。
インナーチャイルドは『で、でも、ごはんちゃんと作ってくれるよ』となおも母親を守ろうとしますが
「それとこれとは話が別だよ」
・・・・・・ここが境界なのだと知る。誰であっても、どんな事情があろうとも、越えてはいけない“境界”がある。ダメなものはダメなんだ。
「・・・でもね、許せないけど、だからといって何もしないよ。
ママに罰を与えるわけでもないし、きみたちとママを引き離すわけでもない」
―――許せないと判断したら何かをしなければならない気がしていた。
でも、別にしなくてもいいし、嫌いにならなくてもいいんだよね。
わたしはここまで、わたしのペースで、気持ちよく話をしていた。
子どもにとっては少し難しいと思える話も、わたしならば少し大きくなったら理解できると思って、詰め込み気味に伝えた。
つまり、インナーチャイルドはずっと“聞き役”であったということ。
とても素直に、お利口さんに、話し手であるわたしが満足できるような態度で聞いている。
話の腰は折らない。折ったら叩かれるから。
話はしっかり聴く。聞いていないことがバレたら叩かれるから。
適切なタイミングで適切な相槌を打つ。ズレてしまうと叩かれるから。
何度も聞いている話でも初めて聞くような反応をする。反応が薄いと叩かれるから。
初めて聞く話でも知っている顔をする。聞いていないのかと叩かれるから。
子どもの耳でも、何時間だって話を聞いた。疲れた顔を見せると叩かれる。
わたしは現在も、お店でひとり飲んでいると、結構な確率で知らない人から声をかけられる。
面白いから聴いているだけだが、相手はなんだか気に入ってくれて、奢ってもらえることも多い。もちろん遠慮はするものの、最終的にはお言葉に甘えることもある。
「不思議な人だね」と言われたりもする。
「まるでカウンセラーみたいだ」とも。
・・・・・・わたしのその「カウンセラーのようなスキル」が、このときには既に“生存戦略”として身についていたと思うとなんだか切なくなるな。
○ インナーチャイルドの居る場所
「居場所」ではなく「居“る”場所」。
生卵にたとえると“黄身”に該当する部分がインナーチャイルドなのだろう。だが、前回の記事にも示した通り、わたし自身にはどろどろの白身しかない。
黄身(=インナーチャイルド)は未だ「ママ」のところに居るのだろうなと思う。
「ママは元気に今も生きているよ。仲良く親子も続けているさ。
ママも前に進んでいるから、きみもわたしのところに戻っておいで」
そう呼びかけているのだが、インナーチャイルドの戻りは弱い。
弱いというか、不安定だ。戻ってきているときもありはするが。
『他人』のような人格である“ホゴシャ”の方がまだいなくならない安心感がある。
せっかく見つけて、ママの現在も伝えたのに、まだママに引っ張られるよう。きみの「ママ」はどれだけ追いかけても過ぎたものでしかないことを教えたはずなのだけれども、6歳児の脳ではまだ理解できないのか。
ここでまた、ジャーナリングをしてみる。
「インナーチャイルドはいったい何に囚われているのか?」を深掘りしていくと、想像していなくもなかった一つの結論に辿り着く。
・・・・・・やっぱり、あの「絶食ダイエット」か。
インナーチャイルドが出逢ってすぐに持ち出してきた話題もそれだった。
「だから、母は元気に生きているんだって」と言っても、恐らくは、自身の行動が適切でなかったためにあのときはうまくいかなかったのだと思っている。
そのときの罪悪感と無力感、絶望感も解消されたわけではない。
「わたしはお調子者で薄情者」と自分自身が長らく思っていたからなかなか気づかなかったけれど、そういえばわたしは意外と隠すのが上手なのだった。
空気が読めないわけではない。
初めこそ「お調子者」だったかもしれないが、気づかないふりもしていたし敢えて空気を読まずにお調子者を演じていたこともあった。「薄情者」も、冷たいとか意地悪とか言われたからそう思ってきたが、この頃からそうだったのかはわからない。
「次は失ってしまうのではないか」。いずれにしてもきみの責任の負う範囲ではないよと大人のわたしはわかっているが、この子どもは、自分の行動によっては失ってしまうと思っている。
だから、離れられないんだな。
step10 自分を受け入れるのはもう少し先
○ インナーチャイルドに振り回される
一方で、インナーチャイルドのわたしに対する注文は多い。
大人は万能な存在だと信じて疑わない。
わたしが今回のワークに至った理由は、自分のことを大切にできないが故に自分のことを後回しにする結果、不調や身体の変調に見舞われているので、「細く長い」働き方へシフトするために必要な工程だと感じたからである。
その軸はぶれたくない。
・・・・・・この頃から既にわたしは自分を後回しにしている。
「仕事に自分の存在意義を求める」というワーカホリック的な考え方はかなり軽減されたが、自分の置かれていた環境をなんとなく理解したインナーチャイルドは
『わたしはもうやった(経験してしまっている)から、他の人を助けて』
なんてことを言う。
「・・・・・・あのねぇ」
もう既に痛みを経験してしまった後だから他の人にどうぞ、ではないでしょ。
そういう問題ではないのだよ。
その影響なのかはわからないが、近頃は完全に他者優先の行動の仕方だ。
自己満足になってしまうからと抑えていた言動が勝手に出てくる。
そして、子どもは大人の体力を考えてはくれない。
「優しさもほどほどにしなさいよ」
これまで自分自身にはかけたことのない言葉だ。
自分はこんなに愛らしく、愛しく、愛すべき人間だったのだと知った。
第Ⅱ部のワークはこれで終了。
ただ、インナーチャイルドとの対話は一度きりでなく、繰り返し行うことが必要なようですね。
対話は引き続き行いつつ、次のステップへ。
第Ⅲ部『新しい自分に出会う』に取り組みたいと思います。
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