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#54 SNSでは“幸せな妻”。誰にも話せなかった現実

「アズちゃん、お誕生日おめでとう」

テーブルの上には花束とケーキ。
一軒家のレストラン。

「笑って〜」
「こっちも撮っとく?」

店員さんが「お2人でお撮りしましょうか」
と声をかけてくれた時、
元夫は私の肩を抱いて、笑顔を作った。

私は、無意識に笑っていた。
——「支払い、大丈夫なん?」と
心の中で呟きながら。



結婚してから、何度も旅行に行った。
共通の趣味とはいえ、常軌を逸していた。

どこへ行っても、元夫は写真を撮りまくった。

「これ載せといてな。今日中に」
「こっちのも、アズちゃんのアカウントで」


——SNS投稿を指示し、
コメントがつくのを待っていた。

SNSまで干渉するの、普通なん?

元夫にとってSNSは“ステータスの証明”だった。

写真を撮ること、投稿すること、
「素敵な旦那さん」「優しい旦那さんで羨ましい」
と、私の友人たちに褒められること。

——それが、元夫にとって
“自分は妻を幸せにしている”裏付けだった。

ホテルのベッドに寝そべり、
スマホをいじりながら私を見ずに言う。

「こんないい旦那、おらんやろ」




結婚式でも、演出は完璧だった。

「必ず、幸せにいたします!」
マイクを握って泣いた。

——でも、それは“舞台の上”の話だった。



結婚後、しばらくして気づいた。

元夫は、「ネガティブな空気」を嫌った。

例えば、私が体調を崩して寝込んだ時。
「大丈夫?」の一言だけ。
口だけで、家事はしない。

テレビを観て笑い、買ってきた弁当で食事をして
お風呂に入って、寝る。

私の親が病気でも、「大変やな」と言うだけで、
すぐスマホに戻った。

——自分には関係ない、と。

でも、出資馬のケガは、心から心配した。
引退のお知らせには泣いていた。
まるで、自分の子どもでもあるかのように。


結婚7年目、家計は破綻していた。

クレジットカードの支払いが追いつかない。
旅行、馬への出資——
「映える生活」の裏で、生活は逼迫していた。

私は、パートを掛け持ちした。
近所の会社で、一般事務の仕事を始めた。
医療事務だけでは収入が少なすぎるから。
元夫には事後報告にした。
怒ったが「あなたが病気だから」
と言うと、黙った。

一緒に旅行することも、極力減らした。
すると、元夫は、一人旅を増やすようになった。

パートを増やすと、少しばかりゆとりが出来た。
生活費の補填と、自分の必要品を買い、
残りは自分名義の口座に貯金した。

家計の預貯金は、常にマイナス90〜100万。
担保型定期預金をしておいて、よかった。

お金の話をしようとすると、元夫は怒った。

「最低限の生活はさせてるやろ!」
→最低限とは…

「ローンのプレッシャーが分かるか!」
→買うって言い出したの、自分やん?


カード明細は絶対に見せてくれなかった。



結婚って…「カメラのない場所でも寄り添える人」
とするべきだった。

元夫の“優しさ”には、常に条件があった。

妻は、元気で、笑顔で、可愛くて
都合が良く、行きたい所について来る。

それ以外は認めない。

私がしんどい時、苦しんでいる時、
元夫はいつも、素早く距離を取る。

夫なのに、他人よりも遠くなる。
管理人のおじさんの方が、たぶん優しい。
でも、それを誰も知らない。
誰にも言えなかった。

私は、ずっと——
SNSの中で、幸せな妻を演じていた。

夏頃の話になる。
山田さんとのデートをドタキャンした。

私は体があまり丈夫ではない。
食事がメインのデートだったので
LINEで正直に伝えて謝った。

山田さんは、
「連絡ありがとう。差し支えなければ行こうか?」
と、申し出てくれた。


部屋も片づいていない。
大いに差し支える。
「ありがとう。でも大丈夫」と丁寧に断った。

「僕は気にしないけど、アズさんが気になるなら…何かあれば、行くから」

そのLINEを見て、私は気づいた。

——この人、助けてくれようとした。


私はもう、長いこと
“体調が悪い時に誰かに頼る”
という感覚を失っていた。

インフルエンザの時も、ギックリ腰も
1人で乗り切った。母にも連絡しなかった。

今でも、体調不良の連絡は会社にしかしない。


——それが、私の“当たり前”に
なってしまっていた。



夫がいても
「何があっても1人で何とかする」
のが当たり前だったから。

だから、山田さんの小さな優しさが、沁みた。

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